マクロン大統領のそばを離れない、フランソワーズ・ノゲスとは一体何者?

Culture

フランス革命記念日の7月14日、恒例の祝賀軍事パレードの場でフランスのマクロン大統領が母親といる姿が見られた。元医師である大統領の母は普段、公の場にあまり出てこないため、これは非常に珍しいツーショットだった。

エマニュエル・マクロンがフランス共和国大統領としてフランス革命記念日を祝うのは今年が最後となる。2026年7月14日、祝賀軍事パレードに臨んだマクロン大統領には、いつものようにブリジット夫人が寄り添っていた。母親のフランソワーズ・ノゲスも同席しており、母と息子が短い言葉を交わす様子がキャッチされた。母は息子を優しいまなざしで見つめ、誇らしげな表情を浮かべている。大統領の母親はこれまで政治の世界と距離を置き、常に目立たないように振る舞ってきた。だからこれは珍しい光景だった。

カーラ・ブルーニの母マリサ・ボリーニが政治の世界と関わることに積極的で、機会があればエリゼ宮を訪れていたのとは対照的に、フランソワーズ・ノゲスは息子の政治キャリア上、重要な行事にこれまでほとんど姿を見せていない。それでも2024年、アカデミー・フランセーズ辞典第9版が完成した際の大統領への献呈式にはやってきたし、2022年、息子の2期目の大統領就任式にも出席していた。いずれにせよ、エマニュエル・マクロンが大統領に選出されるまで、母が中央政界に関わったことは一度もなかった。

家族が第一

1950年生まれのフランソワーズ・ノゲスはアミアンの高級住宅街でずっと生きてきた。ジャン・ミシェル・マクロンと結婚し、3人の子ども、すなわち1977年生まれのエマニュエル、1979年生まれのローラン、1982年生まれのエステルに恵まれた。夫とは2010年に離婚している。子育てのかたわら、公的医療保険の審査医として長年パートタイム勤務していたが、現在は引退している。3人の子どものうち、下の2人は母と同じ医師となった。一方、長男について母親は作家か音楽家になるものとずっと思っていた。政治家になるとは考えたこともなかった。

長男が大統領選への出馬を望んでいることを知ったのは、出馬直前のことだった。「政治を、マニュ(エマニュエルの愛称)がやっていることを知ったのは、(出馬の)15分前でした。本人から電話がかかってきて『今、車中なんだ。これから立候補を表明する』と言われたんです。私は『でもどうするの? 政党もないし、お金もないじゃない』と心配しました。すると『ママ、いまならやれる余地がある。いましかない』と言ったのです」と彼女は2021年、ガエル・チャカロフの著書『Tant qu’on est tous les deux(原題)』で語っている。「あの子は作家か音楽家になるとずっと思っていました。ピアニストかソリストか。でもこの先、まったく別のことをするでしょうね」

ブリジットは「友人」

フランソワーズ・ノゲスと息子の関係は現在、非常に良好のようだ。しかし最初からそうだったわけではない。エマニュエル・マクロンが24歳年上のブリジット・マクロンを好きになった事実を受け入れるまで母は苦悩したようだ。アミアンで2人の女性は近所に住み、昔からの知り合いだった。「ブリジットは、私たちの家から私の両親の家へ行く途中に住んでいました。彼女のことを知っていましたし、尊敬していました。下の娘のエステルのフランス語教師で、エステルは演劇も習っていましたから。彼女とは本当によく顔を合わせていました」と彼女はガエル・チャカロフの著書の中で語っている。いずれにせよ、緊張した関係が続くことはなかった。フランソワーズ・ノゲスは、息子の決断を変えさせることは不可能だとすぐに悟った。「あの子は一度こうと決めたら決して変えませんから」。

以来、彼女は「ファーストレディ」との距離を急速に縮め、自分より3歳年下のブリジットを、「義理の娘」というよりも「友人」として接している。「私たちは好みも価値観も同じ。何でも言い合えます」と彼女は『Tant qu’on est tous les deux(原題)』で語っている。今日、ブリジット・マクロンが息子にとってどれほど大きな存在であるかを彼女は実感しており、自らは一歩引いた立場に徹している。そしてカメラの届かない場所で、息子との時間をなるべく作ろうとしている。

From madameFIGARO.fr

※この記事は、フランスの新聞社「Le Figaro」グループが発行する「madame.lefigaro.fr」で掲載されたものの翻訳版です。データや研究結果はすべてオリジナル記事によるものです。

  • text: Leonie Dutrievoz (madame.lefigaro.fr)