アルルでディオールの写真アワードが開催! 最優秀賞の武信朱璃にインタビュー。未知の存在に近づくための作品とは?

Culture

パルファン・クリスチャン・ディオールが、写真と映像の未来を担う若き才能を支援する「ディオール ヤング フォトグラフィー&ビジュアル アーツ アワード」。毎年、フランス・アルルにて開催される「アルル国際写真フェスティバル」の期間中、ファイナリストたちの作品を展示し、最優秀者を讃える授賞式を催している。第9回目となる今年は、世界中から集まった約300の応募作品から、日本の武信朱璃による写真シリーズ『Threshold』が最優秀賞を受賞した。

建築家フランク・ゲーリーが設計した現代アートセンターのリュマ・アルル内にて。
展示空間を手がけたのは、審査員のひとりであるフランス人写真家ヴァサンタ・ヨガナンタン。優しく淡い色合いのカラーブロックが彼の作風を思わせる。

「ディオール ヤング フォトグラフィー&ビジュアル アーツ アワード」は、パルファン・クリスチャン・ディオールと現代アートセンターのリュマ・アルル、アルル国立写真高等専門学校が連携する形で、2018年に創設された国際的なアワードだ。今年は英国人写真家デイヴィッド・シムズを審査委員長に迎え、審査員にはフランス人写真家ヴァサンタ・ヨガナンタン、ヨーロッパ写真美術館ディレクターのジュリー・ジョーンズ、長年にわたって審査に携わっているマヤ・ホフマン、ディオール メイクアップ クリエイティブ&イメージ ディレクターのピーター・フィリップスが名を連ねた。そんな錚々たる顔ぶれが揃った審査員陣の中で、武信の作品は満場一致で高い評価を得たという。

左寄り、英国人写真家デイヴィッド・シムズ、武信朱璃、ヨーロッパ写真美術館ディレクターのジュリー・ジョーンズ、ディオール メイクアップ クリエイティブ&イメージ ディレクターのピーター・フィリップス、フランス人写真家ヴァサンタ・ヨガナンタン。

『Threshold』は、自身の身体を撮影したモノクロ写真を解体し、断片化した要素を再構築したコラージュ作品だ。センシュアルな肌の質感と有機的な曲線が生み出す彫刻的なフォルムが、静謐ながら力強い存在感を放つ。「初めて見た時、昔ながらのフォトコラージュのようで、マン・レイの作風に通じるシュールな魅力を感じました。色の要素を排除し、光と影だけで身体を抽象化している点も印象的です。それでいて親しみやすく、観る者が感情的な繋がりを感じられる作品だと思いました」と、ピーター・フィリップスは語る。さらに、この作品がセルフポートレートである点にも注目する。「まるで新たな存在を生み出しているように見えますが、セルフポートレートだと知って、とても現代的で未来的な表現だと感じました。顔を見せていないにもかかわらず、セルフポートレートとして成立している点も興味深いですね」

最優秀賞を受賞した武信朱璃。1993年、埼玉県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻の2年に在籍中。

武信は、幼少期からの超常的な体験を通し、揺らぎ続ける幽かな存在の正体を探究し続けている。今回の写真作品では、自身の身体から肉体的な物質性を剥ぎ取り、抽象的なイメージへと変容させることで、自らを擬似的な死の状態へと導く。それによって現実と未知なるものの狭間に立ち、不可視の存在を探りながら、私たちの知覚の限界に問いを投げかけている。そんな制作の背景や受賞後の思いについて、アルルにて、武信に話を聞いた。

幼少期に暮らした幽霊の出る家が原体験。

ーー油絵を専攻している中で、写真を始めたのはどのような経緯ですか?
祖父から受け継いだニコンの一眼レフに触れたのがきっかけです。その頃、絵画を描くことに不自由さを感じていたんです。ドローイングの線を引いたり、モチーフを選んだりしながら、これが本当に自分の感覚から湧き出たものなのか、それとも無意識的に最大公約数的なことをやっているだけなのかわからなくなってしまって。自分の表現すべてに疑いみたいなものが立ち上がっていたんです。でもカメラを触ってみて、これはちょっと違う感覚だなと感じました。もちろんカメラも、場所や構図、モチーフから、 シャッターを押すということ自体、自分の判断ではあるんですが、光や時間を捉えることで機械であるカメラとそれを操作する自分が対等な関係としてひとつの装置になっている感覚があって、 自意識みたいなものから少し離れられる媒体なのではないかと思ったんです。 その感覚に心地良さみたいなものを感じて、カメラを使うようになりました。

