【フィガロジャポン35周年企画】 デヴィッド・ボウイやトニー・レオンのインタビューそしてファッションが華やぐ1996年のフィガロジャポンの歴史。

Culture 2025.06.12

パリ生まれ東京育ちのスタイル誌『フィガロジャポン』は、2025年3月で創刊35周年。パリやパリに生きる人々の哲学から旅、ファッション、食、映画、そしてアートまでフィガロジャポンが発信してきた35年の歴史を編集長の森田聖美が当時の思い出に浸りながら、思い入れたっぷりに振り返ります。1996年に発売したすべての号をプレイバック!

1996年2月5日号(96年1月20日発売)081
取材先選びに求められるユニークな視点。

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「気ままな旅 フィレンツェ」特集は、フィガロジャポンらしさ満開だ。取材先に、革装丁のアトリエや、修道院コスメばかりを集めたテーマも。当時、サンタ・マリア・ノヴェッラはもちろん日本では購入できず、相当憧れた記憶。「お気に入りの天使たちを探して、午後は美術館めぐり。」というテーマでは宗教画の説明と、見るべき絵画と保有する教会や美術館を紹介している。こういう「視点」を持つことを鍛えられた。古都繋がりで冬の京都の中特集も。4都市コレクション分析や春小物紹介ページは色彩があふれていた。セレクトショップが入荷している新しいブランドにファッション好きが惹かれる時代。

1996年2月20日号(96年2月5日発売)082
ミウッチャへの愛を宣言します!

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「プラダなしには生きられない! プラダ大図鑑。」って現在も継続している現象ではないか! もう20年以上、ファッション好きが敬愛するブランドとしてトップ5の登場率を誇るプラダ。先にも書いたが、ミウッチャ・プラダへの愛を公言するファッション関係者は多数いる。バナルという言葉が日本のモード誌でよく使われたのもこの時代だし、ミウッチャの好きなスカートの膝丈はこの頃からずっと。旅の時間シリーズが、守備範囲を広げてアジアの街の取材をスタートしたのもこの時季。香港映画ブームで、街ごと再注目されたことも理由かもしれない。「旬をまっさきに おいしい香港。」では、高級レストランとそのレシピまでが載ってて、いったい誰がそのメニューを作れるのか?と意義を唱えたい気持ちになる。しかし振り返って原稿を読めば当時の香港のブームや、ならわしまでが書かれていて実におもしろい。

1996年3月5日号(96年2月20日発売)083
まだユーロではなく、フランだった!

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今度はグッチです。それもトム・フォード全盛の時代。もしかすると当時もミウッチャのプラダ派とトム・フォードのグッチ派に分かれていたかも。センシュアルな大人の女性を気取るグッチウーマンになりたいファッショニスタも多かった。アニマル柄やブラックの取り入れ方も洗練されていた。ブランドミックステーマでは、当時はやっていたビタミンカラーを使って、フィガロジャポンもしょっちゅうフルーツカラーの小物特集などをやっていた。一方、毎号必ず登場する旅時間特集は、「パリ150フランのレストラン」。フラン!!!! ユーロですらなかったのだ......。

1996年3月20日号(96年3月5日発売)084
シャネルはエターナルに刺激する。

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この号は感慨深い。ここから先、深いお付き合いになるシャネルの大特集を森明子副編集長のサポートで参加した号だ。ロケ場所は後楽園遊園地。シャネルの軽快なルックに合わせてハッピームードで撮影したファッションストーリー。美容パートで「シャネルの新色は、いつも素敵な事件(ハプニング)!」といタイトルを蝦名編集長に褒められたこともうれしかった。イネス・ドゥ・ラ・フレサンジュがデザイナーとして活躍し始めて日本にロンチを果たした時の特集記事も。「ハーブが友だち。」というレシピやケア処方の特集や(フィガロジャポンは90年代、すご~くハーブに言及した記事が多い!)、パリ・ロンドン・ニューヨークの自然派コスメショップだけを取材したガイドなど、ナチュラル志向であったことは明らか。そのスタイルはいまでも継続。

