「ダイアナ妃はもっと子どもを望んでおり、イスラム教に改宗もあり得た」王室ジャーナリストのリチャード・ケイによる暴露。
4月21日付の『デイリー・メール』紙で、英国王室に詳しいジャーナリスト、リチャード・ケイは、彼の見解として、晩年のダイアナ妃が抱いていたとされる“秘めた願い”を明かした。
ダイアナ妃は36歳のとき、パリで恋人のドディ・アルファイドとともに起きた自動車事故で亡くなった。photography: PA Photos/ABACA
36歳で離婚したばかり。ようやく義理の家族という重圧から解き放たれ、いまなお世界中から熱狂的に崇拝されているひとりの女性。そんな彼女が、一体これ以上何を望んだというのだろうか?ダイアナ妃は、果たして何を夢見ていたのか?彼女の友人リチャード・ケイが、4月21日付の『デイリー・メール』のニュースレターでその胸の内を明かした。
ダイアナ妃にとって、すべてが可能になったのは、1996年8月28日、チャールズ皇太子との離婚が正式に成立したときだった。だが、その4年前にはすでに別居が公表されている。その4年間は、「民衆のプリンセス」と呼ばれた彼女が、新たな人生に思いを巡らせていた時間でもあった。しかし、1997年8月31日にパリで起きた自動車事故が、その未来を現実にする機会を奪った。当時、彼女は新たな恋人であるドディ・アルファイドと交際しており、彼は「億万長者のプレイボーイ」とも呼ばれていた。
どうしても子どもが欲しかった
「ダイアナはもっと子どもを望んでいて、そのためにイスラム教に改宗することもあり得た」とリチャード・ケイは明かした。こうした彼女の「子どもを切望する思い」は、ドディ・アルファイドとの恋が始まる前からずっと存在していたものだった。同じく英国王室の専門家であるティナ・ブラウンも、2007年の著書『The Diana Chronicles(原題)』の中で既にこの件に触れている。彼女の解説によると、チャールズ皇太子との結婚生活が破綻していたにもかかわらず、「ダイアナは彼との間に、どうしてももうひとり子どもができることを心から願っていた」という。ふたりにはすでに、1982年6月21日生まれのウィリアム王子と、1984年9月15日生まれのハリー王子というふたりの息子がいた。
ダイアナ、最後の夏
その最期の夏、ダイアナ妃は、新しい人生の始まりを確かに味わっているかのようだった。ドディ・アルファイドとの再会は陽光に満ち、数週間にわたって続く。モナコではスピードボートの上で、サントロペの港では寄り添う姿が目撃され、やがてサルデーニャ島へと向かった。そして残された一枚の写真には、飛び込み台の先に腰かけ、どこか物思いにふけるような彼女の姿が写っている。ロンドンへ戻る前、ふたりはパリで数日を過ごす予定だった。ジュエラー、アルベルト・レポシによる「ディ・モワ・ウィ(私にイエスと言って)」という名の指輪を受け取ること、そして将来の住まいとなり得る邸宅、ヌイイ=シュル=セーヌにあるヴィラ・ウィンザーを見学することも計画していた。だが、その時は訪れなかった。ふたりにその機会は与えられず、ダイアナは数々の夢を胸に抱いたまま、この世を去った。
From madameFIGARO.fr
※この記事は、フランスの新聞社「Le Figaro」グループが発行する「madame.lefigaro.fr」で掲載されたものの翻訳版です。データや研究結果はすべてオリジナル記事によるものです。
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- text: C.L (madame.lefigaro.fr) translation: Hanae Yamaguchi