「神秘的で謎に満ちた日本の皇室」フランスでの報道とは?
Celebrity 2025.01.02
日本の皇室を構成するのはいまや16人のみ。そして他国同様、時にはスキャンダルもある。世界でもとりわけ慎み深いロイヤルファミリーの肖像。
ここは東京駅から徒歩10分、高層ビルが建ち並ぶ金融街の丸の内からすぐのところだ。東京の広大な都市景観の中でひときわ目立つ緑のオアシスがある。高い石垣や生い茂る木々に囲まれて、かつて江戸城だった場所に今日、神秘的な日本の皇室が住んでいる。日本以外ではあまり知られていないが、日本の皇室は世界最古の王朝で、言い伝えによれば、紀元前660年の伝説的初代天皇、神武天皇まで遡ることができる。
これからどうなるのか
最近の皇室ニュースと言えば、最高齢の皇族である三笠宮百合子妃が11月15日に101歳で亡くなられたことだ。彼女は昭和天皇のいとこの未亡人だった。昭和天皇は62年間の在位後、1989年に亡くなった。現在残されている皇族は天皇皇后両陛下、愛子内親王、上皇上皇后両陛下、悠仁親王を含む計16人である。
出生数は非常に少なく、2024年9月6日、皇室存続の希望の星、悠仁親王が成年皇族となられたが、これは皇室の男子としては約40年ぶりのことだ。このことは、皇位継承をめぐる論議を再燃させた。天皇陛下にはひとり娘の愛子内親王がおり、彼女は12月1日に23歳の誕生日を迎えるが、皇位継承権がない。皇室典範で皇位継承者は男子に限られているからだ。その結果、日本の皇位継承権者は、悠仁親王とその父である秋篠宮殿下の他、天皇陛下の叔父にあたる88歳の常陸宮殿下しかいない。なお、常陸宮殿下には子どもがいない。
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皇后陛下の適応障害
皇室にもさまざまなことが起きた。皇后雅子さまは長いことウツ状態だった。現在60歳の雅子さまが天皇陛下と結婚したきっかけは1986年に遡る。「タトラー」誌で報じられたように、ふたりは、スペインのフアン・カルロス1世の長女で現国王フェリペ6世の姉であるエレナ王女の来日歓迎お茶会の席で出会った。当時、彼は「菊の玉座」を継承する皇太子でオックスフォード大学卒、彼女の方は外交官だった小和田恆の娘として、輝かしい父と同じ道を歩み始めていた。雅子さまはモスクワとボストンで幼少期を過ごした後に日本で育ち、1985年にハーバード大学で経済学の学位を取得。2年後、日本の外務省に入省した。国際的なキャリアを目指す新進外交官の彼女は彼との結婚をためらった。それは自分のキャリアをあきらめ、自由が制限されることを意味するからだ。
2回のプロポーズ辞退後、雅子さまはついに結婚を受け入れた。ふたりは1993年1月19日に婚約を発表。結婚式は同年6月9日に行われ、800人以上の招待客が出席した。
当時の様子を紹介した「東京ウィークエンダー」誌の記事によると、挙式後の記者会見で、雅子さまは天皇陛下から、皇室に入るにあたり、いろいろな心配や不安があるかもしれないけれど、「一生全力でお守りします」と言われたことを明かした。
だが夫のサポートだけでは不十分で、雅子さまは明らかに皇室での生活に適応できずにいた。男子の跡継ぎを出産しなくてはならないというプレッシャーがかかるなかで1999年、流産する。その2年後、愛子内親王が誕生したものの、問題は解決しなかった。日本の皇位継承権者は男子のみだからだ。これは将来の皇后にとってあまりに酷なことだった。2004年、当時皇太子だった天皇陛下は記者団に対し、雅子さまの体調には波があること、この10年間、皇室になじもうと懸命に努力してきたものの、自分が見たところでは、そのことに完全に疲れ切っていることを語った。同年7月、宮内庁は雅子さまがうつ病や不安神経症などの症状を伴う適応障害で、生活習慣の急激な変化に伴うものと診断されたと発表した(BBCニュース)。雅子さまは公務を休み、治療が開始され、「少量の薬」を処方された。
