「混迷する世界で人間性を問い直す」第79回カンヌ国際映画祭、盛り上がりを改めてレポート!

Culture

今年のカンヌ国際映画祭では、混迷する世界で人間性を問い直す作品に焦点が当てられた。日本映画にも大きな注目が集まった世界最高峰の映画祭の模様をリポート!

今年のコンペティション部門の審査員団。左から、ポール・ラヴァティ、ステラン・スカルスガルド、ディエゴ・セスペデス、ローラ・ワンデル、パク・チャヌク(審査員長)、デミ・ムーア、クロエ・ジャオ、イザック・ド・バンコレ、ルース・ネッガ。
©Alamy/amanaimages

第79回カンヌ国際映画祭の開幕前、総代表ティエリー・フレモーは「カンヌは常に政治的な映画祭と見なされてきた。カンヌにとっての政治とは、第一にアーティストの言葉だ」と述べ、映画と世界情勢は切り離せない関係にあることを示した。実際、今年のコンペティション作品は、戦争、移民、AI、アイデンティティ、共同体の分断といった現代社会の不安を色濃く映し出していた。興味深いのは直接的な政治映画としてではなく、家族や恋愛、ケアといった極めて親密な関係性に落とし込まれていた点だ。

最高賞パルムドールを受賞したクリスティアン・ムンジウ監督『Fjord』は象徴的な一本。ノルウェーの小さな町を舞台に、児童虐待の疑惑をかけられた移民家族が共同体から静かに孤立していく物語で、善意が排除に変わる瞬間を冷徹に見つめる。ムンジウは「唯一の真実など存在しない。私たちはそれぞれ異なる現実を生きているからこそ、自分とは違う考えを持つ人とどう共存していくかを学ばなければならない」と語った。審査員長パク・チャヌクは「自分はまだパルムドールを取ったことがないため、本当はどの作品にも与えたくなかった」と冗談めかしつつ、「間違いなくパルムドールに値する作品」と評価した。

グランプリのアンドレイ・ズビャギンツェフ監督『Minotaur』は、2022年のロシアを舞台に、戦争によって侵食されていく社会と人間を描いた作品だ。会社を経営する男が、ウクライナ侵攻下の国家体制で従業員や家族、自らの倫理観まで失っていく。戦場を直接描かず、家庭や職場に忍び込む不安と不信や暴力により、戦時下の息苦しさを浮かび上がらせた。その閉塞感は巨大な迷宮を思わせるタイトルにも表れている。「ロシアでは、人間の条件そのものが根本的に変わろうとしている。ロシア人監督として、その現実の真実を証言しなければならないと思った」とズビャギンツェフは語った。

審査員賞のヴァレスカ・グリーゼバッハ監督『The Dreamed Adventure』もブルガリア国境地帯を舞台に境界そのものを主題化。“境界”は、今年のカンヌで繰り返し登場したモチーフだ。合法と違法、現実と幻想、生と死など世界が不安定化する中で人々はどこに線を引くのか。その問いが多くの作品に通底していたように思う。今年はハリウッド映画の不在で華やかさに欠けるという見方もあったが、混迷する世界で、なお人間性を見つめ続けようとするカンヌの底力を感じた。

多様な人間性を映し出した受賞作を一挙レビュー!

『Fjord』(原題)
クリスティアン・ムンジウ監督

★パルムドール


©Fjord

分断の根源を見つめるドラマで、2度目のパルムドールに。

舞台は、ノルウェーのフィヨルドの小さな町。ルーマニア系の移民家族が子どもへの虐待疑惑をかけられ、危機に直面する。実際の事件を下敷きにした作品で、ムンジウは、宗教的価値観、子育て、移民、共同体の正しさが衝突する現代欧州の断層を描く。雄大な自然を捉えた映像は美しく、セバスチャン・スタンとレナーテ・レインスベの抑制された演技が人間同士の相互理解の困難さを際立たせる。ムンジウ特有の長回しと緻密な会話は、私たち自身が他者を無意識に裁いているであろう事実を浮かび上がらせる。鋭く、今日的な人間ドラマ。

●監督・脚本/クリスティアン・ムンジウ
●出演/セバスチャン・スタン、レナーテ・レインスベ、リサ・カーレヘドほか
●2026年、ルーマニア・フランス・ノルウェー・スウェーデン・デンマーク映画
●146分 ●配給/ファインフィルムズ
●2027年、全国にて公開予定


『Minotaur』(原題)
アンドレイ・ズビャギンツェフ監督
★グランプリ


©Minotaur

ロシアを舞台に、痛烈な政治的メッセージを込めた悲劇。

2022年、ロシアの地方都市。経営者の男は社員の動員や経営悪化に追い詰められ、妻の不倫を知り、築き上げた秩序が音を立てて崩れていく。やがて、個人的な危機は暴力へと向かう。ズビャギンツェフ監督は、『裁かれるは善人のみ』『ラブレス』に通じる冷徹な観察眼で、権力が人間の倫理を侵食し、人生を破壊する過程を描き出す。長回しを基調とした端正な画面、張り詰めた沈黙、閉塞した空間という構図が、神話のミノタウロスさながら。出口を失った現代ロシアの姿を浮かび上がらせるが、戦争が人間の魂を蝕む様は普遍的でもある。

