モナコ公室の知られざる星、ベアトリーチェ・ボロメオ。
Culture 2021.08.26
イタリア人ジャーナリストで、モナコ公室のピエール・カシラギの妻。キャサリン妃やメーガン夫人よりも控えめなベアトリーチェ・ボロメオが、イギリスの雑誌「タトラー」で「ヨーロッパで最もエレガントなプリンセス」に選ばれた。研ぎ澄まされたセンスを持つ若い女性の横顔を紹介する。
モナコで開催されたF1グランプリに出席したベアトリーチェ・ボロメオ。(モンテカルロ、2019年5月26日) photo : Getty Images
昔々、北イタリアの伯爵夫妻の間に生まれた少女が、プリンセスの息子である魅力的な青年と出会いました。ふたりは結婚して、2人の子どもに恵まれましたとさ——ベアトリーチェの物語はこんな風に始まる。
2015年、モナコ公女カロリーヌの末息子であるピエール・カシラギと結婚して以来、モナコの公室の一員であり、また、イタリア貴族、ボロメオ家出身のベアトリーチェが、「ヨーロッパで最もエレガントなプリンセス」にいう新たな称号を手に入れた。
キャサリン妃やメーガン夫人を差し置いて、今回注目を集めたのはモナコ公室。英タトラー誌は、ヨーロッパ王室のファッションアイコンの頂点に、正式な公女の称号は持っていないベアトリーチェを選んだ。
2015年以降、ベアトリーチェは、公国の有名なパーティ「ローズ・ボール」に登場したり、昨年6月にアテネで開催された「ディオール2022 クルーズコレクション」のようなファッションショーのフロントロウに登場したりして、その研ぎ澄まされたスタイルを控えめに主張している。
ベアトリーチェは、生まれたから輝かしいキャリアの礎を持っていた。1985年、ボルツァーノ近郊のサンカンディドに生まれた彼女は、イタリアで最も伝統のある貴族の家系のひとつであるボロメオ家の出身。カルロ・フェルディナンド・ボロメオ伯爵とパオラ・マルツォットの娘だが、両親が結婚していなかったため、貴族の称号は持たず、「非嫡出子」とされている。
---fadeinpager---
AnnoZero
16歳で国際法を学びながら、モデルとしてのキャリアをスタートさせたベアトリーチェ。しかし、彼女はすぐファッションよりも、政治に情熱を傾けるようになった。
2006年にはイタリアのテレビ局「Rai 2」のキャスターになり、同年、シルヴィオ・ベルルスコーニがイタリア総選挙に敗れた後にスタートしたトークショー「AnnoZero」の共同司会を務めた。それから2年間、労働者の労働環境などの社会的な問題に取り組んだ。
反ベルルスコーニ派として、政治スキャンダルを躊躇することなくすっぱ抜き、イタリアの日刊紙「Il Fatto Quotidiano」で、ゲリラに6年間拘留された経験を持つ政治家のイングリッド・ベタンクールや小説家のジェイムズ・エルロイなどの著名人にインタビューも行った。さらに2012年には、イタリアの複数の新聞社でジャーナリストやレポーターとして活躍したことが評価され、米コロンビア大学でジャーナリズムの学位を取得している。
---fadeinpager---
“I love you and I will marry you”
イタリアではすでに有名人だったベアトリーチェだが、2008年、ピエール・カシラギとのエピソードが報じられたことで、フランスでもメディアの第一線に躍り出た。
ミラノのボッコーニ大学でそれぞれ法学と経済学を専攻していたふたりだが、実際に出会ったのは第61回カンヌ国際映画祭の時。「パオロ・ソレンティーノ監督の『イル・ディーヴォ』の上映後、ピエールが私を見て近づいてきて、英語で『love you and I will marry you(君を愛している、君と結婚する)』と言ったのです」と、「Courriere Della Sera」紙に明かしている。
モナコ公国のアルベール2世公の甥であるピエール・カシラギはその約束を果たし、7年後の2015年、ふたりはボロメオ家の拠点であるマッジョーレ湖で結婚。ベアトリーチェが5着のドレスを纏う、盛大な結婚式となった。ドレスはいずれもイタリア・ファッション界のビッグネームに敬意を表するもの。ジョルジオ・アルマーニやヴァレンティノ・ガラヴァーニとの密接な関係を示した。
2017年2月には、第1子となるステファノが誕生。その1年後、ベアトリーチェはローズ・ボールに大きなおなかで登場し、その後次男のフランチェスコ・カルロ・アルベールを出産した。
text : Narjiss Essafi (madame.lefigaro.fr)