フランス語圏のシンガーソングライター、シャーロット・カルダン、世界的ブレイクの裏側とは?
フランス語圏のシンガーソングライターが、世界中で注目されるようになったその理由とは? 仏「マダムフィガロ」の記者が分析。2026年春夏オートクチュールを優雅に着こなす、そのスタイルからも目が離せない。

Charlotte Cardin
1994年、カナダ・モントリオール生まれ。15歳からモデルとして活動した後、2016年にソロデビュー。21年のアルバム『Phoenix』でジュノー賞4部門を受賞し、注目される。
https://www.charlottecardin.com/ @charlottecardin
シアンブルーの瞳、うなじで髪の毛をきれいにまとめた姿はどことなくロマンティックだ。パリのアパルトマンの白いソファにちょこんと座ったシャーロット・カルダンは、ジェーン・カンピオンの映画のヒロインのようで、美しく楚々としていながら奥に大胆さを秘めている。デビュー当初から、コンサートではピアノの鍵盤に顔を落とすように歌うのが彼女のスタイル。ポップス界では異例なほど、強い感情を込めて歌う。内省的な歌詞とふわふわと漂うようなメロディは、しなやかな声と妥協のない表現力によって支えられている。

カナダのモントリオール生まれのシンガーソングライター、シャーロットは31年の人生の間にすでにさまざまな体験をしてきた。12歳で鬱になり、病を癒やすためのクラシックピアノやギター、作曲を通じて音楽のキャリアの礎を築いた。現在では、世界で大人気のフランス語圏の歌手のひとりだ。長年の努力に加え、本人曰く「とてもラッキーだった」からだそう。2021年のファーストアルバム『Phoenix』で注目され、24年になって爆発的に人気が出た。23年のアルバム『99 Nights』のデラックスエディションに収録されたディスコ曲「Feel Good」が再注目され、TikTokでバズったからだ。数日のうちに拡散されて世界的ヒットとなり、25年に世界中のラジオ局で最も多く流された曲となった。
その後まもなく発表した「Tant Pis pour Elle」、ケベックの歌手パトリック・ワトソンとのデュエット「Gordon in the Willows」の新曲2曲もヒット。パリのゼニットで7000人の観客を前にアンジェルとステージに立った経験を経て、今年はツアーが予定されており、4月30日のパリのアコール・アレナでの公演は完売。全楽曲の総再生回数は世界で13億6000万回を超え(26年2月現在、アメリカで7400万回以上、フランスで3億3200万回、カナダで5億900万回)、26年のヴィクトワール・ドゥ・ラ・ミュージック賞にも3部門でノミネートされた。
しかし、どんなに有名になってもその人生哲学は揺るがない。セリーヌ・ディオンの大ファンである彼女にも野心はある。ステージやフォロワー約100万人のインスタグラムでこだわっているのは自分らしくあること。こうした姿勢がロレアルパリを魅了し、フランスとカナダの新しいアンバサダーに選ばれた。「彼女は私たちの価値観をすべて体現しています。力強さ、感受性、自尊心、そして社会への強い関心です」と同ブランドは語る。
数年前から恋人で俳優兼ミュージシャンのアリオシャ・シュナイダーとパリのモンマルトル地区で暮らすシャーロット。現在、新しいアルバムの録音の最終段階にあり、その内容について語ってくれた。

――世界的ヒットとなった「Feel Good」に続き、「Tant Pis pour Elle」は2月時点で1500万回近い再生回数です。あなたにとって成功とは?