1996年4月5日号(96年3月20日発売)085
円高とセレクトショップブームがおしゃれ心を刺激。

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東京では世界中の都市のイケているブランドが手に入るのだ!とのたまい、高感度な73のインポートブランドを紹介。つまり、マストバイはどのブランドかをキュレートした1冊。シューズ&バッグのブランドも紹介していて、スクエアトウが流行っていたことを思い出す。シンプルなデザイン、蛍光カラーの流行、百貨店の隆盛など、時代が読めて楽しい。フィガロジャポンのキーワードのひとつが「お惣菜」であることにいまさら気付いた。今号はローマのお惣菜店ガイドが載っているが、この先に、パリのお惣菜店で巻頭特集まるごと行ったことを記憶している。+レシピの特集は本当に大変で、いまでもレシピを校正する時は大変です。

1996年4月20日号(96年4月5日発売)086
今号は引っ越しの記憶とリンク......現在にも繋がる重要な特集多。

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ファッションの最高峰の都はパリかもしれないが、ミラノコレクションが注目されていた90年代半ば(そして現在2020年代のイタリアブランドも最高に元気)、この特集は作られた。この取材チームが記事の準備をしている頃、ちょうどオフィスが千代田区三番町から目黒へ引っ越しする時期とバッティングし、写真がなくならないよう自宅まで持って帰ったことが懐かしい......。ナヴィリオの運河の写真が奥行があってすごく綺麗。ファッションブティック、デコ、レストランなど60軒以上の取材アドレスが並ぶ。ミラノ郊外の田舎町取材も! そして髪をばっさり切ったシャルロット・ゲンズブールを故ケイト・バリーが撮影、インタビューは家族と仲良しの村上香住子氏、というインティメイトな特集も。35周年イヤーである2025年6月号の表紙をシャルロットが飾ることを考えると感慨深い。

1996年5月5日号(96年4月20日発売)087
大人の新定番はチノパンとデニムとシャツとワンピース。

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新定番という言葉をフィガロジャポンは好む。「大人の新定番に注目しよう チノパンがモードになった!」では、いまのようなダボパンツはまったくない。スリムでヒップラインもしっかり見えるシルエット。この頃のファッションはやはり細め。特にモード誌を公言している媒体では細いスタイルがメインだったと思う。アイテムをはっきり言い切るのはもともとあんまありしていない媒体だったので、新鮮。

1996年5月20日号(96年5月5日発売)088
エルメスの撮影が印象的だった。

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「やっぱりエルメス!」の撮影は記憶に残っている。ひとつは、当時大人の服を着せるならこのモデルがいい!とアナリーズという黒髪モデルが大人気だったこと。モードエディターたちは自分が担当するテーマで使いたいモデルを取るのに必死だった。先輩にとやかく言われても負けないぞ!と闘った若い担当者もいたし(筆者はがんばれないほうだった......)。森明子氏のサポートとしてエルメス撮影に関わり、当時モデルクラブのブッカーだったのがいまや有名カメラマンとなった土井浩一郎氏だった......。そして、アナリーズが着けていたフレグランスがゲランのメンズのベチバーで、大好きな香りになった。この日の撮影が原宿にあった頃のオーバカナルで行われ、返却整理をしていてスタイリストの田中直弘さんが疲れて数が数えられなくなったこと......笑、悲喜劇あいまってとても楽しかった。プチプリ服の特集も森明子氏が采配した。この頃、花椿を手がけていた渡辺美津子氏(その後、エル日本版を経てVOGUE日本版の編集長になる)がフィガロジャポンに来てくれて、プチプリテーマも担当してくれていたと覚えている。

1996年6月5日号(96年5月20日発売)089
デヴィッド・ボウイへのインタビューも!

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フィガロジャポンの旅特集の好物は、路地と散歩道。いまでもキーワードのひとつだ。路地の先に何があるのかな?と期待するような写真は大きくレイアウトされることもしばしば。ヴェネツィア特集はそれにうってつけだったと思う。今号のヴェネツィアは島を多く取材していることが特徴。前号で触れたモデルのアナリーズが表紙を飾った。ページを担当したのは、フィガロジャポンの後にVOGUEに移った「まっさん」こと故・松山ユキ氏。ビジュアル創りに懸命で、よく「読者にとってメリットがあるのか?」と問うていた。白と黒というテーマをグラフィカルに絵に落として提案して素敵だなあ、と当時感じたことを覚えている。デヴィッド・ボウイのインタビューを村上香住子氏がしていたことにもびっくり! チェルシーのホテルで行われたらしい。村上氏らしく、ちゃっかりプライベートに関しても聞いて書いている。さすが。

