結婚60周年の前日にハーラル5世が死去。空を見上げたソニア王妃、ふたりが貫いた愛の軌跡。
8月28日(金)、ノルウェー国王ハーラル5世が89歳で死去した。血液中の赤血球が破壊される病気である溶血性貧血のため、オスロで10日間にわたって入院していた国王は、コルチゾン治療の副作用に苦しんでいたうえ、細菌感染症にもかかっていた。
孫のイングリッド王女とスヴェレ・マグヌス王子に囲まれたソニア王妃は、数秒間、空を見上げた。その姿はまるで、亡き夫からの何らかのサインを待っているかのようだった。

8月30日(日)、オスロのアスカー教会で、故国王を追悼するミサが執り行われた。参列した王室メンバーのなかには、国王ホーコン8世の姿もあった。国王は子どもたちであるイングリッド皇太子とスヴェレ・マグヌス王子とともに参列した。3人は亡き君主に敬意を表するとともに、この苦難の時を迎えたソニア王妃を支えるために訪れた。実際、ハーラル5世の妻であるソニア王妃は、息子と孫たちに付き添われて教会の前に姿を現した。夫の死去後、王妃が公の場に姿を見せるのは今回が初めてとなる。全身を黒で装ったノルウェーのソニア王妃は、ミサを執り行った聖職者たちに挨拶した。ミサの間、王妃は悲しみを隠しながら、目立つことなく静かに振る舞っていた。
結婚記念日の前日に
多くの人にとって、ソニア王妃と国王ハーラル5世は、王室の伝統にとらわれない道を選んだカップルの一組だ。8月29日(土)、夫妻は本来なら「楓婚式」と呼ばれる結婚60周年を祝うはずだった。約60年にわたり愛を育んできたふたりは、行く手に立ちはだかったあらゆる障害を乗り越えてきた。長い間、ふたりの関係はハーラル5世の父親から認められていなかった。オスロの裕福な服地商の娘だったソニア・ハラルドセンは、王室の称号を持って生まれたわけではなく、平民の出身だった。そのため、国王オラフ5世は王位継承者である息子に、別の人生を歩ませることを考えていた。
しかし、21歳の若き王子が、共通の友人宅で開かれたパーティで出会ったソニアに恋をすることを、何ものも阻むことはできなかった。年月を重ねるなかで、ふたりの愛は、ヨーロッパをまたぎ、スイスやイギリスにまで及んだ文通による遠距離の関係を乗り越えた。さらに、国王オラフ5世が、息子を身分にふさわしい女性たちと結ばせようとさまざまな策略を巡らせたにもかかわらず、その愛は揺らがなかった。そしてついには、国王は王位継承者である息子に最後通告を突きつけた。「ソニア・ハラルドセンと結婚するなら、王位継承権を失う」というものだった。
しかし、それでも何も変わらなかった。若き王子は決意を曲げなかった。ふたりは9年間にわたって愛を育み、周囲の反対にも屈することなく、その関係を守り続けた。やがてオラフ5世はついに折れ、王位継承者である息子がソニアと結婚することを認めた。ふたりは1968年3月19日に婚約を発表し、同年8月29日に結婚した。それ以来、夫妻はどのような状況にあっても、常に固い絆で結ばれた姿を見せてきた。この8月30日の日曜日、ソニア王妃が空を見上げたその眼差しは、人生の最愛の人を失ったいまもなお、ふたりの絆が決して揺らぐことのないものであることを示す、新たな証となった。
夫であるノルウェー国王ハーラル5世の死去後、初めて公の場に姿を見せたソニア王妃、 息子と孫たちに囲まれて。
8月30日(日)、オスロのアスケル教会で、国王ハーラル5世を追悼するミサが執り行われた。妻のソニア王妃は、ミサの間、悲しみの表情を見せていた。
From madameFIGARO.fr
※この記事は、フランスの新聞社「Le Figaro」グループが発行する「madame.lefigaro.fr」で掲載されたものの翻訳版です。データや研究結果はすべてオリジナル記事によるものです。
- text: Leonie Dutrievoz (madame.lefigaro.fr)
- translation: Hanae Yamaguchi
- edit: フィガロジャポン編集部