【フィガロジャポン35周年企画】 伝説的におもしろい!? ベストコスメ号に旅の全MAP特集が炸裂した1997年フィガロジャポン。
Culture 2025.06.12
パリ生まれ東京育ちのスタイル誌『フィガロジャポン』は、2025年3月で創刊35周年。パリやパリに生きる人々の哲学から旅、ファッション、食、映画、そしてアートまでフィガロジャポンが発信してきた35年の歴史を編集長の森田聖美が当時の思い出に浸りながら、思い入れたっぷりに振り返ります。1997年に発売したすべての号をプレイバック!
1997年2月5日号(97年1月20日発売)104
スーパーモデルの好みと傾向が変わってきた。
ちょっと前から出始めたスーパーモデルは神々しく、近寄りがたく、セクシーで、大人の女性が多かった。でも、ジョディ・キットの登場で世界は変った。愛嬌いっぱいの丸顔、彼氏との生活をさらりと見せてくれる自然体で、エスニックモードが好きなジョディ。人々は夢中になった。巻頭特集はベスト・コスメ。やっぱりフォースC、というのがすごい。テーマのひとつにヒーリングコスメを置いていて、オーガニックや自然派への敬意があふれている。猫の中特集もある。フィガロジャポンは当時、猫派が多かった。
1997年2月20日号(97年2月5日発売)105
パオロ・ロヴェルシ全開のロマンティックカバー。
前述のとおり、今シーズンはロマンティックが合言葉。ならば!とばかり、パオロ・ロヴェルシが撮影したプラダが表紙を飾った。アナ・スイがインタビューと新コレクションで登場したり、ファッションがデコラティブになったシーズン。プリントアイテムのテーマや、ドリス ヴァン ノッテン、マルティーヌ シットボン、アン ドゥムメステール、ヘルムート ラングなどにフォーカスしたページなど、写真のムードもロマンティック。カトリーヌ・ドヌーヴが自身の若い頃について語ったロングインタビューも読みごたえ十分。
1997年3月5日号(97年2月20日発売)106
偏愛を貫いた先輩エディター。
時に編集者とは、「我が偏愛」を貫きとおして周りにあきれられながらも、秀逸なページを作るものである。その好例が今号グッチのモードストーリーに、担当者が大ファンだったからと筋肉少女帯の大槻ケンヂをモデルとして起用した村田裕子副編集長のワザ。外人女性モデルとともに、グッチのストーリーを敢行。会えたことを子どものように喜んでいた! 巻頭のコーディネート図鑑では、「レースのスカートで旬の着こなし」というテーマがあったが、この頃から、膝丈やミニでドレッシーなレース素材のスカートが流行ってきた気がする。いまではもう立派な定番アイテムだ。靴特集16pを筆者が担当した号でもあり、感慨深い。先輩に何度も見出しを直され、くじけそうになったがこの経験は本当に役立ったし、大切な時間だったとも思う。先輩エディターからキャッチの書き方を徹底して習えるって実は財産だ、生きてゆくための。どの編集者も毎月3~4本くらい撮影を抱えていたと思う。美容はボディケア。「スリップドレスを着たいから、美しい胸と背中つくり。」とは、イカしてる!と感じました。
1997年3月20日号(97年3月5日発売)107
ファッションラバーのためのロンドン案内。
この頃はステラ・マッカートニーも気軽にインタビューできた時代、まだ彼女も25歳だった。シンプルな構成だけれども、買うべきブランドとそのアドレスがわかりやすく紹介され、+アルファでヴィンテージショップとオーナーに関しても掲載。秀逸なモードストーリーはミュウミュウで、なんとドミニク・イッセルマンが撮影、オールモノクロだった。メイクアップ紹介ページは「大人のロマンティック」。COCO氏のヘアメイクが最高に透明感があってよかった。
1997年4月5日号(97年3月20日発売)108
記憶しておくべき当時のデザイナー図鑑。
