【フィガロジャポン35周年企画】 月2回刊行でファッションがパワーアップ!1995年ののフィガロジャポンを振り返る。
Culture 2025.03.19
パリ生まれ東京育ちのスタイル誌『フィガロジャポン』は、2025年3月で創刊35周年。パリやパリに生きる人々の哲学から旅、ファッション、食、映画、そしてアートまでフィガロジャポンが発信してきた35年の歴史を編集長の森田聖美がバックナンバーをめくり思い出に浸りながら、振り返ります。1995年に発売したすべての号をプレイバック!
1995年3月号(1月発売)061
パリジェンヌに魅了された雑誌の宿命。
「パリジェンヌのおしゃれ生活をぬすめ!」とある。それも「マンネリ生活を変えるために、」だそう。素敵な暮らし方をしている10人近いパリジェンヌを取材し、パリガイドも。このパリジェンヌ特集が後の鉄板企画に進化していった。プチ・プリというキーワードもゲット。スモールプライスのおしゃれやコスメ、そういうものを軽やかに生活に取り入れる若いパリジェンヌを多く取材し始めたのも、この頃からかもしれない。
1995年4月号(2月発売)062
やっぱり好きです、いいブランドの名品が。
当時、ブランド名品図鑑のようなものも流行っていた。多くのブランドはフランスやイタリアの老舗で、伝統のサヴォワールフェールを保ちながら絶対定番を作り、新色や新型を出していた。そんな時代からそう遠くなかったから、名品図鑑も好まれていた。この後、老舗メゾンはモードを強化し発展していき、大ファッションストリームになるのだけれども。それを見越したように、「高品質なものを買いましょう!」と高らかに謳ったのが「いますぐ欲しい! ブランド小物」特集。筆者はこの号を参考にして、シャネルのオニキスのカメリアのリングを購入した。いまでも大切な宝物。まもなくフィガロジャポンは月2回刊になるが、それはモード時代を見据えて、ファッション号を増やすためでもあった。その布石となった号だ。
1995年5月号(3月発売)063
好きな街は、「ローマです」。
創刊5周年記念特大号は「ローマの休日旅行。」特集。そして、月刊の最後の号でもあった。この頃、筆者は広告進行業務よりフィガロジャポン編集部へ異動した。フィガロジャポンの旅特集は地図を重視していて、コマ地図と呼ばれる位置を示す地図がお店紹介ひとつひとつについていたため、毎晩自宅で地図のラフを描く作業をしたことが最初の編集部での仕事だった。旅取材の出張者が心の奥底から羨ましかった。ローマは大好きな旅先でボルゲーゼ美術館は心の聖地だ。いま開いて改めて思うが、自分自身が関わった号というのは本当に愛しい。雑誌編集者になって小さな一歩、雑務のような仕事でも、それが掲載され記事になることの悦びを知った号だ。当時は、「編集者」という職業も世の中の憧れだった時代。
1995年5月5日号(4/20発売)064
月2回刊スタート! グッチとノルマンディ特集で。
とうとうスタートした月2回刊。ここからフィガロジャポンはモードへもぐっと力を入れ始め、その体制が現在でも続いている。ワンブランドにフォーカスする作りで、まずはグッチから。編集部も2班体制。5日発売号チームと20日発売号チーム。筆者は塚本香副編集長のチームへ。こちらは森明子副編集長&村田裕子副編集長の20日発売号チームによるもの。サラ・ムーン撮影の表紙だった。
1995年5月20日号(5/5発売)065
ドリス ヴァン ノッテンはフィガロにとって永遠の偏愛対象。
偏愛するブランドを巻頭特集にしたい! フィガロジャポンにとってドリス ヴァン ノッテンは特別なブランド。ニューヨーク在住のカメラマン渡辺奈々によるモード撮影で、当時彼女はAgfaのフィルムで撮っていた。後半にはドリス本人のインタビューと、アトリエやアントワープのブティック紹介。そして、パリでいま買うべきものアゲイン。
1995年6月5日号(5/20発売)066
豪勢な幕ノ内弁当のように多彩な特集。
当時、主軸のコレクションをカジュアル化したビスラインが流行った。なかでも、NYブランドはすごい顔ぶれ。シンプリシティと機能性、街着に最もふさわしい3ブランドが登場。一方でアンティークに魅入られたフィガロジャポンのヨーロッパ街ホッピングは続く! NYとロンドンを制覇し、良質な食材を買い、コンラン卿の部屋のインテリアを拝見し......スリム化しても、ゴージャスな幕ノ内弁当のように情報が詰まっていた。
1995年6月20日号(6/5発売)067
ミウッチャ・プラダもソニア・リキエルも独占インタビュー。
