トロピカルと思っていたバニラビーンズのファームが千葉に?【オーセンティックな香り】

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翻訳家、作家、ジャーナリストの村上香住子が、これまでの人生で出会ってきた“オーセンティック”なモノ・コトを綴る新連載がスタート。身近にありながら忘れかけていた香りや旅の記憶、そして本物の贈り物——日常を豊かにするエッセンスをお届けします。


パリに住んでいた頃は、バニラはマダガスカル産がほとんどだと思っていた。または中南米かメキシコ辺りではないだろうか。

日本ではバニラといえば、「バニラエッセンス」しか見たことがない。どこからきたのかは知らない。液体状になっているので、もともとどんな形をした植物なのか見当もつかなかった。蘭の花と同じ仲間らしいが、甘美な香りで、昔は媚薬だと思われたバニラの原型は、熱帯の国々で栽培していると思っていたので、日本でも見られる、と知人からきいても実は半信半疑だった。

それも南端の沖縄ではなく、隣県の千葉で栽培しているというので、ますます興味をそそられた。どうやらそれは地球温暖化のせいらしい。

バニラの香りが、これほど世界中の人々から愛され続けている理由は、一体なんなのだろう。

おそらく植民地政策がなかったら、これほど世界的に、熱狂的なファンは生まれなかったかもしれない、といわれている。16世紀には、英国のエリザベス女王の薬剤師が使っていたそうだし、フランスには、植民地だったレユニオンから18世紀に入ってきている。

香りの友、といえるエミさんとサヤカさんを誘って、千葉のバニラビーンズのファームを訪れることにした。

JR京葉線 安芸鴨川行きの「わかしお五号」に乗ったので、そのまま終点まで行き乗り換えればいいだけなので、私たちはのんびりと窓外に流れていく景色を眺めていた。

「南房総って、こんなに森林地帯だった?」

鬱蒼と茂った青々とした森がどこまでも続き、行けども行けども森の中で、時折民家の集落が見えたかと思うとまた消えていく。

「ほら、これをみて」

隣席のエミさんが、グーグルマップを見せてくれた。たしかに海沿いの南房総は大部分が深緑色だ。
木立の向こうに、房総半島に打ち寄せる海原が見えてきたのは、だいぶ経ってからだった。白波が打ち寄せている無人のビーチが幾つもあったが、シーズンの真っ盛りだというのに、ほとんど人影もない。
乗り換えてから南三原駅の改札口を出ると、訪問予定のこもおか農園の女主人、薦岡美奈子さんがホンダのバンの前で笑っていた。わざわざ迎えにきてくれたのだ。

ファームにいく途中で、私たちは美奈子さんの案内で、3人の若いフレンチのギャルソンたちが経営する「カフェ・ラ・プラージュ」に立ち寄って、ランチをすることに。すぐ近くには和田浦、という外海が打ち寄せる素晴らしく長いビーチがあって、フランスならたちまちヴィラやホテルやコンドミニアムができて、リゾート地になりそうなところなのに、無人だった。

「カフェ・ラ・プラージュ」にはパテやクロコ・ムッシューなどがあり、デザートのクレーム・ブリュレには、こもおか農園の生バニラが使われていて、パッション・フルーツのエクレアも美味しかった。
ビーチも近いし、エリック・ロメールの「海辺のポーリーヌ」の舞台みたいだった。

到着したこもおかファームには、7棟近い大きなビニールハウスが並んでいて、想像以上になかなか大規模な農園だった。

最初に入ったところは、この農園の主流という胡蝶蘭の温室になっている。豪華絢爛な、100以上もある白いピュアな蘭の花が一堂に置かれた光景を、生まれて初めてみたし、その華やかさに息をのんだ。次に入ったところにも、やはりヴィオレット色の大輪の胡蝶蘭が、整然と置かれていた。ジャンヌ・モローが大好きだった花だ。

白よりも、ヴィオレットの方が、少し香りが強いような気がする。

「これがバニラビーンズですか!」

次に入ったハウスで、ついそう言ってしまう。すでに写真でみていたのだが、実物は肉厚の葉の間からたれ下がった細長い、さやえんどうに似た豆で、想像以上になかなか存在感があって、閉ざされた甲冑のように頑丈な印象を与えた。ずらりと並んだその熱帯植物の中からは、あの甘美なバニラの香りはまるで漂ってこなかったが、しっかりと中に閉じ込められているのだろう。

バニラは、この豆を加熱して、発酵させて、キュアリングをしてから乾燥、というとても手間のかかるプロセスを経てから完成するという。気候変動にも左右されるし、繊細な扱いを必要とするそうだ。

ヨーグルトや牛乳に混ぜたりして、自宅で生バニラを堪能しようと、私たちも黒いつくしんぼうのような形状になったバニラを購入した。

最近は砂糖の中にバニラを混ぜたバニラ・シュガーも作られているし、アイスクリームやソフトドリンクやケーキだけでなく、色々なものにも試してみたい。

オリーブオイルの容器の中に、バニラビーンズを1本入れておくだけで、いつものルーティンのサラダから、優しい香りが浮き立ってきて、格別なスペシャルサラダが生まれるかもしれない。

こもおか農園はそれだけではなかった。パッション・フルーツ、プルメリア、月桃、ラズベリー、ウコン、ジャックフルーツ、その他さまざまなものが栽培されていて、美奈子さんが丁寧に説明してくれるので、色々な知識を学んだ一日だった。

とりわけ私の好きなジャスミン サンバックがあり、その香りで、ポンペイの遺跡への旅を思い出した。一面に咲いていたジャスミンの花が印象に残っている。

香りは、しあわせな旅の記憶につながる。

カフェ・ラ・プラージュ
千葉県南房総市和田町仁我浦121−1
080−8846−3448
@cafe.la.plage


こもおか農園

千葉県南房総市珠師ヶ谷1353−2
0470−46−3327
https://komookanouen.co.jp/contact/
@komookafam
※見学希望可能。希望者は電話か問い合わせフォームより連絡してください。

 

翻訳家、作家、ジャーナリスト。訳書としてはアンリ・トロワイヤのロシア文豪伝三部作『ドストエフスキー伝』『ゴーゴリ伝』『チェーホフ伝』(すべて中央公論新社)を翻訳する。その他、ボリス・ヴィアンの『ぼくはくたばりたくない』(早川書房)など。1985年よりマガジンハウス、1994年より「フィガロジャポン」のパリ支局長に。20年間のパリ生活のエッセーやパリ文壇との交流記『反記憶』(幻冬舎)など多数。近著は2024年の『ジェーン・バーキンと娘たち』(白水社)。最新刊は『おしゃれなマナーAtoZ パリで暮らして知ったミューズたちの素顔』(CEメディアハウス、2026年)。バーキン、サガン、サンローランなど、本物のパリセレブとの知られざるエピソードと、目の当たりにした本物のマナーの数々を紹介。

  • special thanks: Emi Wada, Sayaka Takahashi