従軍記者は故郷でワインを造ることにした——。アルゼンチン「カノプス」の生産者と語った夜。
今日のワイン選びがちょっと楽しくなる連載「ワインテイスティングダイアリー」。フィガロワインクラブ副部長・カナイが日々、ワインを求めて畑へ、ワイナリーへ、地下倉庫へ、レストランへ、セミナーへ……。美しいワインがどのように育まれるかの物語を、読者の皆さまにお届けします。
今回は来日したアルゼンチンのビオディナミ生産者「カノプス」のガブリエル・ドヴォスキンさんと、深大寺のエディブルガーデンを併設した「Maruta」でテーブルを囲み味わったワインについて。ワインの優しい味わいに見えた、ドヴォスキンさんの想いとは?
従軍記者からワイン生産者になった男。
ビオディナミ(英語ではバイオダイナミックス)と呼ばれるブドウの生産方法がある。“自然派ワイン”と呼ばれるワインの中でも、少々特異な存在であることは間違いないと思う。“人智学者”ルドルフ・シュタイナーが提唱したとされる生産方法で、月の満ち欠けに基づく「農業暦」で作業工程を決定し、プレパラシオンと呼ばれる、牛の角に牛糞を詰めたものや植物由来の天然肥料で土壌の改善を促し、生産システムそのものを有機体(オーガニック)として捉える……と、ここまで書いてみるとある種、魔術的にも思えるのだが、ロマネコンティやルロワなど超名門もこぞって採用しているし、それによって生まれたワインが確かにおいしいと感じるボトルもたくさんある。宇宙的パワーが働いている、というよりも、自然と植物が持つ力を信じ、生産者があらゆる努力を畑で惜しまないからだ、と私は解釈している(異論は多いかもしれない)。
ある日、私はビオディナミを実践するワイン生産者に会いに電車とバスを乗り継ぎ、深大寺へと出かけた。アルゼンチンから24時間、飛行機に乗ってやって来た彼はガブリエル・ドヴォスキン。アルゼンチンの銘醸地ウコ・ヴァレーの中でも最南端、標高900メートル以上の寒冷な土地で「カノプス」というワインを手がける醸造家だ。

1990年代、ドヴォスキンはパリを拠点に15年間、従軍ジャーナリストとしてヨーロッパからアジアを飛び回り、動乱の世界を見つめ続けてきた。そんな生活を癒やしてくれたのが音楽とワインで、ある時から彼はフランスで収穫の手伝いをするように。そしてとうとうワイン造りを志すにいたり、ローヌやブルゴーニュの名門ワイナリーで畑の作業から醸造まで研鑽を積み、2007年に母国アルゼンチンへ帰国。地質学者とのリサーチや地元農家への聞き込みを続け、2010年にとうとう運命の場所を見つける。
メンドーサ州ウコ・ヴァレーといえば標高の高さ、昼と夜の気温の差、水捌けのよさで知られ、ボルドーに拠点を置く生産者「バロン・ド・ロスチャイルド」やワインコンサルタントのミシェル・ローランがこの地に惚れ込み、ワインを造ってきたことでも知られる。その中でも「エル・セピージョ」という区画で、ドヴォスキンは理想とする石灰質の土壌に巡り合い、ここを拠点とすることに決めたのだという。
「エディブルガーデン」を訪れて、カノプスを味わう。
さて、この日訪れたのは、深大寺にある薪火レストラン「Maruta(マルタ)」。店内中央に位置する暖炉で薪が音を立てて燃え、肉、野菜といった食材のおいしさを引き出しながら豪快に焼き上げていく。

さらに店を抜けた「深大寺ガーデン」と名付けられた中庭には、有機栽培のハーブや野菜が育つ。「エディブルガーデン」と呼ばれるそこでは四季折々の植生が見られ、季節ごとにワークショップを行い、保存食やお茶を作ったり、採れた野菜を味わったりという試みも。

「そこの草、ヒメジョオンって言うんですけど、食べられるんですよ」とスタッフに案内され、道端で何度も見たことのある小さな白い花を付けた草から、葉を一枚もいで口に入れる。なるほど、少し春菊のような、ほろ苦さを伴う味でなかなかおいしい。「おひたし、天ぷらなんかもいいですよ」とのこと。収穫を終え、伸びた状態のアスパラガスも初めて見た。アスパラガスは植えたら10年は根が保ち、長期にわたって収穫できる、というのもこの日初めて知った。口に入れているもののことを知らないな、と思う瞬間だ。
気付けばドヴォスキンも横でニコニコしながら、参加者たちの様子を見つめている。以前の来日の際、インポーターとの縁でマルタに出会い、その取り組みに共鳴して「日本ではマルタだけしか卸さない」と決めた特別なボトルがあるのだという。

それがこのピントム ブリュット・ナチュール ブラン・ド・ノワール 2021。ブルゴーニュで研鑽を積んだドヴォスキンが愛するピノ・ノワールを、果汁だけ抽出して瓶内二次発酵でスパークリングワインに仕上げた一品。手間がかかり、本数も限られるこのキュヴェは日本ではマルタでしか取り扱っていない。
香りを嗅げば、ラズベリーやワイルドベリーのような香り。口をつけると、心地よい酸味に、柔らかい旨味が乗る。少し土のニュアンスやイチゴの風味を感じた後、心地よいミネラル感で口をキュッと締め、その余韻がとても長い。泡はとてもきめ細やかで、上品な印象だ。