1996年6月20日号(96年6月5日発売)090
超・定番主義、という考え方。

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「これを知らないとおしゃれ人間とはいえない‼」というサブタイトルとともに発信された超・定番主義特集。表紙にはヴィヴィアン・ウエストウッドのツインニットセット。当時ツインセットが流行っていた。それにしても、こんなロマンティックなヴィヴィアンはすごい。どこかエッジが利いたパンクルックこそがヴィヴィアンだったのに......と思ってよく読むと、スタイリスト別の超定番の提案で、島津由行氏のアイデアだった。ニューヨーク30ドルのレストラン、もちろんディナーのハナシだ。お宝アドレスだったと思う2025年現在とは比べものにもならない。フィガロジャポンには故・三宅菊子氏が編集・執筆していた「女の視点」というレギュラーがあった。今回詳しく書くが、フィガロジャポンのDNAに残るアールドゥヴィーヴルのエスプリは「女の視点」の功績が大きい。今号は「夏のいい物、欲しい物」企画。三宅氏の文章はとてもテンポ&リズムがいい。

1996年7月5日号(96年6月20日発売)091
スーパーモデルがたくさん来日!

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90年代はまさにスーパーモデルブーム! それもセクシーで大人なモデルたちも人気だった。シンディ・クロフォード、クラウディア・シファー、ナジャ、キャロリン・マーフィー、チャンドラ・ノースなどにショーのバックステージに入ってコメント取りしたり。表紙はチャンドラ。トム・フォードのデザインによるグッチを纏い、ハンサムレディぶり全開だ。トム・フォードのインタビューも掲載されている。パリの食材店取材の綴じ込み特集を読むと現在も健在のお店がたくさん。パリの食基準は世界に浸透していったということだ。この頃もベストコスメ特集は半期に一度行っていて、初夏の特集にあるとホワイトニングの名品がじっくり見られるのがいい。ヘレナ ルビンスタインのフォースCを誰もが使っていた時代、懐かしいなあ。

1996年7月20日号(96年7月5日発売)092
グッチ2号連続表紙を飾る。

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前号のチャンドラに続いて、今号の表紙はまたもやグッチを着たキャロリン・マーフィー。このベリーショートが新鮮だった。いまでは東京でもたくさん見かけるベリーショートだけれど、この時代は、本当におしゃれ心がある日本人しか挑戦できなかったような。このレベルのスーパーモデルを起用すると時間はほんのわずかしかもらえない。でもスーパークラスは、ポージングも素晴らしく服の特徴を美しくカメラに向かって見せてくれるので、あっという間に撮影が終わるのだ。ロンドンはまだ「イースト興隆前夜」で現在とかなり違うエリアやショップを特集している。

1996年8月5日号(96年7月20日発売)093
トスカーナへの執着。

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こうして過去の号をめくっていくと、フィガロジャポンの特集の組み方の作戦が見えてくる。旅ガイドとファッション・カルチャーなどが1号にまとまり、それらが関連づけて一定数のファン層を獲得できるコンテンツのまとまりにしている、など。トスカーナ地方はフィガロジャポンが90年代、何度も取材したエリア。フィレンツェのものづくりや食に、とても敬意を払ったのも特徴だ。故・蝦名編集長がイタリアをこよなく愛していたせいも。今号は「絵本のように美しい田舎町 トスカーナへ」。フィレンツェから行ける貴族の物語が残るモンテプルツィアーノなど8つの田舎町にフォーカス。スーパーモデルのシャロームと写真家の故・ピーター・リンドバーグの撮影現場にビジットしたルポも素敵だった。

1996年8月20日号(96年8月5日発売)094
ジル・サンダーやミュウミュウ、ワンブランド物語。

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ジルサンダーやミュウミュウは、2025年現在のフィガロジャポン編集部でも愛されているメゾン。ジル・サンダー本人はブランドから離れてしまったが、エッセンスはやはりどこかに残っている。最近編集部の中堅がジルサンダーのコートを購入したばかりだ。「匂い立つ服 ジル・サンダー」「大人のかわいらしさ ミュウミュウ」というタイトルは、愛される理由をまさに言い当てている。筆者は今号ではミラノのインテリアを担当し、思い出深い。実例ではロン・アラッドがデザインした書棚を見つけてほれ込み、10軒のインテリアショップ紹介では、情報から起こして取材原稿を書いた。とっても勉強になった!