超有名からライジングスターまで、デザイナーしばりで紹介している号。ドリス・ヴァン・ノッテンのインタビューも掲載されている。記憶に残るのは撮影のエピソード。ケイ・オガタ氏に自走で着ていただいた遠隔地のハウススタジオ......行く道すがら、雪が降ってしまっていた。華麗なるドライビングテクでどうにか辿り着いていただいたが、もうお詫びするしかない、と事前インフォームをすべきと猛省した。窓の外の雪の反射もあってか、美しい光で撮影されたラルフローレンのストーリーはいまでも至極お気に入りだ。
1997年4月20日号(97年4月5日発売)109
ミックスコーデはやっぱり楽しい。
ブランドをミックスして着ることのほうが圧倒的に日常なのに、ブランド全身テーマがてんこもりだったフィガロジャポン。時折挟み込まれるこういうテーマはスタイリストの腕のみせどころで、今号も小暮美奈子氏、田中直弘氏、馬場郁雄氏の3人が登場。3人の個性の違いも出て、素晴らしいシューティングに。もちろん現在でも参考になります! マーク ジェイコブスもルイ・ヴィトンと自身のブランドの二刀流がすごく成功していた。大人服に彩があった時代だった。マークの言葉で「限りなく裸に近い感覚でいられる、そんな服をつくりたい」が引用されていた。トレンドアイテム紹介ページでは、ビキニトップや水着を取り入れるのが流行ったシーズン。まさに今シーズンと同じじゃないか! パリからはキアラ・マストロヤンニのロングインタビュー。母カトリーヌ・ドヌーヴにも気に入れられていたアンドレ・ロウが彼女を撮った。父の死、結婚のない出産、人生のレッスンは24歳の女優を磨き上げる。こんなキャッチを書ける自分になれているかなあ......と読んで落ち込んだ。
1997年5月5日号(97年4月5日発売)110
スーパーモデル×ミラノコレクション×ミラノガイド。
フィガロジャポンの鉄板構成、ヨーロッパ現地でファッション撮影やスナップ撮影、コレクションレポート、そしてその街のガイドを同号で!の巻。当時、4都市を一緒に紹介ではなく、都市ごとに毎号紹介していたファッションウィーク。それだけ、各都市で個性が際立っていたのだ。バックステージ取材も愉しかった。そんなバックステージで、ヘアやメイクに関するトレンドもキャッチできたので、巻頭のモデルヘアのような特集が組めたのだと思う。
1997年5月20日号(97年5月5日発売)111
見た瞬間、心を掴まれた大好きな表紙。
夏のおしゃれをヴァカンスの冠つけずに堂々とやっている号はフィガロジャポン史において珍しかったかもしれない。ロマンティック全開だったので、スリップドレスや花モチーフのヘアアクセサリーまで夢見心地のアイテムがオンパレード。そしてカバーはエルメスのモードストーリーから。故・松山ユキ氏担当のページだ。カメラは冨永よしえ氏。すっきり爽快なロマンティシズムで構図の工夫もモデルのポージングも企てが見事に成功していて、ずっと心に残っているビジュアル。デザイナーフォーカスではカルバン・クラインが登場、インタビューまで! まさに今シーズンからリエナジャイズで奮起しているブランド、その原点をここで再読できてありがたい。
1997年6月5日号(97年5月20日発売)112
当時は抵抗があった言葉、おしゃれ人間。
え、おしゃれ人間?人造人間みたい......と、若い頃はよく思っていた。堂々と大きなタイトルになり、フィガロジャポン編集部内ではフツーのワードになってはいったが。トップを飾るのは故ステラ・テナント。彼女はやっぱり私服も素敵だった。デニムのいわゆるGジャンをなんにでも合わせていたが個性が出る。ワークパンツとキャミをコーデすればステラ風の鉄板!というように、ベストセレクトまでおすすめしていた。モデルたちの行きつけショップまで紹介する蛇のようなしつこさがフィガロジャポンの魅力だったと思う、それも4都市の。カルチャー好きの筆者は、アストル・ピアソラのテーマを手掛けられてものすごくうれしかったのだが、どう着地させるのがよいか、欲張って失敗したかも、と後悔の残る結果に。故・黒田恭一氏が執筆してくれたのだが、いまでも記憶に残るエピソードが、あれほどの大物が新宿のビジネスホテルに泊まっていたんだよ、という言葉。ピアソラのテーマを掲載したことで、美容ジャーナリストの渡辺佳子氏にお褒めの言葉をいただいた。いまではフィギアスケートの定番曲でもある。
