アンヌ・パリローとアラン・ドロン——。24歳差の美男美女カップルの裏にあった光と影。
1980年代初頭、ふたりは華やかで世間の注目を集めるカップルだった。しかし、その裏では、フランスを代表する映画俳優は、自分より24歳年下のパートナーをひどく苦しめていた。

アンヌ・パリローが、アラン・ドロンとの関係や、一方通行の愛がもたらす苦しみを言葉にできるようになるまでには、数十年もの歳月を要した。1980年代初頭、当時まだ20歳だった彼女は、自分に何が起きているのかを十分に理解できていなかった。彼女は、並外れた男性と、情熱的で唯一無二の特別な恋愛をしていると信じていたのだ。その男性とは、本能的な演技と大胆不敵な美貌で世界中の人々を魅了した、映画界の生ける伝説、「サムライ」ことアラン・ドロンその人だった。
すべては1981年に始まった。女優を夢見ていた若きアンヌは、次々とオーディションを受けていた。そんなある日、彼女はアラン・ドロンと対面することになる。当時アラン・ドロンは、自身が主演する映画『危険なささやき』で、ヒロインを探していた。オーディションの最中、アランはアンヌに対し、彼が演じる主人公シュカスの若き秘書、シャルロット役に求めるイメージとは合わないと、そっけなく告げた。それに対する彼女の返答はこうだった。
「私があなたの求める人物ではないのなら、なぜスクリーンテストを受けさせるの?」
彼女の大胆な物言いは、たちまちアラン・ドロンの心をつかんだ。普段はその圧倒的なオーラで、出会う人々を萎縮させるアラン。しかし、臆することなく彼に言い返したアンヌは、ほかの候補者たちとは一線を画した。こうして彼女は、自分自身と同じように物怖じしない女性、シャルロット役を射止めた。
彼女を形作る存在
撮影が始まって間もない頃から、アラン・ドロンは、21歳のアンヌと45歳の自分という、対等とはいえない2人の関係を築いていった。彼は彼女の師となり、女優として、そして一人の女性として成長していく彼女を形作る存在になろうとしたのだ。アランは恋愛面でもアンヌの心を射止めた。当時、ミレイユ・ダルクと15年以上にわたって交際していたアランは、アンヌを選んで彼女のもとを去り、長年のパートナーの心を深く傷つけた。若きアンヌは、世界中の女性たちの寝室に写真が飾られるほどのスター、アラン・ドロンに選ばれたのだと感じた。世界中の女性たちの寝室にその顔写真が飾られていたスターに「選ばれた」、さらには「特別な存在として認められた」と、若き女優は感じていた。憧れのスターが自分のベッドにいて、すぐ隣にいるのだ。
「彼は私に特別な愛情を注いでくれているのだと思っていました。きっと私は、相手を自分のものにしようとすることと、愛することを混同していたのでしょう。そこには、どこか歪んだところもあったのだと思います」
アンヌは45年後の2026年10月9日、フランス3で放送されたドキュメンタリー番組「Le clan Delon, l’impossible héritage(ドロン一族、受け継ぐことのできない遺産)」の中で、当時をそう振り返っている。
「苦しみの学校」
私生活において、アラン・ドロンはアンヌに容赦しなかった。彼女の一挙手一投足を管理し、食べるものにまで目を光らせ、ロードバイクに乗ることも強要した。その目的はただひとつ、あらゆる面で自分の理想とする女性像に彼女を近づけることだった。若きアンヌに対するアランの支配は絶対的なものだった。彼の前で、アンヌ・パリローは自分を押し殺していった。彼女は彼に従うことを受け入れ、そうしなければ自分は存在できないとさえ思い込んでいたのだ。アランは女優としての彼女の仕事も酷評した。映画『危険なささやき』の撮影中、アランに平手打ちされるシーンを見事に演じたアンヌには、周囲から拍手が送られた。しかし、その日の夜、アランは彼女を厳しく戒めた。
「ひとつのシーンをうまく演じられたからといって、偉大な女優になれるわけじゃない。いい気になるな。君はただ、やるべきことをやっただけだ。それ以上でも、それ以下でもない」
元パートナーの冷酷さに深く傷つけられたアンヌ・パリローは、当時を「苦しみの学校でした。こうした経験は、どうしても心に深い影響を残すものです」と振り返った。彼女はドキュメンタリー番組「Le clan Delon, l’impossible héritage」の中で、そう語っている。
アンヌ・パリローがアラン・ドロンのもとを去るまでには、結局5年の歳月を要した。彼女にとってアランは、何よりも「父親のような存在」だった。2018年、「パリ・マッチ」誌のインタビューで、彼女はこう語っている。
「彼は私の倍の年齢で、私を守り、導いてくれる存在でした。彼が私をどう見ているかは、私にとって非常に大きな意味を持っていたのです」
アランへの愛情と憧れに目がくらんでいたアンヌは、自分が彼の支配下に置かれていることに気づいていなかった。そもそも1980年代当時、こうした関係を「支配」と表現することはほとんどなかった。それどころか、アラン・ドロンの振る舞いは、むしろロマンチックなものとして受け止められていた。彼の激しい気性や、愛ゆえの激しい嫉妬として語られていたのだ。それでもアンヌ・パリローは、5年間にわたる精神的な苦痛と、絶え間ない侮辱に耐えた末、ドロンのもとを去る決意を固めた。
「相手との関係から得られるものよりも、その関係によって受ける苦痛のほうが大きくなったとき、私はその関係を断ち切るようにしています」
彼女は2024年、ラジオ局ヨーロッパ1の番組で、そう語っている。同年、アンヌ・パリローは8月18日にアラン・ドロンの訃報を知り、彼に追悼の言葉を捧げた。そして、自分を大きな喜びで満たすと同時に、深く苦しめもした、ふたりの複雑な関係をたった一文に凝縮した。
「あなたと過ごした日々、あなたに苦しめられたこと、そしてあなたによって味わったあらゆる感情。そのすべてに、ありがとう」
From madameFIGARO.fr
※この記事は、フランスの新聞社「Le Figaro」グループが発行する「madame.lefigaro.fr」で掲載されたものの翻訳版です。データや研究結果はすべてオリジナル記事によるものです。
- text: Solene Delinger (madame.lefigaro.fr)
- translation: Hanae Yamaguchi