1996年9月5日号(96年8月20日発売)095
ファッションとビューティのトレンドのリンク。

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「秋のモード特別号」と銘打っているだけあって、撮りおろしのファッションストーリーがたくさん。当時、カメラマンのなかでは8×10で撮影する人もいて、今号のプラダの物撮影で中川十内氏は使っていた。独特のニュアンスで、モノが持つ物語が浮かび上がってくる......。素敵だなあ、と感じた。この頃だったか記憶にないが、十内氏に「そのかばんの中には何が入っているの?」と尋ねたらひとつひとつ中身をテーブルに出して並べ始めた。その置き方が実にユニークで美しい。やはりビジュアルを生業にしている人は、普段の生活でモノを置く時も美的に事なすのだな。ファッションストーリーはケイ・オガタ氏、ツイードのテーマは桐島ローランド氏、ズッカは横波修氏の師匠だった中込一賀氏、パンツのテーマは玉川竜氏。豪華。メイクアップのページがファッションのモデル撮影のメイクとリンクしていて、ファッショントレンドの仕上げはメイクにあり、と実感する号でもあった。ちなみにプラムカラーのリップが流行った秋のメイクだ。ニューヨークからニューイングランドの田舎町に旅する人はそう多くはないだろうけれど、フィガロジャポンは特集していた。そして......34歳のトニー・レオンのロングインタビュー! 貴重だ......。

1996年9月20日号(96年9月5日発売)096
表紙にはダイアン・クルーガー、中面ではカッコいいステラ・テナントも!

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トレンド大図鑑、ニット、靴、カラーコーデ......今号は秋のモード第2弾。表紙には女優のダイアン・クルーガー、そしてシャネルのテーマでウィリアム・クラインが故ステラ・テナントをパリのシャルル・ドゴール空港と駅で撮り下ろすという贅沢の極みのモードストーリー。コロナ禍で自ら旅立っていった美しい人のなかで、特に筆者の心に残っているのがステラ・テナントだ。ミラノコレクションでおしゃれスナップした際、見かけはクールなステラだが、ショー会場で必死に働く身長158センチの私に特に優しく接してくれた。ウィリアム・クラインがステラに出した指示は、走って!叫んで!みたいなことだったらしい。とても、素晴らしいビジュアルに仕上がっている。今号では秋の靴100というテーマがあり、文字どおりの100本ノックにがんばった......のだった(筆者が)。スクエアトウがトレンドだった時代。ミリタリーエッセンスのブーツやアレンジローファーも。いま、再びトレンドが回帰している気もする。

1996年10月5日号(96年9月20日発売)097
秋のモード、第3弾まで飛躍。

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とうとう第3弾までいった。そりゃそうだ。ピーター・リンドバーグとナジャの東京日記まである号。忘れもしないが、リンドバーグは過去のフィガロジャポンをチェックし、このストーリーのスタイリストに渡辺いく子(地曳)氏を指名した。新橋駅の高架下などで撮影が行われていたことを考えるとぞくぞくする! カルバン・クライン、ダナ キャラン、ドルチェ&ガッバーナ、レザー服、バッグ70、セレクトショップ取材と、モード一色、それもハイモードとインポートにフォーカスして、スーパーモデルの東京日記まで。当時、ファッションの話題をそうとう振りまいていたに違いない!

