ドロテ・ジルベールに聞く、エトワールとしての生き方。
今年10月15日に『マノン』を踊り、パリ・オペラ座のステージにアデューを告げるドロテ・ジルベール。エトワールとして19年間、完璧を求めて稽古に励み、身体管理に努めた彼女が最後のステージに臨む。
Dorothée Gilbert
ドロテ・ジルベール

ドロテ・ジルベール
1983年9月25日、トゥールーズ生まれ。95年にパリ・オペラ座バレエ学校第4ディヴィジョンに入学。2000年パリ・オペラ座バレエ団に入団後、02年にコリフェ、04年にスジェに昇級し、05年にはプルミエール・ダンスーズに。

現在パリ・オペラ座バレエ団には男女合わせて15名のエトワールがいる。その中で最もエトワール歴が長いダンサーがドロテ・ジルベールだ。9月に始まる新シーズンの開幕公演『マノン』中、彼女は10月15日にアデュー公演を行う。チケットの販売が始まり、10分もたたぬ間にこの公演は完売となった。
「秋にフランスで行われるセリーヌ・ディオンのコンサート並みだって耳にしたわ」と楽しそうに笑うドロテ。彼女は2007年11月19日の『くるみ割り人形』でマニュエル・ルグリをパートナーに、主役クララを踊ってエトワールに任命された。その日は衣装、大道具、照明など裏方のスト中で、観客のみならず彼女自身もこの夜の任命は思いがけないことだったという。入団7年目、24歳の時のことだ。

『ラ・バヤデール』
2006年プルミエール時代、オーレリー・デュポンのニキアを相手にガムザッティを踊った。今年6~7月の公演では彼女がニキア、最年少エトワールのロクサーヌ・ストヤノフがガムザッティという世代交代が見られた。
入団7年目、24歳。
任命される準備はできていた。
それまですでにソリストとして多くの舞台に立ち、この時も『くるみ割り人形』とほぼ同時に公演が組まれていた『パキータ』の主役にも配役されていた。
「私はエトワールになる準備ができていたので、このタイトルを重く感じることはなかったわ。むしろその逆で軽くなれた。というのも、プルミエール・ダンスーズ時代はエトワールになれる可能性があることを上層部に証明する必要があり、その高みを見せねばと踊るたびにプレッシャーがあったから……無意識にだけれど。任命されて、その重みから解放されたことに気付いたの」
エトワールという肩書は子どもの頃からの夢。彼女の願いごとは「パリ・オペラ座のエトワール!」だった。任命されたら願うことがなくなってしまったと、これまた大笑いするが、彼女が目指したのは実はそのタイトルではなく、主役を踊ることだった。任命以前から主役を踊れていたという彼女。ではエトワールになって何が変わったのだろうか。
「選択の自由ね。いかにこの肩書を輝かせるかは、自分で選ぶの。自分の何を観客に見せたいか、誰と何を踊るか、どう演じるか、何に価値を置きたいか、いかにキャリアを管理していくか……。エトワール各人によって望むことは違う。だからエトワールそれぞれに違いがあって、オペラ座はおもしろいの」
任命前も後もドロテのエトワールの定義は変わっていない。それはパーフェクトなダンサーということ。
「小さい時にエトワールの踊りを見て、そう思ったの。ところが実際に私が任命された時、『あ、私は完璧じゃないわ』って。欠点はたくさんあるし、任命の翌日に妖精が現れて完璧にしてくれるわけでもない。おそらくほかのエトワールたちも同じように感じていたと思います。でも、完璧であるべき理想像に自分を投影し、日々前進を続けました。いまの世代も私の時代と同じであってほしいわね。だからこそ私は、最後までクラシックバレエのキャリアを続けることにこだわった。あえてハードな作品へと自分を向かわせるのも、若いダンサーたちに35歳だからって古典大作を踊るのをやめることはないと示すためよ。それには大変な努力が必要だけれど、可能なことなの」
11歳からの信条は、才能20%、練習が80%。
バレエ学校では“並の生徒〞だったと語り、自著『Etoile(s)』ではしなやかさに欠けるなどあまり輝かしくない成績表も公表した。ことあるごとに「才能20%、練習80%」と語る彼女。
「いまもそう信じてるわ。これは11歳の時にオペラ座バレエ学校の入団試験に落ちて、トゥールーズに戻った時から実践してること。強い意欲があったから入学できたし、入団後も結構スピーディにオペラ座の階級を上がっていくことができた。エトワールになれたのも早かったわ。私はいつも人より何倍も練習するの。いまの若い世代は10時のクラスレッスンに出て、リハーサル中は携帯をいじって……。私は入団当時、10時のクラスレッスンの後、11時30分からのクラスもとっていたし、コール・ド・バレエの代役のリハーサルでは配役されたダンサーの後ろで自分のパートを何度も何度も一緒に繰り返し稽古していたわ」
オペラ座のヒエラルキーの最高峰の階級に上がったと実感したのは、任命翌年のエトワールとしての初のデフィレだ。プルミエール・ダンスーズ時代はもう1名と並んでステージを行進していたが、今度はたったひとりで長い距離を歩き、観客に向かって挨拶。歩くだけなのにストレスを感じたことを覚えている。いまでは最もキャリアの長い女性エトワールとして、ドロテが最後に登場する。
高い職業意識を持って、エトワールというオペラ座の最高峰のタイトルにふさわしいステージでドロテは観客を魅了し続けている。アデュー公演のカウントダウンが始まっているが、実感はまだ湧いてこないという。
後悔なく去るオペラ座。その先に、真っさらなキャンバスが広がる。