●監督・脚本/アンドレイ・ズビャギンツェフ
●出演/アイリス・レベデワほか
●2026年、フランス・ラトビア・ドイツ映画
●140分 ●日本公開未定


『La Bola Negra』(原題)
ハビエル・カルボ&ハビエル・アンブロッシ監督
★監督賞


©La Bola Negra

巨匠アルモドバルのお墨付き、スペインの新進デュオの作品。

ドラマ「ヴェネノ」で注目されたスペインの人気クリエイターデュオの長編第2作。スペイン内戦前夜の1932年、戦時下の37年、そして2017年という3つの時代を舞台に、それぞれの時代を生きる男たちの人生が抑圧された愛と芸術への希求によって交錯。着想源は、詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカが遺した未完小説。歴史に埋もれた声を現代へ呼び戻す構成は情熱過多にも映るが、メロドラマの濃密な感情と演劇的な様式美を融合。個人の愛を社会の記憶へ拡張させたスケール感が魅力。ペドロ・アルモドバルが製作に名を連ねる。

●監督・共同脚本/ハビエル・カルボ&ハビエル・アンブロッシ
●出演/ギタリカデラフエンテ、ミゲル・ベルナルデアウ、カルロス・ゴンサレスほか
●2026年、スペイン・フランス映画
●155分 ●日本公開未定


『Fatherland』(原題)
パヴェウ・パヴリコフスキ監督
★監督賞


©FATHERLAND © AgataGrzybowska

戦後のドイツを文豪の娘の視点で見つめ直す。

『イーダ』や『COLD WAR あの歌、2つの心』で知られる、ポーランド出身の名匠パヴリコフスキの新作。1949年、亡命先から帰国したノーベル賞作家トーマス・マンと娘エーリカが西ドイツから東ドイツへと荒廃した祖国を旅するロードムービー。冷戦下の東西双方が、国民的作家を自陣営へ取り込もうとする政治ドラマも描かれる。戦後ドイツを巡る歴史劇であると同時に、戦争や父権社会といった時代に声を奪われてきたエーリカの痛みに寄り添う。偉人の肖像ではなく、その陰に置かれた女性の視線が今日的で意味深い。

●監督・共同脚本/パヴェウ・パヴリコフスキ
●出演/ザンドラ・ヒュラー、ハンス・ジシュラー、アウグスト・ディール、デーヴィト・シュトリーゾフ、アンナ・マデリーほか
●2026年、ポーランド・ドイツ・イタリア・フランス映画
●82分 ●配給/ギャガ ●2027年、日本公開予定


『A Man of His Time 』(英題)
エマニュエル・マール監督
★脚本賞


©NOTRE SALUT OKidam & Michigan films

野心家の男の半生を通し、描き出した凡庸な悪。

1940年のフランス、自己出版した政治論文「われらの救済」を携え、人生の再起をかけてヴィシー政権へ近づくアンリ(スワン・アルロー)の人生を描く。出世への欲望から権力に迎合し、やがて迫害を支える行政機構の歯車となっていく姿は、カンヌ出身の監督の曽祖父アンリ・マールがモデルだが、個人的な家族の肖像ではなく、当時、無数いた官僚の象徴として描く。ファシズムがいかに人間を取り込んでいくのか、ひとりの男の半生を通して描かれる凡庸な悪。分断や戦争が影を落とすこの時代に胸に突き刺さる物語だ。

●監督・脚本/エマニュエル・マール
●出演/スワン・アルロー、サンドリーヌ・ブランク、ハーポ・ギットほか
●2026年、フランス・ベルギー映画 ●155分 ●日本公開未定


『The Dreamed Adventure』(英題)
ヴァレスカ・グリーゼバッハ監督
★審査員賞


© DAS GETRÄUMTE ABENTEUER © Bernhard Keller

ヨーロッパの周縁に横たわる不穏さを可視化。

ブルガリア、ギリシャ、トルコの国境地帯に近い町。発掘現場で働く考古学者の女性ヴェスカは、車を盗まれた旧知の男と再会。彼を助けようとしたことから犯罪組織の影が差す危険な世界へ引き込まれていく。『ウェスタン』で異郷の共同体に潜む権力関係を描いたグリーゼバッハは、本作でも犯罪映画の輪郭を借りながら、暴力ではなく、土地に沈殿した記憶や沈黙、視線の緊張で物語を進める。発掘とは過去を掘り起こす営みであり、現代の欧州周縁にあるグレーゾーンを露わにすること。曖昧さを残す独特の語り口が強い余韻を残す。

