【西川美和×二階堂ふみ対談】映画『わたしの知らない子どもたち』が描く、女性が「戦後を生き抜く」ことの意味するものは。

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21世紀、世界ではいまだ紛争の火種が絶えない。2026年の日本は、長年の平和国家路線から転向し、軍産複合体的な動きや戦争への備えの加速が顕著となり、その動きに警鐘を鳴らすように『開戦前夜』(石井裕也監督、7月31日公開)『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』(塚本晋也監督、9月11日公開)など戦争を題材とする力作が発表されている。


西川美和監督の最新作『わたしの知らない子どもたち』(10月16日公開)は戦後、孤児となった子どもたちの知られざるサバイブの日常を掘り起こしたもの。9月10日から20日まで開催された第51回トロント国際映画祭(TIFF)のプラットフォーム部門(コンペティション)に正式出品され、日本映画では初めての同部門のオープニング上映作品にも選ばれた。孤児となり、東京の闇市で男の子として生きることを決めた琴子(小八重葵美)と、親族の迎えがない琴子と上野駅で別れたことを悔やむ教師・曽根文美子(二階堂ふみ)のそれぞれの戦後を丹念に追う。オリジナル作品を手がけた西川美和監督と、文美子を演じた二階堂ふみに、作品の主題について聞いた。


――二階堂さんが演じた曽根文美子先生は、国民学校で琴子の担任教師を務め、戦後は赤ん坊を抱えるシングルマザーとなります。文美子の人物像は、小津安二郎監督が『風の中の雌鶏』(1948年)で田中絹代に演じさせた、病身の息子を守るためひと晩だけ身を売る決意をした母親像への、ある種の返答のように見えます。

西川 資料を調べるといろんな事情で誰にも頼る先がなく、終戦後は身体を売って暮らした女性のことが出てくるし、なんとなくは知っていたつもりでした。けれど、今回映画の脚本を書くために初めてきちんと調べていくと、さらに驚くことが多々あったんです。たとえば1945年8月15日、昭和天皇の玉音放送から3日後に日本政府は「外国軍駐屯地における慰安施設設置に関する内務省警保局長通牒」を発出し、全国の知事に米軍など進駐軍向けの慰安施設設置を命じているんです。「ああいう時代だったからしょうがなかったね」と社会が諦めてやり過ごしてきたことに対して「いや、おかしいでしょう」と都度、いろんな言葉で語ってくれた女性たちがいたからこそ、いまの時代でも、同性の私たちに記録や資料として残って、知れる部分がある。
現代と私が目を付けたテーマがうまくリンクして、二階堂さんが演じてくれた文美子のとるある選択について、現代の観客ならあの時代の社会の歪(いびつ)も含めて、ストレートに受け止めてくれるんじゃないかという気がしています。

敗戦後、疎開先から東京に戻った琴子(小八重)と教師の文美子(二階堂)。家族の迎えがなかった琴子は心配する文美子を突き放し、別れを告げるが……。

――二階堂さんが演じる文美子は、西川監督が指摘したRAA(特殊慰安施設協会)で働くことで赤ん坊との生活を守りますが、胸に鈍い痛みが響くようでした。

二階堂 終始痛みを伴いながら演じている感覚でした。RAAは終戦の1946年3月に封鎖されるのですが、場所はダンスホールの中に設置されていて、米兵たちは入り口の窓口でチケットを購入し、女性たちはそのチケットを受け取ることで“一日何名相手をしたのか”人数がカウントされ、日当を受け取っていたそうです。演技ではありますが、窓口で換算された紙幣が渡されると「ああ、これで自分と子どもはしばらく生き延びることができる」という感情が湧いて出てきて、やっぱり、どこか安心するんですね。
戦争中の文美子は国民学校の教師として、生徒たちにアメリカは憎むべき存在であると教えていたのに、数か月後には彼らに身体を開いて、自分の命を繋いでいくしかなくなる。「生きることだけに集中して、強くなっていくしかない」という感覚が強くて、身を売ったお金でうどんを食べるシーンでは、お腹は空いているし、お腹を満たしたら、次は心を満たしたいと思いましたし。それぐらい、演じる上で枯渇していました。