「一時期オペラ座を去るのが悲しいと思ったこともあるけれど、その前にもまだ公演があるので、その日まで段階を踏んで、瞬間、瞬間を満喫しています」

『椿姫』
マノン、プリュダンス役を経て、2026年に初めて念願の主人公マルグリットを踊った。パートナーはフロラン・メラック(プルミエ・ダンスール)。アルマンの未来を思い、身を引き耐える姿はか細く哀れで、涙を誘った。© Maria-Helena Buckley/ OnP
8年前、前芸術監督時代には叶わなかった『椿姫』の主役マルグリット役を、今年5月に踊ることができた。リハーサルでは創作者ジョン・ノイマイヤーから、彼女の芸術面での進歩、シンプリシティに込めた真実、役柄の理解について大絶賛されることに。
「もし前回だったら私にいまほどの成熟はなくて、ジョンに同じように見せられなかったと思うの。良いタイミングで踊れて、待った甲斐があったわ。私がこの役を踊るのに正当なダンサーだと示すことができたし、ジョンにも褒めてもらえた。過去に踊れなかった心の傷もすっかり癒えたから、悔いなくオペラ座を去れます。『椿姫』は人生、そしてオペラ座からの素晴らしい贈りものでした!」
ドラマティックダンサーという異名を持つドロテは、踊りを通して物語る。
「ストーリーを語ることが好き。ダンスは表現の手段であって、舞台上でほかの誰かになって、感動を味わいたいの。学校公演の『二羽の鳩』がその始まりよ。ジプシーを代役で踊ったら当時の学校長クロード・ベッシーに注目してもらえたの」

『マノン』
オペラ座のアデュー公演に選んだのがこの演目。初演時にパートナーのユーゴ・マルシャンとの運命的な出会いがあり、引退後も彼とアルゼンチンで踊る予定があるそうだ。女優ダンサーと謳われる彼女の代表作のひとつ。© Svetlana Loboff/ OnP
ドロテがアデューの演目に選んだのは『マノン』だ。作品と役柄が好きなので以前からこれに決めていたという。パートナーはユーゴ・マルシャンだ。
「オペラ座ではひとつの作品で複数のパートナーがいるけれど、この作品だけはオペラ座のツアーも含めてパートナーは彼だけ。この作品で彼とともに進化することができたわ。最初にこの配役を聞いた時、彼はまだスジェだったから私は不満があったのだけど、最初の試しでお互いに強い衝撃を感じ、その後はふたりとも仕事の進め方が同じということもわかって、結果は大満足。一緒に踊る時、彼からとてもリスペクトされていると感じるし、ふたりの間に劇的な変化が魔法のように生まれる。『マノン』はそんな彼にさようならを伝える機会でもあるの」
『椿姫』を踊ってわかったのは、マルグリットは同じ高級娼婦でもマノンより教養があり、判断力のある選択ができ、自分の未来を自分で決めていること。マノンは若くて、お気楽。マルグリットに比べ世間知らずで、社会の仕組みも全然わかってない……と、役の解釈を掘り下げるドロテ。アデュー公演でどのようなマノンを見せてくれるのか楽しみだ。「真っさらなキャンバスを美しいことで埋めてゆく、というイメージ。可能性がたくさんあって、ワクワクするわ」と引退後を想う彼女。10月15日に去るパリ・オペラ座に彼女が残したい言葉は「Merci ! 」だという。

「バラエティに富んだレパートリー、素晴らしい劇場と仕事環境。そこで私たちの芸術を披露できたのだから、感謝しかないわ」
我々観客もまた、彼女が生み出した感動のステージにメルシーと言って、この輝ける偉大な星に別れを告げるのだろう。
- editorial direction & text: Mariko Omura
- editing: Eri Arimoto
*「フィガロジャポン」2026年9月号より抜粋