ありがたいことですが、戸惑ってはいません。徐々に自然と売れた感覚があるから。「Feel Good」以前、ファーストアルバムもそこそこ売れたので慣れたのかもしれません。ツアーを始めてもう10年以上になります。フランスでも海外でも、どこかの街に戻るたびに会場は大きくなり、観客も増えています。アーティストとして、人間として成長する時間がありました。女性としても自信がつきました。有名になるための準備期間があるっていいものです。イギリスの歌手ローラ・ヤングのように、一夜にしてブレイクしたために気持ちが追いつかなくて自分を見失ってしまうアーティストもいるから。自分をさらす準備がなければ、この業界では潰れてしまうことだってあります。自分を見失わないためには、しっかりした価値観やいざという時に頼れる家族の存在が必要です。
2024年にリアリティ番組「スター・アカデミー」に出演して歌った「Feel Good」がTikTokで一気に広まった時からそのことは意識しています。この曲は23年のリリース時にはほとんど注目されませんでした。なのにどうしてあの時に爆発的に人気を得たのでしょう? 謎というか魔法のようです。ヒット曲はその時の文化的・社会的状況と同調して聴衆が求めるものと合致したタイミングで生まれるのでしょう。当時は惑星が一直線に並んだような感覚でした。
――音楽との初めての出合いは?
子どもの頃から、音楽は身近な存在でした。家族との夕食後は、いつもピアノの周りに集まって歌うのが習慣だったのです。祖父母や叔父叔母たちは即興で素晴らしいハーモニーで歌い、まるで合唱団のようでした。祖母と母はピアノが上手で、祖父はギター。でも、祖父は歌もとても上手だったんです。父は生物学者、母は疫学者で、両親はずっと研究の世界にいましたが、家の中心にはいつも芸術があり、音楽と結びつく術を教えてくれました。
――音楽は、辛い時や迷った時の救いとなる?
12歳の時に、鬱を経験しました。自分に何が起きたのかわからず、感じていることを言葉にすることもできませんでした。半年間、ずっと悲しみの中に沈んでいました。両親は私を心理士の元に連れて行ってくれました。そこでようやく自分が感じていることを言葉にでき、自分の内側で何が起きているかを理解する手がかりを見つけたのです。その頃すでに歌っていましたが、これをきっかけに作曲も始めました。音楽で自己表現することは病気から立ち直る手段であり、新たな一歩でした。以来、自分ではどうしようもないことは考えすぎず、大切なものを優先して、深刻なこともユーモアを交えて向き合うことを学びました。たとえば、アルバム『99 Nights』の「Daddy’s a Psycho」という曲では、大好きなのに時としてややこしくなる父との関係を、ちょっぴり皮肉を込めて歌っています。葛藤しつつ、歩み寄ろうと努力する父親との関係を、ほかの女性たちにも伝えたいという思いがありました。
――音楽シーンにおける女性のイメージをどのように変えていきたい?
私が音楽を始めた頃、ロックバンドで楽器を担当する女性はほとんどいませんでした。もしそういう人がたくさんいたら、私もピアノという女の子向きとされる楽器ではなく、ベースを習っていたかもしれません。ポップスの世界で女性ミュージシャンはまだ少なすぎます。もちろんキム・ゴードン、PJハーヴェイ、クリッシー・ハインド、テイラー・スウィフトはいますが、彼女たちは稀な存在です! 若い女の子たちには目標とする存在がおらず、結果的にミュージシャンとしての将来を思い描くことが難しいのです。現在、音楽業界で女性はわずか10%です。歌手、マネージャー、プロデューサーなどすべての職種を含めてこの割合なのです。女性ミュージシャンの比率はさらに小さい。数字は正直です。この世界はいまだにひどくジェンダー化されています。そのことが語られるようになってきただけでも一歩前進なのです。
――21年にファーストアルバム『Phoenix』をリリースした際、モデルをしていたことを話さなかったのはなぜ?
15歳から19歳までモデルをしていました。パリやロンドンのファッションウィークに数回参加した以外は、バイト的な感覚でした。モデルをしたおかげで音楽活動を続ける経済的自由が得られました。でも同時に、嫌な体験でしかありませんでした。この業界で自分は価値のない、見向きもされない存在でした。かなり自信を失ったし、たくさん傷つきました。具体的には言いませんが、とても屈辱的な状況を何度も体験しました。たくさんの人の前でけなされ、身体や容姿についてありえないようなことを言われました。誰にもあのような体験はしてほしくない。経験したら確実に後遺症になります。19歳で音楽に専念することに決め、自分を取り戻しました。最初のEPをリリースした時、趣味で音楽をやっているお人形的存在に見られたくなかった、本気でしたから。ただ言っておきたいのは、ファッション自体にはとても惹かれているし、モデルの職業は尊敬しています。
――楽曲「Ensemble」は恋人のアリオシャ・シュナイダーとの共作です。彼との出会いは?
