「私が誰かなんてどうでもいいの」メーガン・マークルが明かす、グロリア・スタイネムとの知られざる絆。
著名なアメリカ人女性ジャーナリスト、グロリア・スタイネムが92歳で亡くなった。メーガン・マークルは親しい友人であり、メンターでもあったこの活動家の死を悼んだ。

誰もが知る「グロリア・スタイネム」という存在はデモ行進をし、雑誌の表紙を飾り、50年以上にわたってフェミニズム運動をけん引した女闘士だ。彼女は一方で、メーガン・マークルが「グロ」の愛称で呼んでいた女性でもある。彼女は2026年9月2日、ニューヨークで永眠した。享年92歳だった。知らせを受けたメーガン・マークルは9月3日、インスタグラムに長文の追悼文をポストした。
そこに添えられた3枚の写真は、ふたりの関係性を示したものだ。それは共有する理念を通じて世間が知っていたふたりの姿でもある。「友人でありメンターであったグロリア・スタイネムの人生と彼女が遺したものを称えます」とイギリスから書いた。ハリー王子や子どもたちと暮らすためにこの地に戻ってきたばかりのことだった。メーガン・マークルはまた、グロリアが亡くなる前の数週間、数日間に「どれほど皆に愛され、尊敬されているかがきちんと」本人に伝わったことに言及し、「ありがたい」とも述べている。
もっと公平な世界
ポストされた写真の1枚目はごく平凡な風景に見える。メーガン・マークルとグロリア・スタイネムが芝生の真ん中に置かれた椅子に仲良く座っている。服装はシンプルで、午後のひとときを過ごす友人同士のようだ。2枚目の写真では、まだ幼いアーチーの背中に故人が手を添えている。子どもの顔は写っていない。このさりげない仕草だけで、活動家がこの家族のなかでどんな存在だったかが伝わってくる。最後の写真は白黒だ。女性ふたりがソファに寄り添うように座っている。演出も観客もマイクもない。ただの「メーガンとグロリア」だ。
メーガンが語ろうとしたのは、まさにこの「グロリア」だった。「公の場で私たちは並んでインタビューを受け、若い有権者たちに声を上げるよう促し、式典に出席し、この美しくも複雑な世界をもっと公平にするにはどうすればいいのかを考えてきました」と彼女は書く。続いて話のトーンは変わる。「けれどプライベートでの彼女は、想像できないくらい素晴らしい人でした」。そして会話調の思い出リストが続く。感謝祭を自分の家で過ごしてくれたこと、紹介してくれた人が自分の親友になったこと、疲れを知らない活動家である彼女がアーチーとリリベットを「心から」愛してくれたこと。
そして何より、メーガンが話したい時に耳を傾けてくれた。「とてもつらい時期に助言をくれ、お茶を飲みながら、ちゃめっ気たっぷりの機知と誰にも真似できない気の利いた受け答えで、素晴らしい助言と視点を与えてくれました」。疲れを知らない活動家の姿の向こうに軽やかな心を持ち、ユーモアを解し、時には相手をやり込める女性の姿が浮かび上がる。メディアや写真アーカイブがあまり語らない「グロリア・スタイネム」の姿だ。
ランク付けされているのではない
メーガン・マークルが大切にしている思い出のひとつが、グロリア・スタイネムから贈られたブレスレットだ。そこには「we are linked, not ranked(私たちはランク付けされているのではなく、つながっている)」という言葉が刻まれている。チャールズ3世の義理の娘であるメーガン夫人は今もそれを「誇らしく」身につけていると明かしている。この言葉は、ふたりの関係を象徴していると言えるかもしれない。ふたりが親密になったのは2020年、アメリカの投票権をめぐる活動を通じてだった。若い有権者たちを政治へ積極的に参加するよう促すため、投票をテーマにした対談を共に録音したこともある。2023年にはふたりの関係がさらに公式なものとなった。「グロ」は、メーガン・マークルが女性や少女のために活動していることを称え、「女性のためのミズ財団」の「ウィメン・オブ・ビジョン・アワード」を夫人に授与したのだ。しかし、メーガン夫人はそんなことよりも語りたいことがもっとあったようだ。
それはニューヨークでのことだった。ある日、ひとりの女性が感激しながらグロリア・スタイネムに声をかけ、自分の娘を紹介した。ただ娘はスタイネムのことを知らないかもしれないと、その女性は少し気まずそうにしていたという。それに対する活動家の返答は、メーガンにとって「一番気に入っている思い出」となっている。「私が誰かなんてどうでもいいの。大切なのは、この子が“自分自身が誰なのか”を知っていることよ」。まさに「スタイネムらしい」言葉だ。だからアーチーとリリベットの母も、きらびやかな美辞麗句ではなく、自分が知っていた彼女について語ったのだ。
フェミニズム運動に捧げた人生
1934年3月25日、オハイオ州トレドに生まれたグロリア・スタイネムは、ジャーナリストとしてのキャリアをスタートさせ、やがてアメリカのフェミニズムを代表するひとりとなった。1963年、彼女はニューヨークのプレイボーイ・クラブに潜入し、「バニーガール」たちの労働環境を調査した。そのルポルタージュ『A Bunny’s Tale』は、彼女の名を広く知らしめた。1970年代には、後にフェミニズムの象徴的存在となる雑誌「Ms.Magazine」の創刊に携わり、「全米女性政治連盟(National Women’s Political Caucus)」の設立にも関わった。彼女の闘いは、中絶の権利から職業上の平等、政治における女性参画、性差別・性暴力との闘いにまで及んでいった。
数十年にわたり、この活動家はアメリカの社会において特別な位置を占めていた。デモの現場とメディアの場を自在に行き来しながらも、一人ひとりの個人の物語が持つ力に深く寄り添い続けたひとりの闘士だった。メーガン夫人は、そのことに言及しながらメッセージを締めくくることを選んだ。「どうか安らかに、誇り高く眠ってください。私たちのためにどれだけのことをしてくれたかご覧なさい。ありがとう」。メーガン夫人が語ったのは歴史に残るフェミニズムの象徴的存在ではない。友人である「グロ」なのだ。
From madameFIGARO.fr
※この記事は、フランスの新聞社「Le Figaro」グループが発行する「madame.lefigaro.fr」で掲載されたものの翻訳版です。データや研究結果はすべてオリジナル記事によるものです。
- text: Lovelly Ndinga Ikobo (madame.lefigaro.fr)
- edit: フィガロジャポン編集部