「人が困窮した時に、何がその人のセーフティネットとなっていくのか」

Fumi Nikaido/俳優。1994年、沖縄県生まれ。映画『ガマの油』(2009年)でスクリーンデビュー。映画や舞台を中心に活動し、国内外の映画祭で数々の賞を受賞。エミー賞受賞ドラマ「SHOGUN 将軍」にも出演。

二階堂 映画冒頭の文美子の設定としては、関東近郊の国民学校に子どもたちと疎開中。おそらく東京に好きな人がいて、物理的にそばにいられない状況下で子どもができて、それまではある意味、自分が下に見てきて、自分とは違うと線を引いてきた人達に向き合わなくてはいけなくなった瞬間が、戦後を生き抜く中であったんじゃないかと思います。他にも、RAAで米軍相手に働くようになった中で、定期的に婦人科検診を受けて、性病にかかっていないかの検査をするシーンがあるんですけど、あの場面が、撮影中、実はいちばんしんどかったというか、一気に感情が出てくる感覚がありました。本当に痛みを感じる場面でしたね。

――二階堂さんが話されたようにRAAは1946年3月に閉鎖され、その後、職を失った女性たちが一斉に路上に出て街娼化し、「パンパン」「パンパンガール」の呼称が定着します。田村泰次郎の小説『肉体の門』(1947年)とその舞台化の大ヒットをきっかけに映画界で量産されるようになり、日本映画界ではマキノ正博+小崎政房監督の『肉体の門』(48年)を筆頭にたくましく生きるパンパンガールを描く映画が作られて行きますが、二階堂さんの演じた文美子はそれらの映画と比べても、市井の女性像として徹底されています。

二階堂 もちろんたくましく生き延びた人たちがいたっていうのも事実だと思いますし、だからこそ、映画でそのたくましさが強調されてしまい、ある種のステレオタイプを作ってしまったという側面があるかと思います。

Miwa Nishikawa/映画監督・脚本家。1974年、広島県生まれ。2002年に『蛇イチゴ』で監督デビュー。オリジナル脚本・監督作『ゆれる』(06年)がカンヌ国際映画祭監督週間に出品。近作に『すばらしき世界』(21年)など。

西川 それこそ、小津監督の『風の中の雌鶏』で田中絹代さんが演じた主人公のように、ごく一般の人達の中にも、ある一時期、やむを得ず身を売る仕事をしたひとがいたということをちゃんと描いておきたいなと思いました。だから文美子の見せ方は具体的に、二階堂さんと話し合いましたね。RAAにいる時の彼女はどれぐらいのお化粧なのか、どういう衣装の具合にするかなど。文美子は教師だったのはずで、戻れないかもしれないけど、戻れるものなら戻りたいという気持ちがどこかである。その辺りは二階堂さんやヘアメイク、衣装のスタッフとも話し合いながら、文美子の変化の仕方を共有しあい、うまく着地したのではないかと思っています。

――『わたしが知らない子どもたち』は、二階堂さんが演じる文美子の生活と、文美子の疎開時代の教え子であった琴子の戦後の闇市でのサバイバルが相互に展開していく内容です。琴子が生き残るために、女性であることを封じて、少年として生きるという選択を取る内容にした理由をおしえてください。

戦争孤児となった琴子は「ある情景」を見た後、髪を切り男装して闇市を生き延びることを決意する。

西川 人が困窮した時に、何がその人のセーフティネットとなっていくのか、ですよね。特に戦後のGHQによる占領下で、国家から国民への支援があてにならないとき、男の人の場合は暴力団の組織が受け皿となり、女性の場合は自らの肉体を差し出すビジネスが目の前にあると、そこを頼ってしまうというのはいまの時代とあまりかわらない。他に助けてくれる存在はいないのか、助けられる仕組みが社会にあっても、すべての人はそれでは救われないのか、永遠の謎めいた部分もあるんですけど。困った人がいても、社会全体が「そこでいいじゃないか」と、他の道を是正してこなかった面があるのは確かですし、あまり価値観が大きく変わっていないな、と思う点もあったので、その驚きを今回、映画に描いてみたということです。