付き合ってもう10年近くになりますが、いまでもとても仲良しです。アリオシャと出会ったのは、私が18歳、モントリオールでした。出会いはちょっと変わっていて、アリオシャの父ジャン=ポールがテレビでオーディション番組「La Voix」に出ている私を見たのがきっかけでした。アリオシャに「彼女、なかなかいいね」って言ったそうです。アリオシャと私には共通の友人が何人かいて、彼がシュナイダー家の人だということは知っていました。ジャン=ポールはなんとか私の連絡先を入手することに成功して、ある日突然電話をしてきました。そしてとてもストレートに「息子のアリオシャはミュージシャンなんだ。君たちは一緒に音楽をやるべきだと思う」って言ったのです。私は爆笑しましたが、同時に気持ちを動かされました。昔から知り合いだったかのような、不思議な信頼感を覚えたのです。
数日後、シュナイダー家を訪問しました。そしてアリオシャを見た瞬間、「この人が私の運命の人だ」と閃いたのです。それは必然のように感じられました。実際に付き合い始めたのは3年後、21歳の時でした。それまでは曲作りの仲間で、初期のツアーから一緒で、ケベックでのコンサートで前座を務めてくれることもありました。いつか彼との子どもができるかもしれません。母になりたい思いは私の中でとても強いのです。アリオシャと私は一緒に成長し、同じ方向へ歩んできました。それはとても恵まれたことだし幸運だったと思います。最初の頃は、お互いに自分なりの声や道を相手に頼らず見つけたいという気持ちがあったのですが、最近では共作が増えています。6年間一緒に暮らしてから、恋人関係だと公表しました。それまでは自分たちだけの秘密にしていたかったのです。いまでは一緒に仕事をするのがどんどん楽しくなっています。

――インスタでは創作の瞬間を絵やダンス、演奏などで共有し、気弱な姿も見せています。このような“フィルターなし”の発信をする意図は?
完成されたミュージックビデオや作品だけでなく、制作の舞台裏や自分の弱さを共有することは大切だと思っています。創作のさまざまな段階を見て、刺激を受けるフォロワーもいるかもしれません。ファンの人たちにはもっとダイレクトに自然な形で私にアクセスしてほしいのです。私たちの世代は比較的オープンです。公の顔とプライベートな顔をミックスしても許されるのは、人々が真実を求めていて、受け入れてくれるからでしょう。
――新作となる3枚目のアルバムはどのような内容ですか?
これまででいちばん「楽しい」アルバムです。それは明るい曲ばかりだからではなく、人生で自分がハッピーな状態にあるからです。おかげで新しい方向性を追求する余裕が生まれました。このアルバムを表現するのにいちばんしっくりくるのが「プレイ」という言葉です。自分でギターもピアノも弾いていますが、声でも遊んでいます。さまざまなスタイルやメロディに挑戦しました。楽曲はシネマティックで、サウンド的にはこれまでよりエレクトロ色が強くなっています。
※3月にリリースされた新曲「The Way We Touch」を含む3枚目のアルバム『CC3*』は、今秋リリース予定。
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- photography: Max Vigato (Madame Figaro)
- styling: Cécile Martin (Madame Figaro)
- hair: David d‘Amours (Madame Figaro)
- makeup: Leslie-Ann Thomson (L’Oréal Paris/Madame Figaro)
- manicuring: Adélie Ané (Madame Figaro)
- text: Paola Genone (Madame Figaro)
*「フィガロジャポン」2026年6月号より抜粋