「これまでもさまざまな場所に出かけてきましたが、自分のワイン造りととても共鳴するレストランに出会うことがあります。日本において、それがマルタだったのです」とドヴォスキンは語り始めた。
自分が見える範囲を、全力で。
「『清純さ、ピュアであることがハイクオリティの証』だと思っています。私が目指すワインは常にそこにある」
故郷でワイン造りを志した時、ドヴォスキンが探し求めたのは「汚染されていない、生きた土地」。同時に繊細な酸味を求めた時、ウコ・ヴァレーのエル・セピージョは、標高の高さゆえに冷涼、時に寒冷とまで思えるような気候で、それまで化学肥料の介在の余地もない、彼の理想の場所だったのだ。

彼のワインを飲むと、しみじみ旨い。じっくりとアミノ酸やグルタミン酸が舌の上を撫でていく感触があり、高地由来の酸味、そしてブドウが持つ本来の香りと味わいが引き出されているようだ。
この日は特別に、ビュッフェ形式で食事を味わいながら彼のワインを試していくことに。白ワインは、セミヨン100%、全房発酵(果実と枝を繋ぐ「果梗」を取り除かずに果実とともに発酵させること)、6日間スキンコンタクト(発酵前の果汁に果皮を漬けておくこと)を実施する。
「ビオディナミにこだわる、というのも自分に課していることです。ビオロジック農法に切り替えれば、ブドウの収量はおそらく2倍近くなるでしょう(笑)。でも、それでは私が造りたいワインにはならない。あえて『何も足さない』んです」
不思議と、かつて取材した余市のドメーヌ・タカヒコを手がける曽我貴彦の言葉を思い出していた。
「健全に熟し、酸を蓄えることが出来たブドウであれば、腐ったりすることなくしっかりと発酵を続けてくれます」「しっかりと果梗まで熟していれば、青臭いにおいが出ることはなく、むしろワインにタンニンと複雑性を与えてくれるんです」
曽我はビオディナミ生産者ではないが、根源的な考え方に似通ったところがある気がした。同時に、RAW WINEの取材を通じて、多くのナチュラルワイン生産者が「酸味」「スキンコンタクト」「除梗(果梗を取り除くこと)率」を重視している、ということにも気付く。高い酸は微生物の活動を抑え、ワインを安定させてくれる。果皮や果梗に含まれるフェノール類やポリフェノールが抽出される分、ワインは酸化しづらくなり、同時にボディ感を得る。とはいえこれを強くし過ぎれば当然苦みやえぐみが濃く出てしまい、味わいは台無しになりかねない。この加減を見極めながら、自身の理想とする味わいに近づけていく——。
「私がセミヨンを育てている畑は、マルタの裏でみなさんと歩いた庭と同じくらいの広さ。目が届く範囲でしっかりと手をかけていきたいんです」
アルゼンチンを代表するマルベック、実はここまで柔らかくなる。
「実はタカヒコさんに、自分が造ったワインを送る約束をしました。残念ながら今回の来日では会えないのですが、彼に自分のワインを飲んでもらって、感想が聞きたいんです」

そう語るドヴォスキンが注いでくれたのが「ピントム ノワール デル フリオ 2021」。彼が愛する5つの区画でとれたピノ・ノワールだけを使って仕込んだ、沁み入るような旨味と、ほんのりとソリッドな石灰質を感じる優しい赤ワインだ。
そして驚くのが、アルゼンチンを代表するブドウ品種マルベックで造られた赤ワイン。原産地であるフランス南西部、カオールでは「黒ワイン」とまで呼ばれるほどタンニンのしっかりした、果実味豊かなワインが生まれている。

「いまやアルゼンチンで世界最大の生産量を誇るマルベックですが、『冷涼地で育てたらどうなるんだろう?』と思ったんです。私の生まれ故郷のワイン品種、と言っても過言ではないブドウを、自分流に表現したかった」
「マルベック デ セド 2024」では、マルベック94%にセミヨン6%を加えるという、ローヌ地方でよく見られる強い赤ワインにフルーティな白ワインをブレンドするアプローチをとっている。フレッシュな中に黒コショウなどのスパイス感があり、ブラックベリーの爽やかな感覚が抜けていく。アルゼンチンのマルベックには、まるで「フルーツ爆弾」と言いたくなるようなフルボディで高いアルコールのものも見受けられるが、ドヴォスキンの仕上げるこちらはアルコール度数12.4%。フードフレンドリーを極めたワインだ。
そして、マルベック100%で造り上げたキュヴェ「イ ラ ナヴェ ヴァ 2022」のグラスを確かめる。

香りの中には白コショウのような特徴的なニュアンスがある。これはこの畑特有のもの、と彼は微笑む。ドライなハーブのニュアンスがあり、きめ細やかなタンニンとともにじわじわとスミレやバラの香りが花開き、ブルーベリー、ブラックベリーのような果実感が優しくやってくる。口の中で特徴的なのは、主張しすぎることのない酸味だ。程よい酸が、すべての調和を保って長い余韻となっている。

熾火でじっくりと炙られた肉をお供に、じわじわと広がる旨みを堪能する。アサード(炭火焼きバーベキュー)の文化があるアルゼンチン、王道の合わせ方はやはりたまらない。
「バランス感を重要視しているので、酸味がとても重要です。味わいの最中にエネルギーを、そしてバイブレーションを取り入れたかった。口に入れた瞬間はハーブの香りを伴った軽やかさを、そして中間にボリューム感が上がってくるように、でも決して重くならないように。こちらも13%、やはり食事に合わせてほしいんです」
そう語るドヴォスキンの目は、どこまでも穏やかだ。世界の動向を最前線で見続けてきた彼が、何を伝えたくなったのか。彼のワインが口に運んだ“優しさ”が、その答えな気がした。

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