パリのMEPでモードをメインに、アーヴィング・ペンの写真展が開催中。

Paris

今年はMEP(Maison Européenne de la Photographie/ヨーロッパ写真美術館)開設から30年、そして写真誕生から200年ということから、このダブル・アニバーサリーを祝って『Penn & Fashion』展が開催されている。Irving Penn(アーヴィング・ペン/1917~2009年)はMEPコレクションの創設メンバーで、彼とは1990年初頭から緊密な関係を続けてきたそうだ。ペンの写真展は過去に多数開催されているけれど、この展覧会ではモードにフォーカスが置かれ、主にMEPの所蔵作品とスイスのNicolas Erni(ニコラ・エルニ)コレクションが所蔵する写真で構成されている。1947年から2008年までの写真を、10の部屋で年代順に展示。ペンのモード写真なら知っているという人にも珍しい写真が含まれ、またペンの写真を掲載したVogue誌もプリントと併置しているので彼のビジョンと雑誌編集のズレも見ることができるのは興味深い。1カット切り出された、残りのコンタクトシートの展示と選ばれた1カットのプリントの同時展示についてもそれは同様だ。見所がいっぱい詰まったこの展覧会は来年1月17日までの開催。

展示会場から。左:1948年、ヘルマン・ランツホッフが撮影したアーヴィング・ペン。彼が撮影された写真は知っていても、顔を知らないという人も多いのでは? 右:ペンと雑誌ヴォーグの関係は、リチャード・アヴェドン(1923〜2004年)とハーパーズ バザー誌のように深い。photography: Mariko Omura

始まりはヴォーグ誌の静物写真、
ありがとうアレクサンダー・リバーマン!

ペンは写真家になろうと写真を学んだカメラマンではない。彼はフィラデルフィアのインダストリアル・アート・ミュージアム・スクールで偉大なるアレクセイ・ブロドヴィッチの生徒として、グラフィックデザイナーへの道を歩んでいた。在学中にはハーパーズ バザー誌のアートディレクターだったブロドヴィッチのアシスタントの仕事もしている。ヴォーグ誌のアートディレクターに就任したアレクサンダー・リバーマンからグラフィックデザインの才能を買われたペンは、レイアウト、スティルライフ写真のコンセプト、カバー写真のアイデアなどの仕事に雇われるのだ。しかし、彼のしっかりしたビジョンゆえにリバーマンからすぐに写真家としての撮影を任されることに。1943年にペンは写真家としてヴォーグ誌でデビューを果たす。そして65年間、ヴォーグ誌の仕事を続けることになる。

「モード界のポートレート」のコーナーで展示されている、ペンが1948年に撮影したアレクサンダー・リバーマンと妻(右)。photography: Mariko Omura

年代順の展覧会ゆえ、最初の部屋ではリバーマンとペンの二人の出会いから生まれたVogue誌のための初期の写真が展示されている。3年後に結婚することになる当時のトップモデル、リサ・フォンサグリーヴを含む「12名の時の美女」という撮影もあった。これについては雑誌の掲載ページとプリントの両方を見せているのだが、自分の作品としてのプリントでは女性たちの顔をあえてピンボケにしているのが面白い。

左はペンのスティールライフ写真の中でも、有名な1947年11月1日号掲載の「Theater Accident」。下のガラスケースの右には、「アメリカでもっとも撮影された12名のモデル」というタイトルで1947年5月1日号の掲載されたページが。その上にペンによる別バージョンのプリントを展示。photography: Mariko Omura
1947年撮影のモデルたちが頭を動かしてピンボケの顔の「12 models Moving Their Heads」。ニコラ・エルニ・コレクション。

スタジオ写真で知られるペンにしては珍しいのが、1948年にヴォーグのためにペルーのリマで敢行された街中でのファッション撮影である。初のルポモード写真。これは雑誌の掲載ページがガラスケースに並べられているので、じっくり見てみたい。

ファッション写真にフォーカスを置いた年代順の写真展であるが、今回の特徴はファッション撮影と同時期に彼が撮影した別ジャンルの写真も展示して、見応えをアップしている。この部屋ではクスコで撮影したポートレートの紹介だ。このモード撮影の後、クリスマスの時期を利用してリマからクスコへと足を延ばしたペン。そこでクリスマスのために山から降りてきたケチュア族に出会ったのだ。彼らの民族衣装に魅了されたペンはクスコの町にスタジオを借りて、シンプルなバックドロップの前に彼らを立たせて自然光撮影を行う。3日間で2~3,000点という膨大な数を撮影するのだ。ミニマルな環境で被写体と向かい合っての撮影。そのあとの彼のスタジオ撮影の原点、ここにありなのだ。