マスコミが「羽の折れた蝶」になぞらえた雅子さまは2019年10月22日に皇后陛下となった。近年、健康状態は改善されたように見えるが、公務は依然として散発的だ。昨年6月の英国公式訪問の際には、皇后のスケジュールの2日目に休日が急遽追加された。雅子さまの体調の不安定さの表れだろう。
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反逆のプリンセス
雅子さまの「Masako」からアルファベット2文字取ると、タブロイド紙を賑わせたもうひとりの元皇族、「Mako」、すなわち眞子さんの名前になる。天皇陛下の姪である眞子さんは、2021年に平民の小室圭さんとの結婚を決め、世間を騒がせた。この結婚で眞子さんは元皇族となった。日本の現行法では、「平民と結婚した」皇族女性は皇室を離脱しなくてはならない。これまでの地位に「サヨナラ」を言った眞子さんは、結婚して皇室を離脱する皇族女性に通常与えられるおおよそ130万ドル(約1.4億円)相当の一時金の受け取りさえ拒否した。
彼女が頑なだったのは、3年前の苦い思い出があったからかもしれない。2018年、日本のマスコミは小室圭さんの母親が元婚約者の男性と争っていることを明らかにした。元婚約者は、母親に大金を貸したのに返済してもらえないことを非難していた。日本には皇族やその周辺に完璧さを求める文化があり、もめごとを嫌う。これに加えて小室圭さんのプライベートが微に入り細に入りチェックされ、高校時代にいじめをしたとか、髪の毛が長すぎるとか、マスコミはあれこれ書きたてた。あまりにも騒がれた小室圭さんは日本を離れ、米国で法律を学ぶようになり、眞子さんはPTSD(心的外傷後ストレス障害)にまでなった。日本のプリンセスは呪われているのだろか。
こうしてとうとう2021年、眞子さんと小室圭さんは結婚した。結婚に先立ち、眞子さまが家族に別れを告げるシーン(フランスの動画ニュースサイト)はとりわけ印象的だった。日本のテレビ局が撮影した動画で彼女は両親に頭を下げ、妹にキスをする。現在、小室夫妻は東京から遠く離れた米国で暮らしている。
異例の皇位継承
近年、日本の皇室を巡るもうひとつの大きな出来事があった。2019年の明仁天皇の生前退位(譲位)だ。例外的かつ歴史的な出来事だが、日本人は数年前からそうなることを知っていた。1989年に即位した天皇は、2016年8月に退位の意向を表明した。「幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています」とテレビで述べたのだ。1933年12月23日生まれの明仁天皇は、第二次世界大戦敗戦後、アメリカの意向で1947年に制定された日本国憲法の下で即位した最初の天皇となる。これまで生前退位した最後の天皇は、1817年の光格天皇だった。
残念に思う気持ちはさておき、この退位は現実的な法律問題を引き起こした。当時、天皇の生前退位に関する法律がなかったからだ。2017年6月、日本の国会は、明仁天皇が年齢的な理由から退位することを認める特例法を可決し、公布の日から3年未満で施行することとした。こうして2年後の2019年4月30日、明仁天皇は退位した。厳粛に執り行われた式典の模様はNHKで放送され、黒い冠をつけた明仁天皇は、皇居内のいくつかの聖域で皇室の祖先と神に退位を報告した。
いずれにせよ、明仁天皇はその人間性で日本に足跡を残した。日本列島に頻繁に起こる自然災害の被災者を夫妻で見舞う姿は人々の記憶に残る。今日、彼の息子も自らの治世に共感と現代性を吹き込もうとしている。
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From madameFIGARO.fr
text: Ségolène Forgar (madame.lefigaro.fr)