ライカで撮影中のロベール・ドアノーは幸せそうだった。【オーセンティックな香り】

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翻訳家、作家、ジャーナリストの村上香住子が、これまでの人生で出会ってきた“オーセンティック”なモノ・コトを綴る新連載がスタート。身近にありながら忘れかけていた香りや旅の記憶、そして本物の贈り物——日常を豊かにするエッセンスをお届けします。


「オーセンティックなものなら、どんなものでも私は美しいと思うの。だけどね、偽物はもう絶対的に醜悪だわ」

夏の終わりに車の事故で亡くなったメゾン・ディオールの広報ディレクター、マチルド・ファヴィエの言葉だけど、確かにオーセンティックなものは、周囲にしあわせオーラを放つような気がする。

私が初めてライカを見たのは、1980年代の半ば、パリにいた時に、大御所の巨匠ロベール・ドアノーと、大島渚監督の取材をした時のことだった。
巨匠の存在感に圧倒された私は、監督にインタビューをする前に、彼に先に撮影してもらいたかったが、相手は頑としてきかず、自分は待っているから、気にしないで取材を始めてほしいという。

そのとき、巨匠の手に握られたカメラに釘付けになったものだ。ライカが世界最高水準の品質だとは知っていたけど、その外装があまりにもエレガントだったからだ。彼が撮影を始めると、今度はその「シュッ」というシャッター音にも、聞き惚れてしまった。

マイヨール美術館に展示されていた写真家ロバート・ドアノー氏のカメラ(フランス パリ-2025年9月17日) photography:shutterstock

2度目は、チュイルリー公園のベンチで会うことになった。ドアノーは上着のポケットからバゲットのかけらを取り出し、足元に寄ってきた鳩にそれを与え、もうひとつのポケットからライカを取り出して、鳩たちを撮っていた。

その姿は、とても印象的だった。好きなものに囲まれて、いかにも幸せそうだったからだ。

photography:shutterstock

それから数年後、ある朝サンシュルピス広場の「カフェ・ドゥ・ラ・メリィ」で、友人のアート・フォトグラファーのマルタン・ドルジュヴァルと会うことになった。私が先にきてテラスに座っていると、噴水の向こうからマルタンが手を振っているのが見えた。

その朝、彼はシルバーのボディーにベージュの柔らかいカーフのレザーで巻いたライカを、たすき掛けにしてぶらぶらさせていた。ちょうどその頃エルメスとライカのコラボで、新製品のカメラが出たことを知っていたが、現物を見たのは初めてだった。

「それ、どうしたの?」

「きのうぼくの誕生日のプレゼントとして、もらったんだ」

そのときのマルタンも、幸せに満ち溢れた顔をしていたものだ。

あの朝、ライカ&エルメスのコラボの「ライカMP エルメスエディション」は、眩しいほど輝いていたし、確かにオーセンティックなオーラを放っていた。

普段から、手の届かない程高価なものに憧れる趣味はない私も、もし万一そうしたものを持てるとしたら、あのライカをたすき掛けにして、小石川植物園などに撮影に行き、萩の花やフジバカマなどを撮ったらどんなにいい気持ちだろう、と思うこともある。

ライカの繊細な画像には、静かに生きている被写体が映し出されるので、カメラマンによっては、女性の撮影はライカがいい、髪の毛の1本1本が撮れるから、という人もいるようだ。

最近のスマホの完成度は驚くほど進化しているし、リタッチすれば、写真を好きなように変えられる。いまではそんなスマホに慣れ切っているけど、最近よく見ると一眼レフで丁寧に撮っている女性も、結構増えているような気もする。

簡単にリタッチなんかせずに、その一瞬に賭けるところが好き、と知り合いの一眼レフ派は言っている。

日本でもモデルで写真家で文筆家のキキさんは、ライカのエルメスエディションを普段使いにしているというから羨ましい。

幸せな人に違いない。

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村上 香住子

翻訳家/作家/ジャーナリスト

訳書としてはアンリ・トロワイヤのロシア文豪伝三部作『ドストエフスキー伝』『ゴーゴリ伝』『チェーホフ伝』(すべて中央公論新社)を翻訳する。その他、ボリス・ヴィアンの『ぼくはくたばりたくない』(早川書房)など。1985年よりマガジンハウス、1994年より「フィガロジャポン」のパリ支局長に。20年間のパリ生活のエッセーやパリ文壇との交流記『反記憶』(幻冬舎)など多数。近著は2024年の『ジェーン・バーキンと娘たち』(白水社)。最新刊は『おしゃれなマナーAtoZ パリで暮らして知ったミューズたちの素顔』(CEメディアハウス、2026年)。バーキン、サガン、サンローランなど、本物のパリセレブとの知られざるエピソードと、目の当たりにした本物のマナーの数々を紹介。