1997年6月20日号(97年6月5日発売)113
ヘレナ・クリステンセンの自邸とおすすめグッズ。
夏小物のテーマで、スーパーモデルのヘレナ・クリステンセンにおすすめを語ってもらうという極めてゴージャスなトップページ。装飾が多彩なのに、クールに決まるヘレナのコーディネートは当時もいまもとても愛されている。彼女の自宅ルポも兼ねたユニークな紹介方法。デコページではガラスの特集で、これがまたいま見ても愛着の沸くものばかり。ファッションアイテムもいいが、こういう作家ものの食器は、過去の雑誌をめくり返した時に、キッチンで新しい料理や飲み物に挑戦したくなる気持ちを芽生えさせる。
1997年7月5日号(97年7月20日発売)114
全MAPはロンドンへ。
懐かしい !! とにかく懐かしい。地図の読み合わせを夜中の1時過ぎから行ったことなど、苦労含めて愛しい号だ。服、アクセサリー、ジュエリー、食料品店、ホテル、レストランなどなど、ジャンル別に紹介して、エリアマップで完全網羅するこのスタイルがロンドンでも敢行。もう自分がどのエリアの地図を担当したか記憶にないが。小さな古着屋からだって流行は生まれる。ナイスキャッチ! 買うアドレス以外に、レストラン70軒、ホテル35軒も掲載された、情報過多な1冊。
1997年7月20日号(97年7月5日発売)115
80年代が身近だった頃、秋は大人服が定番。
7月上旬の段階で秋のトレンドを撮影もので紹介するのだから、どれだけ急いでいるのか!! という時代だったと思う。同時に、秋冬はしっとり女性らしくセンシュアルに、に必ずなってしまう時代でもあった。ファーへの異議もファッション業界ではさほど叫ばれていなかった記憶。鶴田直樹氏の撮影によるグッチのテーマの絵が美しく、肩の力の抜けた大人の女らしさが表現されていて惹かれた。
1997年8月5日号(97年7月20日発売)116
旅シリーズ完全取材のスタート、エーゲ海は永遠。
「紺碧の海が輝き、白い迷路には猫が遊ぶ。エーゲ海へ行こう!」巻頭特集は名作。写真はどれも美しく旅愁に満ち、人々の暮らしと日常の行先が旅人に向かって拓かれている。島の旅をヨーロッパで! なんて贅沢な。サントリーニ島、ミコノス島、ロードス島......8島と3つの海沿いの街を主役に。メイクアップページでは、スーパーモデル別になりたい顔になるためのメイクアップを指南。いや、なれないけどね苦笑。
1997年8月20日号(97年8月5日発売)117
ショーゲキ的なタイトル。
「安いパリ。」とある。でも表紙に写るモデルは大人っぽい。いかにも蝦名編集長的だ。価格が安いがスタイルがあるモノ・店が大集合。この特集でボンボンウォッチが欲しい、などと思う読者も多かったかもしれない。「秋の流行を見据え、古着や革は、安く揃えたい。」というテーマ見出しも絶妙だ。第2特集ではパリの新店を一挙紹介。美容ページでは、若者にプチプラコスメを独占させるな!と、お役立ちお手軽なアイテムを紹介。カルチャーで「スーパーモデルか女優か?」とクロエ・セヴィニーとミラ・ジョヴォヴィッチにインタビューしたり、80年代カルチャーにフォーカスして奥恵美子氏に執筆していただいたり。「安い」をキャッチにしながら攻めています。
1997年9月5日号(97年8月20日発売)118
モード雑誌でも真っ当にコーディネートを謳う。
