「キャンセルカルチャーの世界で、赦しや回復は可能?」小説『親愛なるゲス野郎へ』でヴィルジニー・デパントが描く「分断の時代」。【インタビュー】
2022年に発表された、フランスを代表するフェミニスト作家ヴィルジニー・デパントの小説『親愛なるゲス野郎へ』(原題:Cher Connard 早川書房刊)の翻訳版が日本でも刊行された。性加害の告発を受けた作家オスカーが、憂さ晴らしにSNSで俳優のレベッカを中傷したところ、本人からメールが届く。

そのような設定から始まる本作は、メールの応酬を通じてふたりの対話がさまざまなテーマへと広がっていく、現代の書簡体小説ともいえる作品だ。分断の深まる時代に、他者と対話することの可能性を問いかける本作について、デパントにメールでインタビューした。フランスで高い評価を受け、英米でもベストブックに選ばれた話題作の背景に迫る。
Virginie Despentes/1969年、フランス・ナンシー生まれ。作家、映画監督、ミュージシャン、翻訳家として幅広く活躍する。1993年、『バカなヤツらは皆殺し(Baise-moi )』で作家デビュー。ルノードー賞を受賞し、ゴンクール賞の最終候補にも選ばれた『アポカリプス・ベイビー(Apocalypse Bébé )』(2010年)などで知られる。© JF PAGA
なぜいま、メールという対話なのか?
――COVID-19パンデミック後の社会的孤立やSNSによる分断が問題となるいま、なぜこの物語を、そして伝統的な書簡体を意識した形式で書かれたのでしょうか。
小説を書き始める時、最終的にどんな作品になるのか、明確にはわかっていません。アーシュラ・K・ル=グウィンが言っているように、小説とは「バッグ(袋)」のようなものであり、中身を満たしていくにつれて形や構造が作られていくもの。ケイ・テンペストも言っていますが、フィクションで大切なのは、自分が何を言わなければならないかではなく、自分が何を聞き、何を見たかということです。私は友情について、そして友人との繋がりを通して、自分がどう変わっていけるのかについて書きたかったのだと思います。それは恋愛がもたらす革命とは違う、穏やかで目立たないものですが、友情もまたひとつの「革命」になり得るのです。書簡体を選んだのは、当時ジョルジュ・サンドの書簡に夢中だったことと、手紙が持つ対話のあり方がおもしろかったから。手紙は途中で口を挟めず、相手の言葉に最後まで耳を傾ける余白と、自分自身の親密な領域にとどまり思考できる場を与えてくれます。
――強く対立的に聞こえる言葉の奥で、登場人物たちが信頼を深める過程をどのように描こうとしましたか。
私はSNSが私たちを陥れる「対立的な状況」に興味がありました。そこはかなり敵意に満ちた空間です。しかし、ネット上の敵意に満ちた対立も、現実世界で顔を合わせると消えてしまうことがある。この小説の中心人物であるオスカーとレベッカは直接会いませんが、メールを通してふたりは共通点を見出していきます。私は、その関係を「誠実さへ向かう運動」として描こうと考えました。ふたりは少しずつ社会的なキャラクターを脱ぎ捨て、自分の本音や弱さを見せていきます。非難や排除を恐れず、ありのままの自分で相手を信頼できると理解したとき、ふたりはより穏やかに、誠実な方向へ進むのを助け合うのです。
許すためではなく、前へ進むために。
――加害者/被害者、善/悪といった、単純な二項対立では捉えきれない人間の複雑さを描くうえで、最も難しかったのはどの部分でしたか。
書くこと自体は難しくありませんでした。私は3人の登場人物それぞれに自分自身の一部を見ていたから。小説を書く時、自分の明るい面や「インスタ映え」するようなプロフィールばかりを見ようとしないことが大切だと、私は考えています。 そして登場人物たちにも、私の身近な人々のさまざまな側面が反映されています。私の友人の多くも、時には利己的だったり、怒りを向ける相手を間違えていたり、絶対に自分を認めてくれないような人に認めてもらおうと必死になっていたり、薬物を使っていたり、時にはひどい態度を取ったりするのです。
――キャンセルカルチャーに対して、どのような問いを投げかけたかったのでしょうか。また、回復や償いは現代でも可能だと思いますか。
10年前のキャンセルカルチャーは、力を持たない人たちだけを排除していたように思います。裕福な白人男性には支えてくれるネットワークがあり、間違いを犯しても、ひとつの行為だけで判断されることなく、複雑な人間として扱われます。だから、そう簡単には排除されません。本当にキャンセルされるのは、力を持たない人たち。私が興味を持ったのは、自分が受けた権力による虐待についてオンラインで声を上げる、その若い女性がさらされる脆弱さです。声を上げる者に対する暴力は、ネット上であれ現実世界であれ、信じられないほど大きく、周囲から最も嫌われる存在になります。なぜなら、その人が黙ってさえいれば平穏が保たれるからです。その結果、声を上げた本人こそが本当の意味での「トラブルメイカー」になってしまう。
――オスカーの心情の変化について、とても丁寧に描かれていますよね。
私はまた、男性の登場人物の精神的なプロセスにも興味がありました。オスカーは最初、(彼から性被害に遭ったと公言している)ゾエの訴えを否定します。オスカー自身、自分が何を悪いことをしたのか理解していないからです。彼の中では、当時、苦しんでいたのは自分の方だと思っているのです。しかし彼は彼女の言い分を、少しずつ自分の中で受け止めていく。そして彼自身も、「成功した作家」という自己認識から、「依存症を抱える人間」という自己認識へと変わっていきます。依存症を抱えているという点では、性別や社会的な立場が違っても共通するものがあるのです。そうして彼は、彼女の語る物語に心を開き、ひとりの女性に共感することを自分自身に許せるようになるのです。過ちをどう修復すべきか明確な答えはありませんが、加害者が「彼女は嘘つきではない」と認めることは、彼女にとって大きな救いになります。それは許すためではなく、前に進むことを可能にしてくれるのだと信じています。
自分を破壊するものに、救いを求める
――若さを失っていくことと、依存症からの回復。『親愛なるゲス野郎へ』では、このふたつのテーマが結びついています。ご自身の経験や観察も含め、なぜこのふたつを描こうと思ったのでしょうか。
年を重ねるということは、これまで持っていたもの、かつての自分を形作っていたすべてを失い、自らのアイデンティティが打ち砕かれるような経験のこと。私は年齢を重ねたレズビアンですが、親しい友人の中には異性愛者でありながら、既存の規範に従わない女性たちがいます。私は、そうした女性のひとりを小説に描いてみたいと思いました。そして、私は依存症でもあります。50代になるまで、人生を通してさまざまな薬物の問題を抱えてきました。そしていま、依存症は社会全体に関わるテーマになったと思っています。私たちがスクリーン、SNS、スマホゲーム、そして人工知能(AI)と結んでいる関係は、まさに依存そのもの。最初は気分を良くしてくれますが、徐々にすべてを破壊し始めます。それでも私たちはその「ドラッグ」なしで生活することへの恐怖から使い続け、自分を破壊するものの中に救いを探し求め続けているのよ。
――「ヴェルノン・クロニクル(Vernon Subutex)」シリーズや『アポカリプス・ベイビー』など、これまでの作品でも、人と人とのつながりが重要なテーマになっています。分断や孤立が深まったパンデミック後の社会を踏まえ、他者とつながることの意味をどのように考えていますか。