ーーこれまで培ってきた絵画的視点が、写真の撮り方に影響していることはありますか?
私の作品は、自分の身体を撮影し、それを解体してまた再構成するものなんですが、そこにはやはり絵画的な感覚が介在しています。 絵画の文脈でいえばオーソドックスな手法だと思うので、 そういった視点はそのまま生きているのかなと思っています。

ーー他者の身体ではなく、自身の身体を題材にしているのはなぜですか?
シンプルに未知の存在を知りたいということが私の根源的な欲求であり、 今回の作品では、いかに幽霊に近づいていくかということをテーマにしています。他者の身体を題材にしてしまうと、他者である私ではない誰かが幽霊に近づいていってしまう。その存在を知りたいというのが私の欲求なので、 自分で幽霊に近づきたいんです。疑似実験という形をとっているので、 最初に実験体になるのが私である必要があるのではないかと思いました。それに日本では、藁人形のような代替物を介して人に作用する民族的な風習があるので、他者の身体を扱うことにも若干の抵抗を感じました。 自分で責任を持てる素材なので、 シンプルに自分の身体を使っているという面もあります。

自身の身体の写真を題材にした作品。©︎ Akari Takenobu

ーー未知の存在に近づきたいという欲求には、子どもの頃の体験が背景にあるそうですね。
子どもの頃に住んでいた家が、超常現象と呼ばれるようなことが起こる家だったんです。誰もいないところから音がしたり、なんだか変な気配がしたり。実際に何かが見えたことはないのですが、 訪れた人はみんな怖い思いをしていて、いわゆるホーンテッドハウスだったのかなと思っています。しかも私はひとりっ子で、家にひとりでいることが多かったので、いつも何か目に見えないものと共存している不思議な感覚がありました。これは何だろうなという興味が湧いてきて、未知のものに対して、恐怖というよりも好奇心を常に持っていました。人間の既存概念では説明しきれない未知のもの、人間の知覚の外側にあるものに対して考え始めたのがきっかけですね。

ーー幽霊のイメージは日本と海外で少し異なるようにも感じますが、今回の展示で海外の方にどのように受け取られると思いますか?
私の中の幽霊って、いわゆるジャパニーズホラーみたいなじめっとした感覚はあまりないんです。便宜的に幽霊と言ってはいますが、未知のものを総称しているイメージです。制作自体を疑似実験だと捉えているので、わからないという状態をとても大事にしているし、何かを断定したくないんです。日本だと、幽霊の話を信じるか、信じないか、そもそも存在するのか、しないかみたいな話になったりしますよね。私は存在していても、存在していなくても、どちらでもいいと思っています。ただ、それが何なのか知りたい、未知のものを知りたいという欲求があるだけなんです。だから作品を作ることで答えを出したいのではなく、その未知なるものに接続し続け、思考し続けることが重要だと考えています。海外でいうゴーストや妖怪、あるいはまったく異なる超常現象かもしれないし、みんなが想像する幽霊がどのようなものかはわかりません。でも、神道や仏教といった日本の宗教観は確実に自分の中にあると思うし、 そうした背景の違いがどのように海外の方に捉えられるかは楽しみですね。

カラーブロックで仕切られたシンプルな展示空間で、武信のモノクロ写真が強い存在感を放つ。

ーー制作におけるコラージュのプロセスは、どのような意味を持っていますか?
まず自分の身体をカメラに収めると、身体からイメージに変換されるので、 そこで一度物質性がなくなると思っています。そのイメージを切断すると自身の擬似的な死を迎えることになり、それを再構成するというプロセスを踏んでいくことで、どんどん自分の身体から遠ざかっていきます。転写したり、拡大したり、そのイメージを再撮影したり、 アナログな工程を挟むことで改めて物質性を与えています。いろいろな転移の形によって、 徐々に自分から離れていくというような感覚です。 自分と未知との存在の境界で、浮遊するようなものを作るイメージで制作していますね。

