文筆家・村上香住子が胸をときめかせた言葉を綴る連載「La boîte à bijoux pour les mots précieuxーことばの宝石箱」。今回は"地球に落ちてきた"ロックスターにして俳優、デヴィッド・ボウイの言葉をご紹介。
「8時に2名、名前? ボウイ、そう、デヴィッド・ボウイだよ」
そんな電話がかかってきたら、レストランの人は肝を潰すだろう。海外には芸能人や政治家用の個室はないけど、もしあるとしたら、そこが塞がっていたら大慌てになるだろう。もしかしたらこの言葉は、いわゆる「切り抜き」かもしれない。またはジョークのような気もする。この後に言葉が続いていたのではないか。
「それどころかストーカーもいるし、待ち伏せもあるし、有名人になったら碌なことはないよ」と。そんな続きを想像してしまう。
だけどそうした重苦しいダークなことは一切言わないのがボウイなので、やはりレストランの予約が取れるというご褒美、というのは本当だろうし、実際に自分で電話をしていたようだ。最近のように偽有名人になりすまし、犯罪まがいのことをされたり、虚偽の情報で、ネット炎上が起きたり、ご褒美どころか、ボウイが酷い目に遭って、散々な体験をせずに済んでよかった、というのがファンの心境といってもいい。
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パリにいた頃、有名人たちとカフェでインタビューをしたり、夕食に行ったりしたが、日本のように個室を要求したり、ほかの客に見えないように背中を向けて座ったりする人は、ひとりもいなかった。むしろ他の客に混じってさりげなく食事をしていたし、ファンもプライベートの時は迷惑をかけないように抑えているようにも見えた。
隠れようとすればするだけ、自分は芸能人です、といっているようにも見えるのだが、それが日本でのマナーのようだ。ある日本の結構有名女優と夕食に出かけた時、入口から入ってくる客に見えないように、入口の真後ろに座ったり、それが直角でなくまたずらしたり、大変そうだな、と思ったものだ。とはいえいまの時代、どこで写真を撮られてネットにアップされるか分からない。セレブもそれなりの苦労があるのかもしれない。
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2016年、69歳の誕生日を祝ったその2日後の1月10日にボウイは亡くなっている。今年2024年1月8日、誕生日の日に、パリの13区のオーステルリッツ近くに、デヴィッド・ボウイ通りができている。ボウイはそれほどパリとゆかりがあったのだろうか。それは知らないが、墓のないボウイにとって、その通りがデヴィッド・ボウイの聖地のひとつになるのかもしれない。英国以外で、国外での初のパフォーマンスをしたのがパリだそうで、それが通り誕生の理由だという。
生前あらゆることを美意識で貫いた遺言を残していたボウイは、自分をすっかり消滅させたいと願っていて、散骨にしてほしいといっている。そして火葬の際も、散骨する時も、家族は立ち会わないように、と厳命している。
だから墓地も存在しないのだ。ボウイにとって、ファンたちが花束を抱えてやってくる姿を想像するのは、耐え難く重たいことだったからだろう。ボウイは永遠にクールなダンディだった。
デヴィッド・ボウイ
1947年、ロンドン生まれ。1969年、映画『2001年宇宙の旅』をモチーフにしたアルバム『スペイス・オディティ』が大ヒット。72年にコンセプトアルバム『ジギー・スターダスト』を発表、グラムロック路線を確立する。76年には初の主演映画『地球に落ちてきた男』も公開、俳優としても活躍した。00年代後半、病気療養後は表舞台への露出が減るが、13年に新曲「ホエア・ウィー・ナウ?」で復帰。16年、最後のアルバム『ブラックスター(★)』発表から2日後、肝がんにより逝去。
photography:Iconicpix/Aflo
フランス文学翻訳の後、1985年に渡仏。20年間、本誌をはじめとする女性誌の特派員として取材、執筆。フランスで『Et puis après』(Actes Sud刊)が、日本では『パリ・スタイル 大人のパリガイド』(リトルモア刊)が好評発売中。食べ歩きがなによりも好き!
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