そうね、どれも人と人が繋がることについて書いた本です。「ヴェルノン・クロニクル」は、家にスマホ(電話)を置いて外に出て、人と会い、共通のプロジェクトを持つという物語でした。人が集まり、身体を寄せ合って一緒に踊るという物語でもあります。『アポカリプス・ベイビー』は、集団の要素は少なめですが、最初はそれほど共通点を持っていなかった3人の登場人物の友情の物語でもあります。そして『キングコング・セオリー』はフェミニズムの本。フェミニズムは、集団として繋がることと深く関係しています。この本が言っているのは、「これが私の経験です。そして読者が『あなたはひとりじゃない。私も同じ』と答えてくれることを願っている」ということなの。
希望を取り戻すために本を書く
――かつて既存の規範に異議を唱える側にいたあなたが、その後、権威あるゴンクール賞の審査員になったことは、とても象徴的なことのようにも思えます。フランスの伝統的な文学文化と、ご自身のパンク的なルーツは、現在どのように共存しているのでしょうか。

私は35年間、本を出版し、メディアにも露出してきました。ですから、ある意味では私自身がフランス文学界の風景の一部(主要メンバー)になっていると言えます。出版業界に多くの友人や知人ができましたし、もちろん敵も何人かできました。ただ、将来的には状況が変わってしまうかもしれない。フランスは現在、極右の大富豪たちによる強烈な攻撃に晒されており、もし彼らが権力を握れば、私は執筆や公の場での発言さえ許されなくなる可能性があるからです。
――パンクやヒップホップは、小説全体を通して重要な役割を果たしています。現代のフランスにおいて、フェミニズムの観点から特に注目すべき女性ラッパーや音楽の動きはありますか。
もちろん! テオドラ(Theodora)は、素晴らしいアーティストです。まだ新しい存在ですが、フェミニズムの観点からも非常に興味深い。アヤ・ナカムラ(Aya Nakamura)やアデル(Adèle Castillon)、メリル(Meryl)など多くの女性アーティストが登場し、女性がどのようにパフォーマンスをし、表舞台に立つ公の人物として存在できるのか、そのあり方を変えてきました。ポップカルチャーやラップはフェミニズムの枠組みを格段に広げ、変化させたと思います、私はその変化を目撃するのが大好きですし、彼女たちの作品に強い関心を持っています。彼女たちは、私たちが20年前には想像すらできなかったような表現を成し遂げています。
――あなたにとって人生で最大の希望の源は何ですか。それは創作にどう影響を与えていますか。
私にとって、それは政治的な闘い。パンデミックの苦しみや極右勢力の台頭、AIによる現実の変化を前に、私は初めて「人を幸せな気持ちにする本」を書く義務を感じました。読者が、少しでも絶望から抜け出すきっかけになるよう、この本では「回復」や「希望」、「人間同士のつながり」、そして「優しさ」について多くを語っています。
- interview: Natsumi Itoh