●監督・脚本/ヴァレスカ・グリーゼバッハ
●出演/ヤナ・ラデバ、シュレイマン・アリロフ・レティフォフほか
●2026年、ドイツ・フランス・ブルガリア・オーストリア映画
●167分 ●日本公開未定


『Coward』(原題)
ルーカス・ドン監督

エマニュエル・マッキア&ヴァランタン・カンパーニュ主演
★男優賞


©COWARD ©AlineBoyen_theReunion

死に怯えども屈せず、愛に生きる姿を体現。

『Girl/ガール』でカメラドール、『CLOSE/クロース』でグランプリを受賞した、ベルギーの俊英ドンの長編第3作。第1次世界大戦下のベルギー戦線、前線へ送られた若き兵士ピエールは兵士たちを慰問する劇団を率いるフランシスと出会い、互いに惹かれ合っていく。自分自身であろうとすることで傷つく人々を繊細に描いてきたドンは、本作でも戦争という暴力の真っ只中でなお失われない身体の温もりと表現への欲望を肯定する。命の危険にさらされながらも、愛に生きたふたりを体現した俳優が最優秀男優賞を共同受賞。

●監督・共同脚本/ルーカス・ドン
●出演/エマニュエル・マッキア、ヴァランタン・カンパーニュほか
●2026年、ベルギー・フランス・オランダ映画
●120分 ●日本公開未定


『Para los Contrincantes』(原題)
フェデリコ・ルイス監督
★短編映画部門 パルムドール

長編と短編を自由に行き来する新世代の映像作家。

メキシコシティの下町を舞台に、ボクシング王者を夢見る少年が初めて敗北と向き合う姿を描く短編。試合そのものよりも、リングを取り巻く大人たちの期待や街の空気、少年の揺れる眼差しを丹念に積み重ねる演出が秀逸。勝敗を超えた成長の瞬間を鮮やかに浮かび上がらせる。監督は、長編デビュー作『Simon of the Mountain』(英題)がカンヌ批評家週間グランプリに輝き、ラテンアメリカ映画の新世代として注目されるアルゼンチンのルイス。短編は長編への通り道ではなく、独自の表現として捉えている視点も新鮮だ。

●監督・脚本/フェデリコ・ルイス
●出演/ダミアン・ロペスほか
●2026年、チリ・メキシコ・フランス映画
●15分 ●日本公開未定


『Ben’Imana』(原題)
マリー=クレマンティーヌ・ドゥサベジャンボ監督
★カメラドール


©Mostafa El Kashef

カンヌに歴史を刻んだ! ルワンダ人監督として初快挙。

「ある視点」部門で上映された本作は、ルワンダ人監督作品として初めてカンヌに選出。1994年のツチ人に対するジェノサイドを生き延びた女は、2012年、地域の和解と対話を支える仕事に身を投じている。しかし10代の娘の妊娠をきっかけに、自ら封じ込めてきた記憶と向き合わざるを得なくなる。短編で国際的評価を重ねてきたドゥサベジャンボ監督による長編デビュー作。国家の和解という大きな物語をひとりの女性の葛藤を通して普遍的な人間ドラマへと押し上げた。タイトルは、キニアルワンダ語で神の子どもたちの意。

●監督・脚本/マリー=クレマンティーヌ・ドゥサベジャンボ
●出演/クレマンティーヌ・ユ・ニリンキンディ、イザベル・カバノほか
●2026年、ルワンダ・ガボン・フランス・ノルウェー・コートジボワール映画
●101分 ●日本公開未定


★映画ジャーナリスト 立田敦子賞

『Titanic Ocean』(原題)
コンスタンティナ・コヅァマーニ監督

日本の風景とギリシャ神話のセイレーンが交差する世界。

17歳の少女はプロの人魚を目指して訓練を重ねる中で、初恋や身体の変化を経験し、人魚伝説と現実が溶け合う世界へと足を踏み入れていく。日本の風景とギリシャ神話のセイレーンが交差する世界は、自己を変容させようとする少女たちの普遍的な願いを映し出す。短編作品で国際的に高い評価を受けてきたギリシャの新鋭監督が、水や光、身体の運動を自在に操り、現実と幻想が溶け合う幻想的な空間を創出。「ある視点」部門で上映された本作は日本を舞台にしているが、多様な国の国際共同製作でその越境性も興味深い。

●監督・脚本/コンスタンティナ・コヅァマーニ
●出演/佐々木ありさ、松井遥南、花瀬琴音、東出昌大、真飛聖ほか
●2026年、ギリシャ・フランス・スペイン・ドイツ・ルーマニア・日本映画
●130分 ●配給/ハピネットファントムスタジオ
●2026年秋より、全国にて順次公開予定

  • text: Atsuko Tatsuta
  • editing: Momoko Suzuki

*「フィガロジャポン」2026年9月号より抜粋