秋の着こなし大提案号なのだが、マストバイをいかにわかりやすく伝えるか、がこの頃の命題だった記憶。見出しが、「まず着たいのは、肩を主張するパワージャケット」(え、2025-26秋冬じゃん!と思ってしまう)、「スイート&ハード、異素材の着こなしが旬」「パンキッシュに着る、アニマル柄と透ける素材」「パンクで優しい。トラッドはリミックスが新しい」など、コーデの主張で買うべきものがわかる体裁。ファッション号は広告が多くてブ厚くなっていたのが常で、かつ今号はビューティタイアップも! カメラマン中川十内氏と忘れられない撮影が、ある美容ブランドのタイアップで、「商品撮影しなくてもおもしろくできるかも」と言い出したこと。本当に独自性に満ちていた(笑)。でも、そのビジュアルには最終的にちゃんと商品は写ったし、カワイイページになった。
1997年9月20日号(97年9月5日発売)119
モード撮影のタイプ。
もちろんキャスティングしたカメラマンやスタイリストのスタイルや方向性が写真に反映されるが、つまり誰をキャスティングしたいか、も編集者の個性や好みに依るワケで......。ばっきばきのモード写真を望む時と、リラクシングなムードが欲しい時もある。表紙は小暮美奈子さんがスタイリングしたジュンヤワタナベの服。とても心地よさそうな雰囲気で、特集タイトル「普通にキレイ!な服が着たい。」というのもぴったり。実はモデルの好みもそうとう編集者の意志が反映されている。バッグ綴じ込みは筆者の同期で、かつての編集長、上野留美氏が手掛けたページだが、本人とちょっぴり似ている。大胆な構図で塚本香氏も高く評価していたビジュアルだ。ファッションドキュメントの読み物も90年代は多くて、「女優の毛皮」というタイトルで藤岡篤子氏に寄稿いただいた。まさにこの次の2025-26秋冬はファーが全盛なので、読んでおかねば。
1997年10月5日号(97年9月20日発売)120
バリ島はフィガロの定番ヴァカンス先に。
この特集は忘れられない......編集部からふたりが出張へ。そして、牛島暁美氏がバリで取材に熱中し、本当に熱中症になってしまった特集である。当時は熱中症という言葉はなかったけれど、現地で倒れた、とのことであった。取材はきっちり敢行したけれど。そして取材先のホテルが火事で焼けてしまった。そんなふうにたくさんの出来事が起きた号であった。筆者は美容テーマを担当していて、あの齋藤薫氏に執筆いただき、新旧コスメ比較のようなテーマを作った。各社、大事にしている美容理論がはっきりしていた当時、取材は本当におもしろかったと記憶している。
1997年10月20日号(97年10月5日発売)121
ベストコスメ号として伝説的におもしろい !?
当時は中黒入れてベスト・コスメという表記だったが、眺め返して見ていてこの号は最高におもしろいと感じた。美容プロや有識者たちの対談や個人賞があるのは定番の作りだが、97年話題になったコスメに贈る特別賞、というページがあり、名コピー賞に「メイク魂に火をつけろ。」で資生堂のピエヌに。正しいキャスティング賞が桃井かおりさんのSK-2に。日本上陸お待ちしてます賞にナーズとアヴェダ......。最高。ナイスボディを作るメソッドを紹介するテーマなど、本当にこれ1冊にキレイのテクニックとTIPSが大集結してた。カルチャーはウディ・アレンが大好きなミュージカルについて語るという贅沢な内容。ロンドンにて、映画ライターの佐藤友紀氏によるインタビューだった。
1997年11月5日号(97年10月20日発売)122
インテリア実例はいまでも参考になる。
当時の人気ファッションデザイナーたちの自宅をよくここまで取材して集めたなあ......としみじみする。シンシア・ローリー、パトリック・コックス、エリック・ベルジェール、突然クレモンティーヌなど計14軒分もだ。現在見ても、各人のスタイルは生きていて、参考になること多し。そして、この頃よく海外ロケでファッション撮影をしていた。この号ではコペンハーゲン。そのついでにコペンの自然派コスメを取材してきたり、編集者たちは自由であった。しかしながら、このくらいのボリュームの号でも異様にタイアップが多く、台割を組んでいくのが当時大変だったろうな、と予想する。