1948年、ヴォーグ誌のためにリマ市内で行われたファッション撮影。モデルはジーン・パチェット。ペンによる珍しいロケ写真がプリントと雑誌で見られる。
クスコでの撮影。「Standing Woman with Braids」(1948年)。The Irving Penn Foundation

1950年代、オートクチュールとパリのプティ・メティエ。
そしてモノクロ写真。

「パリ・コレクション」「1950年代、モノクロ写真の嗜好」の部屋へ。パリで年に2回開催されるオートクチュール・コレクションを、1950年からペンはパリに赴いて撮影。クチュリエから届けられる最新クリエイションを彼が撮影していたのは、パリ6区ヴォジラール通り88番地のかつての写真学校の最上階のフロアだ。劇場の古いカーテンをバックドロップに、自然光で、1対1でモデルを撮影するというペン・スタイルがこの時から60年以上続くことになる。ちなみに当時は大掛かりな照明撮影が主流だった時代だ。

「パリ・コレクション」の部屋では妻リザ・フォンサングリーヴが被写体のクチュールドレスを纏ったプリントが展示されている。そのモノクロ写真の構図はとてもグラフィック。ここでは彼が1950年にパリで撮影した石炭運び屋、風船売りの写真もモード写真に並べ展示。というのも彼はガラス売り、肉屋といった個人で営む小規模な商売人を被写体にした“プティ・メティエ”シリーズをパリで始めていて、その後これをロンドン、ニューヨークでも続行。土地は変われどスタジオ、自然光、バックドロップというシンプルな撮影法は変わらない。

「1950年代、モノクロ写真の嗜好」へ移ると、彼のモノクロ写真へこだわりを語る部屋だけあり、展示されているペンによるプリントはモノクロ写真だけれど、雑誌に掲載されたのは同じカットのカラー写真ということも。

ペンのモノクロ写真に見られる洗練された美意識、卓越した構図に改めて惹きつけられる展覧会。なお今回展示されているハイクオリティのプリントは全てペン自身によるものだという。彼は1973年にマンハッタンのスタジオを閉鎖して、ロングアイランドの農場に設けたラボでプラチナ・パラジウム・プリント技法の研究に専念している。展覧会の最後まで続く上質のプリントによる展示が、見応えをより大きなものにしている。

1950年撮影の『Harlequin Dress』。スエーデン人のトップモデル、リサ・フォンサグリーヴス。この年にペンと彼女は結婚している。collection The Irving Penn Foundation, New York ©︎Condé Nast
左はオートクチュール、右はプティ・メティエ。photography: Mariko Omura
ヴォーグ誌初のモノクロの表紙。1949年。Nicolas Erniコレクション ©︎The Irving Penn Foundation
左:NY、1949年。リサをモデルに「チキンハット」の撮影。 右:展覧会場に彼がパリでの撮影に使っていたヴォジラール通りのスタジオの写真が。photogrqphy: Mariko Omura

「ファッション界のポートレート写真」

ポートレートの展示より。左:MEPのコレクションから、1947年撮影のクリスチャン・ディオール。©︎The Irving Penn Foundation 右:左はジャック・ファット、右はシャルル・ジェームス。ペンは2枚のパネルで被写体を挟み込むようなセッティングで撮影。その結果、通常とは異なる構図のポートレートが。photography: Mariko Omura

「1960~70年代」

「1960〜70年代」より。1963年にヴォーグ誌の編集長がダイアナ・ヴリーランドに変わり、モード界ではプレタポルテの台頭。こうした変化の中でペンはクレージュ、エマニュエル・ウンガロなどのクリエイションを撮影する。モデルもローレン・ハットン、ヴェルーシュカ、マリサ・ベレンソンといった次世代にペンはスタジオで向き合うように。この時代、スタジオでの撮影と並行して、彼はモロッコ、ネパールといった国々をヴォーグ誌のために訪問し、現地の人々を民族衣装で撮影する仕事を行なった。写真は1968年にクチュールメゾンをクローズしたクリストバル・バレンシアガの1967年のクチュールコレクションからローズ・ドレス。ニコラ・エルニ・コレクション所蔵。©︎Condé Nast