1996年10月20日号(96年10月5日発売)098
旅特集ができないくらいモードでいっぱい。

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第4弾とは言ってないけれど、今号もモード関連の特集オンリーで終えている。ファッションタイアップの分量も半端なく、旅ガイドを作る余裕もなかったと思われる。「新しいトラッド ハイパー・トラッド」特集は、田中直弘氏のスタイリング。大好きだった、見事なミックステイスト。服をコーディネートし、纏う悦びにあふれるスタイリングだと思った。大ボリュームのワンブランドタイアップや伊勢丹のタイアップまで! この時代、みんながファッションに恋してた。

1996年11月5日号(96年10月20日発売)099
「いまも持っています」とよく言われるパリガイド決定版。

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現在のパリ特集号のカタチの基盤となった記念号でもある。全マップ、という言葉を現場の編集者たちは慄きとともに編集会議後に聞いたものだ......。フィガロジャポンが得意としている全マップは、パリのエリアごとの地図に店名とともにマッピングして、それを参考にしながら散策ができるようにした特集。今号が初回である。2023年に久しぶりに作ったら完徹してしまったという残業必須の特集の原点だ。ファッション、美容、ヴィンテージ、インテリア、食材店、レストラン、ホテル、カフェまで、てんこもりにジャンル別に取材。

1996年11月20日号(96年11月5日発売)100
古着やプチプリ、本当にモードが好きな人への提案。

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スーパーモデルたちのおしゃれスナップをやっていて得た気付き、"おしゃれな彼女たちは古着を着ている"。古着特集と、古着好きの人は海外まで買いにいってしまうので世界5都市の古着店を取材した特集。ロンドンが特に素敵だった、セレクトが。発信都市別のプチプリ服の撮りおろしもスタイリングが見事。「肌年齢に差をつける冬にスキンケア。」の美容テーマも出来栄えがいい。フィガロジャポンの読者はじっくりと原稿を読んでくれるので、スキンケアのページはストレートによいものをしっかり紹介する、という試みが当時からできていた。その好例。

1996年12月5日号(96年11月20日発売)101
とっても売れたヘアスタイルガイド。

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こういうグリーンが背景になる表紙って珍しいですよね。この号はとてもよく売れたヘアスタイルガイドでした。「スーパーモデルを目指せ!」というサブタイトル。コレクション出張でショーを見てとったメモをそのまま総扉に使った大胆な蝦名編集長、そのメモ書きのイラストは塚本香氏のもの。塚本氏はその美しいルックスからは想像できないくらい字が下手で(苦笑)、髪型イラストとともに、蛇がのたうつような文字も扉に一緒に掲載されている。貴重。ロングもセミロングもボリューミーでバリエが多かったこの時代、ヘアスタイルは豊かさがキーワードでもあった。現在とまったく異なる流行です。世界の人気ヘアサロンを取材していて、当時からツィギーは花形、現在まで人気が続いている。星占いは、97年365日のニュース予想が。交通事故多発、美女に難あり、など、衝撃的なほど具体的に書かれていて、いま読んでもおもしろい。スペシャルギフトが読者に贈られていて、全身コーディネート(コート、スーツ、バッグ、靴など!)を12ルックぶん! この時代は何から何までやるコトがすごかった。

1996年12月20日号(96年12月5日発売)102
ヨーロッパ4ケ国の田舎町を巡る。

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筆者最初の海外出張が今号だった。訪れたのはベルギー。荷物の一部がロストバゲージしたけれどすぐ出てきました、ロストバゲージデビュー......。石畳、郷土料理、手作りの品々。風景の美しさもさることながら、小さなレストランの取材がとても楽しく、鴨料理に舌鼓を打ち、至福の取材経験、地獄の原稿書きであった。ベルギー、フランス、ポルトガル、スペイン。筆者はベルギーを担当した。香水大特集が後半にあるが、フィガロジャポンにとって香りは鉄板コンテンツ(現在も)。オンラインでも香水記事は反響が大きい。シャネルのアリュールも当時人気だった。

1997年1月5・20日号(96年12月20日発売)103
12月の発売号から、春夏ファッションへ!

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97年春夏トレンド図鑑。よーく見ると、ほぼすべてが参考価格の表示。現在は、ブランドが持っている写真を借りて記事を作っているケースも多いが、当時は切り抜き写真もすべて商品を借用し撮影していた。それも......ミラノ、パリ、ニューヨーク、ロンドンにて!だ。当時、モード誌はどれだけ早く先にシーズンを先取りして紹介できるか、で勝敗が決まるようなムードが流れていた。切り抜き物写真だったりしたので、イラストと組み合わせておしゃれなレイアウトにする工夫がなされていた。97年春夏のキーワードは、ロマンティック。フィガロジャポンがこの後もずっと大切にするモードのキーワードである。

 

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