ひとり息子のレオナルド・ディカプリオを支え続ける、83歳の母の存在とは?

Celebrity 2026.03.01

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第二次世界大戦下のドイツで波乱に満ちた幼少期を過ごし、つらい離婚も経験したイルメリン・インデンビルケン。彼女は人生に屈することなく、ひとり息子であるレオナルド・ディカプリオを支え、世界的スターの頂点へと導いた。

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イルメリン・インデンビルケンとレオナルド・ディカプリオが、ゴールデン・グローブ賞のレッドカーペットに登場。(ビバリーヒルズ、1994年1月22日)photography: Ron Galella / Ron Galella Collection via Getty

息子のそばにはいつも母の存在がある。あらゆる授賞式に寄り添い、愛情深く安心感を与える存在として、揺るぎない支えとなってきた。83歳となったいまも、イルメリン・インデンビルケンは、ひとり息子であるレオナルド・ディカプリオとともに、映画界最大級の式典に姿を見せ続けている。ゴールデン・グローブ賞から英国アカデミー賞まで、この光景は、30年にわたる伝統だ。来る3月16日、彼は再び母とともにアカデミー賞のレッドカーペットを歩くとみられている。

一方、その夜のライバルであるティモシー・シャラメは、ドルビー・シアターの会場に、カイリー・ジェンナーと手を取り合って現れるだろう。ディカプリオの恋人であるヴィットリア・チェレッティは、彼がこれまで愛してきたほとんどの女性たちと同じように、表舞台には立たず、静かに影にとどまるはずだ。かつてジゼル・ブンチェンやバー・ラファエリとレッドカーペットを共にしたことはあったものの、クリステン・ザング、トニ・ガーン、ニーナ・アグダル、カミラ・モローネ、その誰ひとりとして、最愛の母に真に並ぶ存在はいなかった。すべてを彼のために捧げ、手の届かないかに思えた夢を現実のものにするよう背中を押し続けた存在。それが、母イルメリン・インデンビルケンなのである。

ハリウッドで成功をつかめたのは、すべて母のおかげだとディカプリオ本人が声高に語っている。だからこそいま、彼は母を自分の世界の中心に迎え入れ、ショーン・ペンの隣に座らせ、仲間たちに誇らしげに紹介している。

「こちらは僕の母です。」彼は最近、ゴールデン・グローブ賞の舞台裏で、少し控えめに立っていたイルメリン・インデンビルケンのほうを振り返りながら、ジェイコブ・エロルディにそう声をかけたという。その一幕を収めた動画はネット上で話題となり、多くの人々の胸を打った。

@news.com.au Jacob Elordi's mum unintentionally snubbing DiCaprio is peak awards‑night chaos #jacobelordi #leonardodicaprio #goldenglobes ♬ original sound - News.com.au


戦争に引き裂かれた幼少期

その人生の始まりは、ハリウッドの華やかなきらめきとはまったく無縁の場所だった。1943年2月14日、第二次世界大戦のさなか、ドイツの防空壕の冷たく湿った空間で、イルメリン・インデンビルケンは誕生した。父はドイツ人の炭鉱労働者、母はロシアからの移民。両親は混乱と暴力が渦巻く時代のなかで、幼い娘を守ろうと必死だった。終戦間際、脚を骨折して入院していた彼女は、命を落としかねない危機に直面する。2004年12月、「ヴァニティ・フェア」誌のインタビューで、息子のレオナルド・ディカプリオは当時をこう振り返っている。「大勢の戦争難民や兵士たちが病院に運び込まれてきた。母はそこで五つか六つもの重い病気にかかり、3年間も入院することになった。祖母はほぼ毎日通い、看護師たちが手いっぱいだったため、母をつきっきりで看病した。母はほとんど見捨てられたような状態だった。」さらに彼はこう続けている。「当時の母の写真を見ると、胸が張り裂けそうになる。彼女が経験してきたことを思うと、涙が出てくる。」同誌によると、その言葉を語る彼は深く胸を打たれていたという。

数年後の1955年、戦後の荒廃したドイツを後にし、イルメリン・インデンビルケンは両親とともに、より良い未来を求めてニューヨークへと渡った。そこで、金髪に青い瞳を持つ少女は成長し、やがて思春期を経て若い女性となり、ニューヨーク市立大学シティ・カレッジで学業に励むようになる。その頃に出会ったのが、イタリア系アメリカ人のアンダーグラウンド・アーティストであり、コミック作家でもあるジョージ・ディカプリオだった。漆黒の長い髪と豊かなひげをたたえた彼と、イルメリン・インデンビルケンはほどなくして結婚する。

犯罪と暴力の街で

学業を終えたのち、イルメリン・インデンビルケンは後に息子を身ごもる。夫のジョージ・ディカプリオとともにニューヨークを離れ、ロサンゼルスへ移住。彼女は法律事務所の秘書として働きながら、息子の誕生を待った。西海岸の陽光の下で、若い夫婦は穏やかで質素な暮らしを夢見ていた。しかし1975年、レオが1歳になった頃、夫婦関係は破綻する。イルメリンはシングルマザーとなり、ギャングがはびこる治安の悪い地区、エコーパークで息子をひとりで育てることになる。「家の角には大きな売春組織があったし、犯罪や暴力が至るところにあった。本当に映画『タクシードライバー』の世界みたいだった。」ディカプリオは2014年、『ロサンゼルス・タイムズ』紙のインタビューでそう振り返っている。

