豪華絢爛な名建築、ガルニエ宮に迫る。
劇場なのにその豪華さゆえにパラス(宮殿)と呼ばれるパリ・オペラ座。建築物そのものが壮大なるスペクタクルで、昨シーズンは130万人の見学者を迎えた。

ルーヴル宮殿を背にパレ・ロワイヤルからオペラ大通りを北上してゆくと、突き当たりに立つパリ・オペラ座の威風堂々たる姿が徐々に迫ってくる。竪琴を持つアポロン像をいただく青銅の丸いドームが目に入るだろう。その真下に位置するのが、有名な8トンのシャンデリアが下がる公演会場だ。中断時期もあったものの完成まで15年近くをかけ、1875年に落成したパリ市内13番目の劇場、オペラ座。建築にあたって171名が参加したコンクールで選ばれたシャルル・ガルニエによる傑作だ。その後開通した幅30メートルあるオペラ大通りの左右に、景観のため樹木を植えないことを希望したのも彼である。

鉄骨建築と豪奢な装飾、
150年後も色褪せぬ魅力。

広場の階段を上がり、中に入ってみよう。シャルル・ガルニエは建物の建築だけでなく彫刻、絵画、モザイクなど装飾についても芸術家を選び、職人を選ぶなど総指揮を執った。自身の美意識とビジョンをオペラ・ガルニエに集大成したのだ。
1875年1月15日にこけら落としが行われ、公演はさておき劇場内を見学したいという人々が新オペラ座内にあふれる日々が続いた。大理石の大階段、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間にインスパイアされたグラン・フォワイエ、公演会場内の見事なシャンデリアなどの壮麗さに幻惑された見学者たち。まるで宮殿のよう! という彼らの感嘆から、劇場にもかかわらずガルニエ宮と呼ばれるようになったのは有名な話だ。
この新オペラ座の建築は、ル・ペルティエ通りにあった12番目のオペラ座で暗殺未遂にあったナポレオン3世が安全かつ世界で最も美しい劇場を求めて、パリ大改造に着手していたオスマン男爵に全権委任したプロジェクトである。第二帝政期を代表する建築物となるはずだったが、工事中に失脚したナポレオン3世は完成を見ることなく英国で客死。彼のための専用口から馬車で入ることも、半裸婦像の向かいの特別席に座ることもなく。どの範疇にも当てはまらない折衷様式のこの建物を“ナポレオン3世様式”とガルニエが命名し、輝けるオペラ座の歴史に壮大な夢の生みの親の名は幸いにも残された。

ガルニエは建築家として、その天才ぶりを目に見えない箇所にも発揮している。エッフェル塔より先に彼は建物の骨格に当時の新素材である鉄を使用。それをセメントと装飾で覆い隠したのだ。また建築を妨げていた敷地の地下水を逆手にとって、貯水池を作ることで建物を安定させた。
建築費を抑えるためにゴールドの豪華な外観の効果を安い費用で生み出すイタリア式のアイデアを取り入れて……と。時の流れの中で、シャンデリアがガス照明から電気に変わり、また1964年にマルク・シャガールの天井画に変わるといったことはあるものの、いまも創設時と同じ美しい姿で訪問者を魅了し続けている。
- editorial direction & text: Mariko Omura