――琴子役に小八重葵美さんを抜擢した決め手を教えてください。

西川 目の表情が非常に魅力的な人で、「撮られる貌」だなって思ったからです。オーディションに参加してくれた子どもたちに、琴子と同時に親友のゆきちゃんの役の両方の演技をやってみてもらったんですね。ゆきちゃんは疎開先から上野駅に戻ったとき、迎えがいて、その後は家族のために若くして働くという人物。だいたいの女の子は、ゆきちゃんの役は上手く演じられるんです。ちょっと切なくて、意思が弱い感じの演技で。でも琴子の役にはなかなかハマらない。その中で葵美ちゃんは、お芝居の経験が少ない方だったんですけど、屈託なく演じながらも、台詞が自分の言葉になっていた。オーディションは映画の冒頭にあるエピソードで、音楽家の父親に反対されながらも、疎開先に行きたいと口論している場面だったんですけど、表面的にはふんわりとしたお嬢さんなのに、根っこに琴子と共通する芯の強さを感じました。あと、終盤のシーンで琴子がモーツァルトの子守歌を歌うのですが、選考に残ってきた子の中で抜群に上手かったんです。

二階堂 撮影の時、葵美ちゃんは12歳だったのですが、私も同じような年齢から仕事を始めていて。撮影現場に初めて行った時の年齢も近く、大人たちに囲まれる中で非常に綺麗な真っすぐな目で大人たちを見ている。その視線が怖いんですけど、とても素敵で、魅力的だなと思いました。俳優というお仕事をしているとある意味、嘘をつくのが上手くなっていくし、その嘘という技巧を商売にしていくんですけど、いまの葵美ちゃんにはそういうのが本当になくて……。言葉に真実味があるからこそ、彼女の口から出てくる言葉がセリフにならないというか。出てくる言葉にすごく強さがあって、なおかつ、この強い言葉に負けないのはすごいなって思いながら現場でご一緒していました。

「ないもの」として扱われる生理や、「戦後」を描くことの難しさとは。

西川 選ばれた子どもたちが戦争のことをどれぐらい知っているのか。オーディションで聞いたら、ほとんどが勉強したことがないとか聞いたことないという。私は広島の出身なので、子ども時代、広島原爆についてのことは嫌でも耳に入って来るけど、二階堂さんが生まれ育った沖縄のことをどれだけ知っているのか、長崎はどうなのか。そう広げてみた時に、自分の知識は偏っているなと思いました。オーディションに来た子たちは東京近郊の子でも東京大空襲のことを知る機会もが少なく、戦争を巡る知識の下地を育む時間が家でも学校でもなくなってきているんだな、と気付きました。助監督さんたちも20代、30代が中心なので、子役の子どもたちも含めて一緒に集って勉強しましょうと、戦争資料館に行ってみたり、上野駅周辺を歩いてみたり、戦争体験者の方に話を聞いたりする時間を持ちました。

二階堂 私が西川監督の作品ではっとさせられるのは、人間って種類に分けられない、多面性を持っていると気付かされることです。描かれる作品の中で、被害性と加害性の関係とか、人が置かれている環境の要因によって決まってしまうところがあるんじゃないか、人間とは能動性だけじゃない生き物なんだということを感じます。『夢売るふたり』(12年)で、松たか子さん演じる里子という女性が、生理になってナプキンを替えるシーンがありますが、衝撃的だったというか。女性の生理がきた状況をある意味、俯瞰から捉えていて、視線が俯瞰だからこそ一気に心が捕まれる瞬間もある。私にとっては、西川監督の演出を強く意識した最初のきっかけがそこだった。おそらく自分に対しても他者に対しても、ある程度厳しさというか、緊張感をもって人間を見ている方に違いないって思ったんです。

――西川監督は本作では、少年として暮らしていた琴子が生理を迎え、他の少年たちと暮らす中で、自身の処遇に困るという描写を入れています。ある人物から生理について知識を受ける場面での言葉が、非常に印象的な台詞でずっと心に残っています。