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献身的な子育て

過酷な環境と厳しい家計状況のなかでも、イルメリン・インデンビルケンは、息子がより恵まれた家庭の子どもたちと同じチャンスを得られるよう、懸命に闘い続けた。彼女はシーズ小学校に息子を入学させる。教育水準の高さで知られる私立校だった。そこで才能を認められた息子は、奨学金を得てユニバーシティ・エレメンタリー・スクール(現UCLAラボ・スクール)へ進学する。ウェストウッドに位置するこの実験的な学校は、家から街を横断した先にあった。イルメリンは毎日、往復3時間もの運転をいとわず、レオナルド・ディカプリオを学校へ送り迎えした。ひとり息子の成功のためなら、どんな犠牲も惜しまなかったのである。

14歳前後の頃、レオナルド・ディカプリオは母に、俳優になりたいと打ち明ける。イルメリン・インデンビルケンはその夢を軽く受け流すことなく真剣に受け止め、学校が終わったあとも息子をオーディションに連れて行った。疲労や、息子の将来に対する不安を抱えながらも、その歩みを止めることはなかった。「今の自分があるのは、すべて母のおかげです。」彼は2014年、「アクセス・ハリウッド」のインタビューでそう語り、成功の裏にあった母の数々の犠牲に言及している。その努力はやがて実を結ぶ。複数のCM出演を経て、若きディカプリオとその瑞々しい魅力は、次第に複数のキャスティング・ディレクターの目に留まるようになっていった。

初めてのレッドカーペット

1991年、金髪の若者はテレビシリーズ「愉快なシーバー家」の最終シーズンでレギュラー役を射止める。続いてホラー映画『クリッター3』に出演し、1993年にはロバート・デ・ニーロと共演した『ボーイズ・ライフ』で存在感を示した。同じ1993年、ジョニー・デップと共演した『ギルバート・グレイプ』で、知的障害を抱える少年を演じ、批評家と観客の双方を魅了する。この役は彼の人生を一変させた。19歳にしてアカデミー賞に初ノミネートされ、ゴールデン・グローブ賞では助演男優賞を受賞したのだ。受賞の夜、イルメリン・インデンビルケンは、完璧にブローされた髪に白いドレスに着て、息子と並んでレッドカーペットを歩いた。その栄冠は、彼だけのものではない。母にとってもまた、長年の献身が報われた瞬間だった。

その後の展開は、誰もが知っているとおりだ。レオナルド・ディカプリオは『ロミオ+ジュリエット』で強烈な存在感を放ち、続く『タイタニック』で一躍スターダムに駆け上がり、ハリウッドの王子様となった。世界中のティーンエイジャーが、印象的な金色の前髪に天使のような顔立ちの彼のポスターで、部屋の壁を埋め尽くした。

そんなレオ人気の渦中にあっても、イルメリン・インデンビルケンは常に彼の揺るぎない心の支えであり、名声という嵐のなかでの道しるべであり続けた。控えめな彼女は、数多くの取材依頼があってもインタビューに応じることはなかったが、外出のたびにロサンゼルスの街中でパパラッチのフラッシュを浴びることは避けられなかった。2008年2月には、当時息子の恋人だったジゼル・ブンチェンと並ぶ姿を撮影されている。さらに2年後には、新たなパートナーであるモデルのバー・ラファエリと対面し、2017年頃には女優のカミラ・モローネとも顔を合わせた。50代を過ぎてもなお、イルメリンの承認はレオナルドにとって欠かせないものだという。2023年、現在のパートナーであるヴィットリア・チェレッティを交際のごく初期の段階で母に紹介している。雑誌「ピープル」を含む複数のメディアによれば、ふたりはミラノでレオとともに初めて外出して以来、非常に良好な関係を築いているという。

レオナルド・ディカプリオが日曜日、イタリア・ミラノのピナコテカ・アンブロジアーナ美術館を、母親とヴィットリア、そして友人たちとともに後にする姿が目撃された。今回の目撃報道は、芸能メディア「ページ・シックス」が独占取材として、「ふたりの関係は以前にも増して真剣な段階に入っている」と報じた直後に起きたものだった。

息子を最優先にすることを選んだイルメリン・インデンビルケンは、自身の恋愛を完全に後回しにしてきた。1975年にジョージ・ディカプリオと離婚して以来、公に新たな恋愛関係が報じられたことはない。息子の成功こそが、彼女にとって何よりの喜びだ。2016年2月、レオナルド・ディカプリオが『レヴェナント:蘇えりし者』で悲願のアカデミー賞主演男優賞を初受賞した瞬間、彼女は歓喜に包まれた。それから10年後、再び同じ感動が訪れることを願っているに違いない。もっとも、今回はティモシー・シャラメという強力なライバルを前に、ディカプリオにとっては容易な戦いではなさそうだ。

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text: Solene Delinger (madame.lefigaro.fr) translation: Hanae Yamaguchi

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