1997年11月20日号(97年11月5日発売)123
ミラノファッションウィーク出張中にモロッコの原稿を......。
確かそうだ。塚本香氏と一緒にミラノコレの取材出張に行っていた時、原稿書きが終わらないよ~と部屋で、モロッコ取材の原稿を塚本氏が書いていた......。出張に来て、旅取材の原稿を書くなんて本当につらいな、と横目で眺めていた筆者。モロッコはまだ女性だけで旅することが困難な国で、特集の最後に注意書きなどを細かく入れていた。それでもスタートページのマラケシュで「ミステリアスな旅の始まりは、夕焼け色のメディナに迷い込んで」というタイトルのロマンティックな感じを読むと、異文化の刺激が伝わってくる。フィガロジャポンは果敢に新しい旅先を当時、探していた。ファッション撮影はフェンディのモードページが映画的で素敵。ヘアメイクを亡き加茂克也氏が担当していて、懐かしさを覚える。そして、実は元気が出ない「元気の出る星占い」特集。星々は98年に対して甘い言葉を語ってくれていなかった。また、最高にダジャレ風だったのが、来日したマリオ・テスティーノ密着ドキュメントで、スーパ写真家の写真家の横にルビで「マリオ」とふられていたこと。笑える。
1997年12月5日号(97年11月20日発売)124
最新の髪型、ってあるのだろうか?
確かにヘアスタイルのトレンドというものはある。ただし、2025年の現在見ても、当時のスタイルでカッコいいものはカッコいいのだ。現在あまり流行っていないシャギーはこの頃は全盛。軽く見せることの重要さを何人のヘアスタイリストから指摘されたことか。ただ、当時は「茶髪」で軽やかさを演出していたり、現在と「軽い」ということの定義そのものからして違うのかもしれない。加えて、今号の総扉でもT氏の(2回も明記すると悪いかなと意図的にアルファベット)オドロキのイラスト&メモを起用。また、デザイナーのイザベル・マランの地中海料理のレシピが掲載されていたのには驚いた。しかも簡単でおいしそうである。
1997年12月20日号(97年12月5日発売)125
おしゃれスナップ仕事には学びが多い。
ファッションウィーク中にコレクション会場で突然、「あなたがいま着てる服ってどこの? 靴は? バッグは? アクセサリーは?」と話しかけて聞くのだ。そりゃあ、度胸もつくさ。筆者が話しかけたのんはマギー・ライザー。彼女はそうそうに表舞台からいなくなってしまったが、いまでもたまに本国のマダムフィガロに記事が掲載される。そして海外ジャーナリストにもよく聞いた。後に映画に出演するミシェル・ヒックスの色香が好きだった。クリスティーナ・クルーズが履いていたラメ入りのデニムが欲しかった。ゾラ・スターという人気者もいたっけ。ポリー・メロン女史やハーパーズ・バザーNYのリザ・ティルベリスの知的な佇まいに惹かれた。ルシンダ・チェンバース氏やクラウディア・ナヴォーン氏のユーモラスなコーディネートも大好きだった。本当に懐かしい!
1998年1月5・20日号(97年12月20日発売)126
NYでもやっちまった全MAP。
パリ全マップは定番化、そしてニューヨークでもやってしまいました! よくよく眺めれば、全マップ全盛期は特集のアタマに地図! 1ページ内に6軒くらい取材を押し込んでぎゅうぎゅうにしてたくさんの店を紹介していた。おまけにレストラン59軒、ホテル35軒も! 当時は紙の編集者だけで現在の2倍の人数はいた(月2回刊だし)。1号を7~8人で作っていた計算になる。ニューヨークのガイドだけで94ページ。NYコレやNYアーティスト読み物が追加で14ページ。街を知り、アメリカを知り、というのにずいぶんと役立つ。