「ジンバブエ生まれ、南アフリカ育ち」モナコのシャルレーヌ公妃、あまり知られていない幼少期の物語。
モナコのシャルレーヌ公妃は南アフリカで育った。この国での経験は、スポーツへの向き合い方や人との助け合い、そして大切なものを次の世代へ伝えていく姿勢に大きな影響を与えた。彼女が歩んできた道のりを振り返る。

シャルレーヌ公妃は、ずっとモナコ公国で暮らしてきたわけではない。1978年1月25日、ジンバブエで生まれたシャルレーヌ・ウィットストックは、幼少期の大半をモナコ公国から遠く離れた場所で過ごした。11歳のとき、家族とともに南アフリカのヨハネスブルク周辺に移り住み、後の公妃となるシャルレーヌは、そこで学校生活を続けた。2016年に「パリ・マッチ」のインタビューに応じたシャルレーヌ公妃は、いまだアパルトヘイトの影響が色濃く残っていた南アフリカへ移住したことが、いかに大きな環境の変化だったかを語っている。「私は人種隔離に直面しました。ほかの子どもたちから引き離されたのです。子どもたちが直面する理不尽な扱いや格差を目の当たりにしました」と、彼女は振り返っている。
ウィットストック家もまた、さまざまな苦労を経験していた。「パリ・マッチ」のインタビューで、モナコ公妃は自身のつつましい幼少期について語っている。「南アフリカに移り住んだ当初は、電気代を払う余裕がなく、電気が止まってしまうこともありました」と、彼女は振り返る。父親はふたつの仕事を掛け持ちし、母親は水泳を教えていた。「私の服は、古着であることも多かったのですが、いとこたちにも合わなくなると、救世軍に寄付されました。雨の中、学校から家に帰るために何キロも歩いたことも覚えています。服が乾くまで、外で楽しく遊びながら、ハエを口に入れてしまうこともありました」
水泳に目覚めた少女時代
この時期、少女は新たな情熱に目覚める。元ダイバーで水泳教師でもあった母親から幼い頃に水泳の手ほどきを受けたシャルレーヌ公妃は、やがて競技の世界へと進んでいく。そして、トップレベルのアスリートへと成長し、18歳だった1996年には、南アフリカの水泳ジュニア選手権で優勝を果たした。その4年後、22歳になった2000年には、シドニーで開催されたオリンピックに南アフリカ代表として出場した。
しかし、彼女の活動は、競技で勝利を重ねることだけにとどまらなかった。トレーニングがないときには、タウンシップに暮らすHIV陽性の子どもたちに水泳を教えていた。タウンシップとは、アパルトヘイト時代に黒人住民が長きにわたって隔離されていた貧困地域を指す。現在、子どもたちのための彼女の活動は、こうした南アフリカ時代の経験の延長線上にある。2011年にアルベール2世大公と結婚した後、シャルレーヌ公妃は「モナコ公国シャルレーヌ公妃財団」を設立。財団では、とりわけ、水難事故の予防や子どもたちへの水泳指導に取り組んでいる。
南アフリカでの経験を子どもたちに伝える
南アフリカはいまもなお、彼女のアイデンティティを形づくる大切な存在だ。2017年4月、幼少期を過ごした母国を訪れた際、シャルレーヌ公妃は南アフリカのメディア「アイウィットネス・ニュース」の取材に応じた。「私はアフリカ人であり、それは私が受け継いだものです。これからもずっと、私の心と血に刻まれているでしょう」と、彼女は語った。当時、ジャック公子とガブリエラ公女の母であるシャルレーヌ公妃は、自身の歩んできた歴史を子どもたちにも伝えたいと話していた。「子どもたちがここに来て、私がアフリカを案内できる日が待ちきれません」その願いは、2年後に実現する。2019年2月、シャルレーヌ公妃は当時4歳だった双子を連れて、自身が育った南アフリカを訪れた。
モナコ公妃はいまも、心から大切に思うこの地を定期的に訪れている。2023年9月には、自身の財団への支援を目的として開催されたチャリティー・レース「サン・シティ・ウォーターバイク・チャレンジ」にも参加した。南アフリカは、単なる幼少期の思い出にとどまらない。現在もなお、シャルレーヌ公妃の人生に深く根付いている。
From madameFIGARO.fr
※この記事は、フランスの新聞社「Le Figaro」グループが発行する「madame.lefigaro.fr」で掲載されたものの翻訳版です。データや研究結果はすべてオリジナル記事によるものです。
- text: Juliette Gurunlian (madame.lefigaro.fr)
- translation: Hanae Yamaguchi