2チームになるとそれぞれのメンバーで個性が出てくる。筆者は当初、5日発売チームに所属=こちらのチームのほうがちょっと偏愛でオタクっぽい(塚本香姉御)。なので、ミュウミュウに執着。そして、現在では難しいがミウッチャ・プラダに独占インタビューまで敢行。「パリの定食屋」特集も愉しく、現存する食堂もある。後半ではスタイリスト地曳いくこが担当したエルメスのモードストーリーや、ソニア・リキエルの独占インタビューまで。お宝特集が詰まった号だ。
1995年7月7日号(6/20発売)068
買う・泊まる・食べる。物欲を刺激する大特集。
「ロンドン買物旅行。」特集。四字熟語のような買物旅行の文字。フィガロジャポンは海外で、物撮影をその土地の風景の中でしていた。旅情込みの物欲刺激。買う・泊まる・食べるをここでも主張し、綴じ込み付録には「ロンドンから行く田舎町」特集まで! また、ベストコスメは年2回特集を組むのを続行。ユニークなのが透明バッグの活用法というページ。この頃からスケルトンのバッグが流行り出したのかもしれない。時代だ......。
1995年7月20日号(7/5発売)069
ニューヨークとダナ・キャランの好相性。ニューヨークとダナ・キャランの好相性。
NYのような刺激的な街でも、「そこで物撮り」を決行。セントラルパークで撮影されたものもあって、なんだかカワイイ。そしてダナ・キャランのファッションストーリーは色香が漂っていた。インタビューもウディ・アレンでNY節が一貫している。たった半ページのインタビューに、なんと......『恋する惑星』公開時の金城武が! 筆者はこのインタビューを担当、その時ストレスで胃を悪くして口角にオデキが。それも魅力的だった。
1995年8月5日号(7/20発売)070
パリよりもNY&ロンドン、そしてTOKYO?
シンプルでクールなデザインが揃った「人気ブランド 秋この1点!」、「カルバン・クライン」のモードストーリー、猫の性格を分析した「猫入門学」、「映画『恋人たちの食卓』の究極料理を求めて台湾へ。」、愛する男の子どもが欲しかった「ジェーン・バーキン独占インタビュー」、「ICB」と「ナチュラルビューティー」の東京ブランドへのフォーカス。限りなく自由に、モード誌としての主張を一気に強める。
1995年8月20日号(8/5発売)071
マーク・ジェイコブスも応援してた、強く。
モードストーリーが3つ入った号で、秋に新上陸したブランドにフォーカスしている。先ごろ久しぶりに来日したマーク・ジェイコブスがデビュー間もない頃だ。映画好きとしては、アジア映画特集があるのもうれしかった。まさにウォン・カーウァイの人気が世界中で高まり始めた頃。台湾ニューウェイブの監督たち、ホウ・シャオシェン、エドワード・ヤン、ツァイ・ミンリャンが世界の映画祭で注目され始めた時期。けれども、ヨーロッパの正統派カルチャーへも焦点を当て、『悪童日記』で話題となっていたアゴタ・クリストフへのインタビューや、コクトー分析も。コクトーは語りがなんと久世光彦だった!
1995年9月5日号(8/20発売)072
とてつもない内面を持つひと、それは......。
プラダ大特集。「このデザイナーは、何かとてつもない内面を持っているわね」とプラダのコレクションを見た時に近くにいる友人が囁いた、とあるジャーナリストの言葉が掲載されていた。プラダのデザイナー、ミウッチャ。彼女への敬愛は現在も続いている、ファッションやクリエイティブを愛する人の間で、そしてフィガロジャポンもずっと。プラダ特集と並んで、アントワープ特集およびパリから行く田舎町。後半ではマーガレット・ハウエルのインタビューも。クリエイターの言葉や考え方をいかに大事にしてきたか。いちはやく、パリの馬を操る舞台集団ジンガロの記事も掲載。
1995年9月20日号(9/5発売)073
奥深いウィーンの魅力に触れて。
この号は、徹底的にシャネル、そしてウィーンだった。シャネルがその真骨頂と言えるツイードのセットアップやドレス、そしてビザンチンのコスチュームジュエリーをカラフルな色彩で発表したシーズン。シャネルのコードをこの記事から学んだ。そしてウィーン特集は、街、路地、1冊のなかのあらゆる場所にウィーンを忍ばせたフシギな台割であった。ウィーンでのモード撮影や、ウィーンから行く田舎町まで。
1995年10月5日号(9/20発売)074
ミラノで買い物、モッズスタイルで秋のファッション。