「パリの美しいドレス、1974年」

1973年、ダイアナ・ヴリーランドがキュレーションを担当したメトロポリタン美術館でのモード展『Les belles robes de Paris 1909-1939』のカタログのための撮影をペンが行なった。美術館内の片隅にスタジオを設けて彼は展示される服をプラスティックのボディに着せて撮影。写真は2点ともマドレーヌ・ヴィオネ。右は展覧会のカバーに使われた写真だ。photography: Mariko Omura

「1980~90年代:豪奢とミニマリスム」

1983年、ヴォーグ誌の編集長にアナ・ウィンターが就任。イヴ・サンローランのキュービスム・コレクション中、ジョルジュ・ブラックの作品にインスパイアされた刺繍のケープ。©︎Condé Nast

1986年から13年間、イッセイ・ミヤケと刺激し合うコラボレーション

「イッセイ・ミヤケ アウン」の部屋に入ると目を引くのは、黄色い壁に並べられたペンの撮影によるイッセイ・ミヤケの12枚の特大ポスターだ。1986年から13年間、ペンはイッセイ・ミヤケのクリエイションを撮影。これはイッセイの母親がヴォーグ誌におけるペンの仕事を知っていたことがきっかけで始まったコラボレーションだそうだ。イッセイがパリコレで新しいコレクションを発表し、その中から何点かを東京からニューヨークのペンのスタジオに送って……という方法で、13年間。イッセイ本人はニューヨークに出向くこともなく、撮影にも立ち会わず、ペンの目が自身のクリエイションにもたらしたものを上がった写真に見出すことを楽しみにしていたそうだ。互いの間に大きなリスペクトと信頼があり、素晴らしい結果を生み出していた撮影である。

展示されているポスターは、このようにして撮影された写真がアートディレクターの田中一光によるレイアウトとタイポグラフィーで制作されたもの。

田中一光がアートディレクションしたペンの撮影によるイッセイ・ミヤケのコレクションのポスター。photography: Mariko Omura

イッセイ・ミヤケ本人は東京に残っていたが、毎回撮影に立ち会っていた人物がいる。それは彼のアタッシェドプレスでクリエイティブディレクションに関わっていた北村みどり(現株式会社三宅デザイン事務所 代表取締役社長)だ。別室でこの撮影にまつわる東京・パリ・ニューヨークの時間を描いたアニメーション・フィルムが映写されている。自由とリスペクトが可能にしたコラボレーションのバックステージをのぞいてみよう。

アニメーションフィルムから。13年間撮影スタッフは不変で、メイクを担当していたのはTyen。ディオールのメーキャプアーティストとして知られていた人物だ。photography: Mariko Omura
会場では、ペンが撮影したイッセイ・ミヤケのクリエイションの写真も展示している。1993年にニューヨークで撮影された「Young Woman in a Net (Miyake Design)」©︎The Irving Penn Foudation
1991年にニューヨークで撮影された「Issey Miyake: Face covered with hair」。©︎The Irving Penn Fondation

「2000年代:黄昏のモード」

2000年代、モデルはペン自身が選びスタジオでファッション撮影を続けた。最後のモード写真は91歳で撮影したクリスチャン・ラクロワのクチュールドレス(上左)だった。

「ビューティーを超えて」

ヴォーグ誌のビューティページのための撮影は、2000年代に入っても衰えぬクリエイティビティの持ち主ペンの自由に任されていたそうだ。写真家のキャリアにおいて、ペンはお面、マスク、パック、帽子などで顔を隠して被写体を撮影することが少なくなかった。photography: Mariko Omura
展覧会のポスター。ペンの写真としては珍しい2カットが展覧会のポスターに用いられている。左は1969年撮影、モデルはナオミ・シムス。右は1956年撮影の「Head with Ornaments」。

『Penn & Fashion』展
開催中〜2027年1月17日
MEP/ Maison Européenne de la Photographie
5/7 , rue de Fourcy
75004 Paris
開)11:00〜20:00(水、金)、11:00〜22:00(木)、10:00〜20:00(土、日)
休)月、火
料)13ユーロ
https://www.mep-fr.org/en/homepage/
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大村 真理子

madameFIGARO.jpコントリビューティング・エディター

東京の出版社で女性誌の編集に携わった後、1990年に渡仏。2006年から「フィガロジャポン」パリ支局長を務めた後、フリーエディター活動を再開。主な著書は『とっておきパリ左岸ガイド』(玉村豊男氏と共著/中央公論社刊)、『パリ・オペラ座バレエ物語』(CCCメディアハウス刊)。