【生誕56年】リヴァー・フェニックスよ永遠に。誕生日に振り返る、彼の人生の「4つのキーワード」。
8月23日は、1993年に23歳で亡くなった俳優、リヴァー・フェニックスの誕生日。生きていれば今年56歳を迎えていたはずだった。

10歳でハリウッドデビューし、1986年に映画『スタンド・バイ・ミー』の陰のある少年、クリス・チェンバー役で鮮烈な印象を残して一躍スターに。亡くなるまでに24本の映画に出演し、薬物の過剰接種によって死亡。
アカデミー賞にもノミネートされたその演技力と、繊細な永遠の少年のような無垢さを宿したその美貌は、いまもなお映画ファンたちの間で語り継がれている。そんなリヴァーの人生を4つのキーワードから振り返ってみよう。
セックスカルト団体のコミュニティーで育った、特殊な幼少期。
『マイ・プライベート・アイダホ』や『モスキート・コースト』など、複雑な家庭で育った少年役のイメージが強いリヴァーだが、私生活でも風変わりな幼少期を経験している。
5人兄妹の長男として生まれ、弟にはホアキン・フェニックスがいる。リヴァーが3歳の時にヒッピーである両親はカルト教団「チルドレン・オブ・ゴッド」に加入。境界線のないセックスを愛の形だとする集団で、1991年にリヴァーはインタビューで「性的虐待を受け、4歳で童貞を失った」と語っている。
フェニックスのファミリーはベネズエラからメキシコ、プエルトリコへ旅をしながらカルトを布教し、教団へのお布施のために、路上で大道芸を行なって日銭を稼いだ。リヴァーたち子どもが早くから歌やダンスの才能を身につけたのは、その影響だ。そんな生活が6年間続いた。そのため、リヴァーは学校に通ったことはない。リヴァーが8歳の時に、母親がパラマウントのキャスティングディレクターに連絡して、リヴァーはハリウッドで働き始めた。
一家は愛し合っていたが父親のジョンはアルコール依存症で、長男であるフェニックスは幼い頃から自分が家族を支えなければならないと感じていたという。リヴァーの死の瞬間にも一緒に居た、当時の恋人サマンサ・マシスは、リヴァーが亡くなる1年前に、妹の大学費用を作るためにもう一本映画に出なければならないと語っていたと回想。 彼に近しい者たちは、リヴァーが不当な死を遂げたのは、この幼少期のカルト教団との関わりが関係しているのではないかと推察している。
動物愛護と環境保護の熱心な活動家だった。
弟ホアキンによれば「幼少期から、人間やほかの動物たち、そして自然界がすべて繋がっていることを理解していた」というリヴァー。ヴィーガンを貫き、動物愛護と環境保護の擁護活動に積極的だった。インタビューのたびにベジタリアンと環境について語り、俳優で活動家のマーサ・プリンプトンがレストランでシーフードを注文したことで、涙を流しながらレストランから飛び出したというエピソードも残されている。
1992年には動物愛護団体のPETAから年間ヒューマニタリアン賞を授与。リヴァーの死後も、家族たちはPETAとともにリバー・フェニックス人道賞を2015年に創設し、その遺志を引き継いで来た。
そんなリヴァーの活動は尊敬され、ホアキンは2020年にパートナーであるルーニー・マーラーとの間に生まれた息子にリヴァーと名付けた。また、ハリウッドでは、レオナルド・ディカプリオやジェームズ・フランコ、ジャレッド・レトなど数多くの俳優たちが、リヴァーをロールモデルやインスピレーション源として名を挙げている。ディカプリオは2019年5月の米「エスクァイア」インタビューで、「私はリヴァー・フェニックスを自分の世代の偉大な俳優としてリスペクトしながら育ちました」と語っている。
キアヌ・リーヴスとの友情。
映画『マイ・プライベート・アイダホ』で共演したキアヌとは、弟ホアキンが主演した映画のセットで出会い、友人となった。ふたりは一緒に映画を観たり、コンサートを観るためにバイクでキーウェストまでツーリングしたこともあるという。
リヴァーのエージェントが『マイ・プライベート・アイダホ』の出演を拒否したため、監督のガス・ヴァン・サントはキアヌにリヴァーへの説得を依頼。キアヌは1974年製のノートン・コマンドーというバイクでトロントからフロリダのリヴァーの家族が営む牧場まで1300マイル走り、リヴァーに脚本を見せてリヴァーは出演を承諾したという逸話も。
キアヌは「エスクァイア」に対し、死後ほぼ30年経ったいまも、リヴァーをまだ恋しく思うと話した。
「彼について、過去として話すのはおかしな感じです。彼は本当に特別な人物で、独創的でユニークで賢く、才能があり、すごくクリエイティブでした。思慮深くて勇敢、そしておもしろくて暗くて、でも光もあって。彼と知り合えて、とても素晴らしかったです。感動的な経験でした。彼が恋しいです」
映画共演した2年後にリヴァーは亡くなるが、当時キアヌと一緒に映画『スピード』を撮影中だったサンドラ・ブロックは、リヴァーが亡くなった際にキアヌがどれだけ悲しんだかを証言している。 ハリウッドスターなのにボロボロのブーツを履いているとSNSでネットユーザーたちに話題になったことがあるキアヌだが、そのブーツはリヴァーにもらったもので、大切な宝物なのだとも。
オーバードーズによる悲劇的な死。
1993年10月31日、ウエストハリウッドにある、ジョニー・デップがオーナーのクラブ「バイパー・ルーム」で薬物の過剰接種で亡くなった。「ロサンゼルス・タイムズ」によれば、リヴァーは体内に致死量のコカインとモルヒネを有していたという。
家族や友人は、当初、薬物がリヴァーの死因だったという考えに異議を唱えていた。なぜなら、彼はクリーンな生活に固執し、肉や乳製品や卵も食べず、レザー製品も身に付けなかった厳格なヴィーガンだったからだ。彼が薬物の常連使用者ではなかったと主張する者も。
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弟ホアキンは2025年7月にテオ・ヴォンの『This Past Weekend』ポッドキャストでリヴァーの人生を、「すごい力だった」と振り返った。 「彼はある意味、導灯のようなものでした。彼が最初に行動した人物です。私たちはかつて街で歌っており、彼はギターを弾き、まるで皆を見越すかのような存在でした」
- text: Moyuru Sakai