当時のクールな気分は最終的に新・モッズスタイルにたどり着いていったのかもしれない。60年代風のコンパクトなモードが新鮮な時代だった。そして、ミラノの街角でも、欲しいモノを撮影敢行。当時、グッチ、プラダ、ミュウミュウはマストハブのブランドだった。街で取材していると有名カメラマンが旗艦店で、ケイトへ、サラへ、アナイスへ、など、起用するモデルへのギフトを購入していたりする姿を見かけたりもした。驚愕は「さよならユベール、こんにちはジョン !! ジバンシィが変わる!」というレポート記事。表紙はメイクテーマからだった。まさにアイメイクが強調されるモッズメイク。
1995年10月20日号(10/5発売)075
ブランドの哲学を的確にキャッチ。
「永遠のおしゃれパートナー、マックスマーラ」。この言葉はブランドの哲学を的確につかんでいると思う。そしてサブにコート特集とは! この頃の特集ではなぜそのブランドが魅力的か、を有識者の言葉を用いて紹介していた。有名スタイリスト、ファッションジャーナリスト、彼女たちがマックスマーラを評価する理由は、永遠性。いつまでも変わらぬハンサムなムードを、纏う人に宿し続けてくれる服。靴バッグ特集の前身が、ブランド小物特集。この厳選されたカタログでシーズントレンドを知る。また人気企画の香水特集も大ボリュームで。
1995年11月5日号(10/20発売)076
セレクトショップ全盛期、誰もが新しいブランドを探してた。
この時代、確立されたブランドショップに行くよりも、新上陸のブランドを目利きバイヤーがキュレートしているセレクトショップのほうが圧倒的にファッション好きに人気だった。その気配を察知して、全国を網羅した「日本の買物が変わる セレクト・ショップ旋風!」特集。1冊の後半には、ジル・サンダー本人のインタビュー付きでモード撮影。
1995年11月20日号(11/5発売)077
さまざまな想いが乱れる号、インテリア、著名人インタビュー、エトセトラ。
「大人が選ぶ家具。」特集。忘れもしない、ショップ取材原稿を必死に書いた思い出。編集者としての喜びは取材にあり。そこでプロが何を考えているか、どんなこだわりを持って店を運営しているかがわかる。小さなページでもうれしかった。そして、今号には、エリック・ロメール、ジュリエット・ビノシュというフランス映画の至宝のインタビュー。加えて、レオン・カーファイにインタビューで初めて会い、ド緊張し、連載アクチュアリテで掲載されたページを見るとしみじみする......。
1995年12月5日号(11/20発売)078
鉄板となった買いたい物企画。
フィガロジャポンの鉄板企画として確立されたヨーロッパ都市での買いたい物企画。「パリ 買いたい物を決めて、出発!」特集。綴じ込み企画ではパリのファッション&ビューティショップも取材、ミラノ・モードはコレクション報、そしてバックステージにうようよいたスーパーモデルたちをレポート。故ステラ・テナントも出始めた時期だ。ドキュメントでは、故ジェーン・バーキンの長女、故ケイト・バリーの薬物克服について本人へのインタビューが掲載されている。月2回刊になったところから星占い連載がスタートしていたが、今号では96年の占い大特集も。マダム・ド・リス・ド・サンリスは「美人に何か起こる」などユニークでコワいコメントで、人気を博した。
1995年12月20日号(12/5発売)079
買い物好きが夢中になる街NYに♡
ニューヨーク、ロンドン、パリ、ミラノ。おそらくこの4都市がフィガロジャポンが最も多く取材してきた場所。今回は、ファッション担当だった塚本香姉御が取材者だったので、ファッション関連のブティックが多数紹介されている。エマニュエル・ベアールのインタビューもエロスがあったが、ベストコスメも大ボリュームで掲載。ファッション&ビューティのフィガロが徹底されたイシュー。
1996年1月5 & 20日号(95年12/20発売)080
ナオミ・キャンベルのカバーとハワイ特集で、思い切り陽気に!
あったあったそのグルメ用言葉、パック・リム。環太平洋料理。当時さりげな~く流行ってました。ハワイ島のリゾートから始まる特集「大人の休日ハワイ」。モードストーリーでは胸をあらわに見せ、ヴェルサーチェを纏ったナオミ・キャンベルがマルオ・テスティーノにより撮影されている。ジム・ジャームッシュとジョニー・デップのインタビューがあって(映画『デッドマン』で来日)、先輩編集者が「取材中の部屋に入れなかった!」と怒って帰社したのを覚えている。この頃から徐々におしゃれスナップをコレクションのバックステージや会場に入るモデルたちでやり始め、後に大人気企画に育ってゆく。