多様なアプローチが光るコラージュ。©︎ Akari Takenobu

ーー擬似的な死とは、どのような感覚なのでしょうか?
この作品に限らずなのですが、自分を透明な装置にしたいという思いを大切にしています。 人間って、ものすごく自分という存在に収束していると思うんです。未知のものに近づくためには、 どうしても人間の範囲内でしか近づけない。私の言う擬似的な死とは、自分が透明な装置になって未知のものに接近しやすくなるイメージです。制作の工程を重ねれば重ねるほど、自分から遠くに離れていって、自分がどんどん透明になっていく感覚です。

ーーその透明な装置になりたいという思いに至ったきっかけはありますか?
美術って意味を求められるも多いのですが、意味に縛られてしまって不自由さを感じることもあります。すべてに意味を与えたり、何かしら答えを出したりしなくてもいいのではないかなと思うようになりました。意味や名前を付けすぎてしまうと、かえってそれに縛られて本来のものが届かないこともあると思います。シンプルな欲求に従って進んだっていいし、わからないままでもいいのではないかと思っています。そういった意味から解放されて、本当に無意味になっていきたい、透明な装置のような存在になりたいという気持ちはあるかもしれません。ただ、その境地に到達することはないでしょうね。きっと一生をかけてもそこまでいけないからこそ、実験という形に変えて続けていきたいのだと思います。

最優秀賞を受賞した、いまの気持ち。

ーー「Face to Face」というアワードのテーマに対しては、どのように解釈して作品作りに望みましたか?
私と見えない他者、今回でいえば幽霊みたいなものや未知の存在との呼応という形で捉えています。 私の元々の作風なのですが、このテーマを見た時に自然に結びつくと感じて応募しました。 私の身体から出てきているけれど、私ではないこの謎の何かみたいなものとも、ある種向き合っている。 自分ではないけれど、完全な自己でも、完全な他者でもない何かと同時に向き合うことでもあります。そういった意味でも「Face to Face」ではあるのかなと思っています。

経年変化を経たような質感のプリントもユニーク。©︎ Akari Takenobu

ーー 今回の受賞をどのように受け止めていらっしゃいますか。
一貫して私が大事にしているのは、無理に答えを出すのではなく、わからないものはわからないものとしてそのままにすることです。その感覚を大事にしながら、どうやってアプローチできるのか疑似実験として試みる。答えを出すのではなく、ずっと思考を続けていく。文脈によっては受け入れることが難しい題材だと思うので、それを芸術的な探求として受け取ってもらえたことがとても励みになりました。今回初めてヨーロッパに来たのですが、人種や文化を越えて自分の試みがちゃんと伝わっているということも嬉しいし、だからこそ、今後もこの探求を続けていきたいと改めて感じています。

今回の授賞式で、初めてヨーロッパを訪れたという武信。

ーーこのようなディオールの取り組みは、 若いアーティストにとってどのような意義があると感じますか?
実際に私がアルルに来ることができたことも含めて、このような機会があること自体がとても意義深いと感じています。ファイナリストの方々の作品も本当に魅力的なものばかりでした。でも一方でなかなか発信する場がないという現実もあると思うので、 若いアーティストたちを、意義のある形で支援してもらえることはとても重要だと思います。これまでの受賞者たちの作品もそれぞれ個性があって、多様なアーティストをフィーチャーされていることも本当に自由であって、 素晴らしい取り組みだと感じています。

同じく、日本からファイナリストとして選ばれた東京藝術大学の袁辰の作品も展示されている。

ムッシュ・ディオールがクチュリエとして脚光を浴びる以前、ギャラリストであったという背景からも、メゾンのDNAに芸術への深い愛が刻まれているディオール。若いアーティストに新たな機会を提供するその姿勢には、芸術を未来へと繋いでいこうとする揺るぎない意志が感じられる。

2026 ディオール ヤング フォトグラフィー&ビジュアル アーツ アワード
日程:10月4日まで開催中
会場:La Lampisterie(LUMA Arles)
料)入場無料
問い合わせ先:https://prix-dior.luma.org
※『Threshold』は、2027年初頭より、パリのヨーロッパ写真美術館にて展示予定

  • text: Momoko Suzuki
  • photos: Andrea Cenetiempo for Christian Dior Parfums