フランスで始まったエルメスの香水への愛。
フランス人のホントのところ ~パリの片隅日記~ 2024.07.12
私はこれまで、服も鞄もハイブランドに心惹かれたことがない。だから学生時代に友人が何十万円もする鞄を一生懸命買ったりするのがどうしてなのかよくわからなかった。服も鞄も、自分の好きなかたちや色をしていること、それ以上に大切なことなんて何もないと思っていた。
そんなハイブランドに無縁の人生を送ってきた私だが、ひとつだけ「高価であること」が重要だと思うものがある。
香水だ。香水だけは、「安いけどいいもの」「お値段以上のもの」なんてこの世に存在しないと思っている。香料の値段がそのまま影響するからだ。
それで、私はいったい香水の何が好きなのかという話だが、なにも毎日香水をつけて出かけるのが好きなわけではない。強いていうなら「買い集める」のが好きで、飾り棚に置いて眺めていると幸せを感じるのだが、それよりも買う前の段階で「情報を集め、想像し、直接嗅ぎ、最高の香りを見つけた後、何週間も欲しくて欲しくて身もだえする」時間がなによりも好きなのだ。
私にこの喜びを教えてくれたのは調香師である友人だった。それまでの私には「実店舗に足を運ぶ」という段階がなかったが、友人と一緒にそれはそれはたくさんの店に「嗅ぎに」出かけた。とにかく友人は店に入るとずっと話しながら、いろんな香りを嗅がせてもらう。そうしているうちに、いつのまにかとんでもない量の試供品をもらっていることがあった。
日本では「購入するとひとつもらう」ことが多い試供品だが、フランスでは心配になるほど大量の試供品をもらえたりする。ブランドにもよるが、一度あるお店で、「すごく好きな匂いがあったんだけど名前がわからない」と相談したら「じゃあこれ持って帰っていいよ! わかったらまた来て!」と紙袋いっぱいの試供品をもらったことがある。
また、パレ・ロワイヤルにあるあの美しいセルジュ・ルタンスでは、小麦の香りのする香水を買おうか思案していたところ、店員に「ちょっと散歩してきた方がいい」と言われ、香水を少し腕に振ってもらった。そこで私たちは腕から小麦のにおいを漂わせながら、パレ・ロワイヤルの庭園を歩き、噴水を眺め、とめどなく話し、やはりこれは買うべきだねと店に戻った。そして標本のようにデザインされた世にも美しい試供品をいただいた。
とにかく、この「ただ嗅ぐ日々」がなければ、私がエルメス本店に足を踏み入れることなどまずなかっただろう。これは私が感じるだけなのだが、たとえ調香師が違っていたとしても、シャネルにはシャネルの、フレデリック・マルにはフレデリック・マルの、ブランドにはそれぞれ根底に流れる共通の幹のような香りがあると思う。それが合えば、そのブランドではたくさんの"人生香水"に出合うことができる。
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私の場合は、たいていのエルメスの香水が好きだ。キーンと冷たい金属のようであったり、知性的な土の匂いであったり、いままで購入に至った香水は圧倒的にエルメスが多い。みんな大好き庭シリーズも3つ持っている。
しかしそれは、「最初に嗅いだ時のこと」が素晴らしい思い出として私のなかに残っているから、ということもあるかもしれない。
その日は、件の友人と話しながらひたすら歩いていたのだが、ふとエルメス本店前を通りかかった時に、「絶対に気に入る香水がある」と誘われて入ったのがきっかけだった。
そこで私は、エルメス初代専属調香師ジャン=クロード・エレナのコレクション「エルメッセンス」に出合った。現在はクリスティーヌ・ナジェルが引き継いだこのコレクションは、私が(差し当たってここまでの)生涯で最もたくさん、何度も何度も繰り返し買い求めたコレクションだ。
しかし最初に、このエルメス本店で対応してくれた女性があんなにもざっくばらんにたくさん話を聞かせてくれなかったら、こんなに虜になることはなかったかもしれない。
その時彼女はコレクションについてひとつひとつの香りを丁寧に説明してくれたうえ、すべての試供品を2本ずつ与えてくれ、私たちはその後家でも好き放題に「エルメッセンス」を楽しむことができた。
その試供品というのは、さすが全ハイブランドの頂点に立つエルメスというべきか、硝子の小さな試験管のような容器に各4mlも入っており、さらにきちんと専用のオレンジの箱にまで入れてくれるという、およそほかの場所ではお目にかかれないような、太っ腹も太っ腹な豪奢な品であった。
それを見て私はエルメスともなればなにもかも違うものだな、と感心したし、みんながあれほど高価な鞄を欲しがる気持ちも少しわかったような気がした。
私にとって「買うまでの時間」は、その香水を愛するためにとても必要なものだ。買った後、日常的には使用しないとしても、どうしても気に入ったものであれば購入するべきだと思う。香水なんて人生に必要ないものかもしれないが、このプロセスを踏んで購入したものは必ず、自分の糧になると信じている。
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しかしある日、私は偶然見つけてしまったのである。
エルメスの女性があんなに太っ腹に、あふれ出る慈愛のように与えてくれた4mlの試供品が、あるフリマサイトで販売されているのを! 「箱もついてきます」と書かれたそのページを見て私はとてもショックを受け、悲しみを感じ、言葉にならない複雑な怒りを抱いた。
そこでは、あのガラスの容器に入った試供品に、勝手な値段が付けられていた。その販売者は現品の容量から換算して値を付けたのかもしれないが、あれは、プライスレスなのである。
私はきっと、自分が大好きなコレクションが貶められたような気がして、そして、あんなにすてきな接客をしてくれた女性の優しさをも踏みにじられたような気がして、個人的な悲しみを感じたのだろう。その後私は、試供品が多くの人の手によって売られていることを知ってさらにショックを受けた。
でも、ある価値を維持するためには、プロセスをおろそかにしてはならない、と彼らには声を大にして言いたい。さもなくばその価値は指のあいだから零れ落ちていく砂のようにはかなく流れていくものなのだ。
text: Shiro, photography: shutterstock