バケ・モリニエ、次世代の刺繍職人の挑戦。【アールドゥヴィーヴルへの招待】

アールドゥヴィーヴルへの招待 vol.12
モード、カルチャー、ライフスタイルを軸に、豊かに自由に人生を謳歌するパリジェンヌたちの知恵と工夫を伝え続けてきたフィガロジャポン。
その結晶ともいえるフランスの美学を、さまざまな視点からお届け。
職人仕事をいまに継承しているのは、名の知れた老舗のアトリエだけではない。21世紀生まれのアトリエが若い感性を生かし、新しい視点で装飾の世界を広げている。なかでも活発な活動で注目される刺繍のアトリエ、バケ・モリニエにフォーカス。

ヴィクトール・モリニエ/Victor Molinié(左) レティシア・バケ/Laetitia Baqué(右)
ともにパリのÉcole Duperré出身。2014年度ディナール国際ファッションコンテストでグランプリを受賞。17年に刺繍を主とするアトリエ、バケ・モリニエを共同創設し、現在にいたる。photography: Mohamed Khalil
1月末に発表されたディオールにおけるジョナサン・アンダーソンによる“初”と話題を呼んだオートクチュール コレクション。職人の手が駆使された装飾の豊かさと美しさは目を奪われるものだった。複数のサヴォワールフェールが参加した中で、オーガンジーの房飾りと羽根の花を創作したのはレティシア・バケとヴィクトール・モリニエによる刺繍のアトリエ、バケ・モリニエ。これは彼らにとってディオールのための初仕事ではあるが、2017年のアトリエ創設以来、スキャパレリ、フェンディ、ヴァレンティノ、サンローランなどフランスとイタリアの名だたるクチュールメゾンからの依頼が続いている。METガラ出席者の衣装の装飾も手がけている。



パリのデュペレ校でレティシアは刺繍、ヴィクトールはモードと専門は異なれど同時期に学び、学年最後に教授の提案で共同コレクションを発表した。卒業し、それぞれ別の企業で働いた後に自分たちのアトリエを設けたのは、既存の刺繍とは異なる、新しいことを試してみたい、刺繍の応用範囲を広げたいという願望からだ。
「よそで経験を積むうちにクリエイティブな欲求が生まれて。会社勤めだと仕事には拘束があり、自由を求めました」とレティシアが語ると、「オートクチュールのためのほかに例のない刺繍と並行しつつ、インテリアなど他の分野への進出を試したかった。雇われの身でも実験はできますが、拘束や限界があります。でもここではリミットを決めるのは僕たちなんです」とヴィクトールが続けた。

ふたりはアトリエ創設前に刺繍大国であるインドに何度か足を運んだ。レティシアがアレキサンダー・マックイーンのメゾンで働いていた繋がりから、インドのアトリエで研修も体験。それは、刺繍のアトリエがどのような経済的システムで機能しているのかを知るためでもあったという。
一企業としてしっかりとした基盤を築いて、彼らはスタートを切った。その時点ですでにモード界にネットワークができていたため、創設以来、クチュールメゾンから舞い込む仕事が途切れることがない。しかしふたりは「大きくなりたくない」と言う。あくまでもヒューマンなスケールに留まることを望んでいるのだ。
「独立した存在を続けたいのです。買収されることも考えにありません。現在より拡張するにしても、自分たちの管理内でのことでしょう。このメティエの実践から離れたくないのです」

職人仕事を愛する彼ら。感受性が左右する仕事なのでコピーされることもなく、ましてやAIに取って代わられることもない。ヴィクトールは「僕らはAIをArtisanal Intelligence(職人知能)と呼んでいます」と笑う。
アトリエ創設の時点では、どんな方向に自分たちが進んでいくのか見えておらず、また決めつけることもしたくなかったという。
「常に出会いがあり、それによって別のところに導かれていき、各プロジェクトが次のクリエイティビティの糧となる。そんな感じで素晴らしいチャンスを次々と得られているんです」

刺繍が基本にあるのは確かだが、バケ・モリニエの仕事を定義するのは自分たちでも難しいという。ふたりにはアトリエ創設当初からモードの枠を超えたいという願望があった。パリのカルティエ本店のために制作した皮革の象眼装飾を手がけたことをきっかけに、室内装飾など新しい分野でのコラボレーションを実行している。

モエ・エ・シャンドンの創業280年記念の展覧会のためには、メゾンの遺産を語るクリエイションを白紙委任された。両者に共通する職人仕事をテーマにテキスタイルの彫刻、刺繍など作品11点を制作。
「モードの仕事ではひとつの段階に参加するだけ。それに対して、こうしたアーティスティックなプロジェクトでは最初から最後まで全工程で自由に物語を語れるのだと、新しい可能性を発見しました」

彼らの仕事が国際的に注目されることになるのは、昨年ヴェネツィアで開催されたホモ・ファーベルに出品した高級絨毯の老舗パントンとのコラボレーションだ。衣服とは異なるスケールの仕事への関心から生まれた作品で、現在ガリエラ宮の『織物、刺繍、装飾』展で展示されている。

「ふたりの間には常に議論があります。アルティザナルな仕事の拡張に、ふたつの脳があると挑戦しやすいですね」とヴィクトールが語る。レティシアは刺繍、彼はファッションデザインを専攻。そこから生まれる相乗効果も大きい。現在取り組んでいる素材は陶器。画廊とのコラボレーションで17世紀の版画をもとに、セラミックの装飾的彫刻と刺繍のアートピースという意欲的なプロジェクトが進行中だ。
世界を広げ続けるバケ・モリニエだが、彼らの究極の夢は何だろうか? たとえばパリ近郊のシャトーに貝殻で覆われている部屋があり、このように一室まるごと自分たちの手仕事で装飾することができたら! と声を揃える。

「不可能だけれど、それだけに興奮します。何ができる? どんなテクニックで? これこそが真のチャレンジでしょうね」

アトリエのある
ヴィラ・デュ・ラヴォワールとは?
パリ10区、ヴィラ・デュ・ラヴォワールは通りからは見えないパッサージュを占めている。その4A棟の地下を含む4フロアに並ぶのは、バケ・モリニエをはじめテキスタイル、ジュエリー、革細工などさまざまな分野で職人仕事を実践するクリエイターたちの12のアトリエだ。メティエダールを支援する協会とパリ市の協力により家賃に補助金が出る仕組みで、入居にあたっては厳しい書類選考が行われる。誰もがアルティザナルな仕事という共通項を持つアトリエの間では情報交換や相互援助があり、また昨年のデザインウィークには共同で展覧会を開催。ドアが開け放しのアトリエも多く、建物内には活気があふれ、ひとつのアトリエを仕事で訪問したクライアントがほかのアトリエの仕事を発見するといった出合いがあり、エコシステムが機能している。
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バケ・モリニエも紹介、モードの職人技に触れる展覧会
●1ユーロ=約184円(2026年7月現在)
●Ⓜは地下鉄の駅を示しています。
●開館時間やイベントの開催時期などは、取材時から変更になる可能性もあります。ご了承ください。
- photography: Mohamed Khalil, ©Palais Galliera-Paris Musée-Nicolas Borel
- text: Mariko Omura
*「フィガロジャポン」2026年5月号より抜粋