男子に混ざって暮らしていた琴子だったが、ある日唐突に生理が始まる。誰にも相談できない恐怖と混乱が彼女を苛み……。

西川 「書いてやろう」という意識が先にあるわけではなく、シチュエーションごとに台詞を考えて思いついた言葉なんです。でも、作品を観ていただいた方たち、特に女性陣から「生理を迎えるにあたっての心得のような言葉を、映画の中で初めて観た」と言われることが多い。私たち女性は生理がはじまると、毎月、ただずっと体から出血しているというだけでなく、生理に伴ういろんな身体の変化や体調に支配される。けれど社会的にはそういうことがない、何にもないかのように振る舞わなければならない。そのことにまつわる場面を映画で喋ってくれたことで救われたという意見を頂いたりしているので、いかに映画の中で生理について言及されてこなかったのか、と私が気付かされることとなりました。

――最後に、戦後81年目を迎える2026年、日本政府は長らくとっていた平和路線から大きく転換し、民間と国が軍産複合体的な動きを加速させたり、軍備費を増大し、戦争への備えを強く訴えるなど、国民と戦争の距離がどんどん近くなっていると感じます。おふたりは、この時期に、戦争で国によって保障されなかった孤児とシングルマザーの存在にフォーカスしたこの映画を世に出す意味をどう感じていますか?

二階堂 私の祖母が沖縄戦を経験しています。戦争の傷が生み出した職業があり、その女性たちに向けて商売をした人たちがいて、そういう話を聞くとパンパン映画のようにパンパンガールを神格化したり、アイコニックな描き方をすることには、そうされることで救われた人がいたかもしれないけど、必ずしも両手を挙げて受け入れることはできない。戦争によって痛みを持って生きた人たちがいる、その中には自身の苦しい状況を誰かに向かって訴えたりする声を持てなかった人たちがいる。今回、私が『わたしの知らない子どもたち』で大切にしたことは、その人達の代わりにはなれないにしても、思いを向け、思いを寄せて演じることでした。

西川 地方に疎開していた子どもたちが、戦争が終わって東京に戻ってきた時、迎えが来なかった子に対して、担当教師たちがどう対処したのか、その詳細はよくわからないんです。帰ってきたら親がいなくて、そのまま街に放り出されたみたいな記述はいっぱい出てくる。いっぽうで児童保護の研究者たちは、担任の教員は迎えがいなかったら孤児施設に送り届けたはずだ、ということを言われる。だったらなぜ1948年(昭和23年)2月1日現在で実施された厚生省の「全国孤児一斉調査」では、数え年で1歳から20歳まで、123,500人もの戦争孤児が生まれたのか。学校の先生がすべての子どもたちの行く末をケアしていたら、街に丸腰で放り出されたわけがないし、どういう状況で放置されたのか。本当にわからないことばかり。
結局、私自身も戦争の実体験があるわけではないから、演出の場で“そうじゃないんだ、もっとこうでしょ”という言い方はできなかった。「お腹が減っているから、雑炊をがっついて食べてほしい。ここでは飢えているからね」と言っても、当の子どもは飢えたことはないんだから、その切迫感がわからない。私だって同じです。頭でわかろうとしても、本当の飢えなんか知らないんですよ。その、お互いに戦争を知らない世代がどうやってそのことを伝えて、映像で再現していくのか。とても難しいし、体験もしてもいない被害を我がことのように語って被害者の仇討ちをするような意識では物を作りたくない。どんな作品なら、自分の体験しない戦争や、遠く離れた人の痛みを想像できるのか、それを考えながら、出来上がったのがこの作品です。

『わたしの知らない子どもたち』
●原案・脚本・監督/⻄川美和
●出演/⼩⼋重葵美、⼆階堂ふみ、坂東⿓汰、櫻井海⾳、花瀬琴⾳、羽⼭由⼀郎、⼩林丞之介、岩⽥⿓⾨、渋⾕そらじ、武内ひなた、北村有起哉、吉⽥ ⽺、⽵野内 豊、岡⽥准⼀ / ⽥中裕⼦ 役所広司
●2026年、日本映画
●PG-12 ●150分
©2026 K2 Pictures・AOI Pro.
https://k2pic.com/film/wsk

  • photography: Riho Harashima
  • interview & text: Yuka Kimbara