日本人クリエイター、高田賢三が81歳で死去。新型コロナウイルス感染症で。

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「2020年10月4日、新型コロナウイルス感染症により、ヌイイ・シュル・セーヌのアメリカン・ホスピタルで亡くなりました」――日本人クリエイター、高田賢三のスポークスマンが声明を発表した。

高田賢三(パリ、2018年6月23日)photo : Getty Images

丸顔とメガネでおなじみの日本人クリエイター、高田賢三が亡くなった。81歳だった。「2020年10月4日、新型コロナウイルス感染症により、ヌイイ・シュル・セーヌのアメリカン・ホスピタルで亡くなりました」との声明が発表された。

最も日本らしいフレンチ・ブランド

高田賢三は、1939年2月27日、大阪に近い姫路で生まれた。姉たちに教えられ、絵を描くこととクチュールに情熱を傾ける。1965年に渡仏。船でマルセイユの港に着き、憧れの街パリに身を落ち着けた。初めは訪問するだけのつもりだった彼は、生涯をこの街で過ごすことになる。

モダンでカラフル。ギャルリ・ヴィヴィエンヌの店で生まれた初コレクションが発表されたのは、1970年。彼の日本的なモードは、すぐさま大人気となる。フランスと欧米はその洗練された素材、繊細な色使い、花のモチーフに魅了された。1976年には、ヴィクトワール広場のより大きなスペースへと引っ越し。当時、最も日本的なフレンチ・ブランドは、まだジャングル・ジャップの名を使っていたが、1980年に改名。KENZOが誕生した。

花の刺繍と着物スリーブ

パジャマスーツ、着物スリーブのセーター、花の刺繍、シルク、それがケンゾーの成功の鍵だった。トレンド感のあるリュクスなモードは早々と人気ブランドに。1980年代からはメンズコレクションも加わり、さらに子ども服、インテリア、ビューティへと広がっていく。広告キャンペーンには、ピーター・リンドバーグやハンス・フューラーといった力のあるフォトグラファーや映像監督が協力した。

1993年、高田賢三はLVMHグループにブランドを売却。ブランドは、ケンゾーの定番を残しながら、アントニオ・マラスによるバロックで幻想的な方向に進む。少年のような趣をたたえた高田賢三は、その6年後にブランドを辞した。とはいえ、高田賢三は「モードとアール・ドゥ・ヴィーヴルを称賛し続けました」と声明は述べている。コラボレーションも多く、今年初めには新ブランドK-3にデザインを提供。家具、絨毯、壁紙、陶器、ハウスリネンに表現されたK-3のスタイルは東洋と西洋のミックスを目指したもの。つまりは、高田賢三のアイデンティティそのものだ。

オマージュの嵐

高田賢三の訃報に、パリ市長アンヌ・イダルゴをはじめ、多くの言葉が寄せられた。彼女はツイッターに、「ケンゾーの訃報に大きな悲しみを感じています。偉大なクリエイター! 彼はモードに、色彩と光を与えました。パリは今、自分の息子を失った悲しみに涙しています」と投稿している。


「大きな笑顔、丸メガネの奥でいつも笑っている瞳。高田賢三は生きる喜びを体現した人。時の流れの中で、その喜びは彼のクリエイションの導線となり、色彩と、動物、花、幾何学が組み合わされ、溶け合うパーソナルなスタイルに表現されたのです」は、K-3からのオマージュだ。

イネス・ドゥ・ラ・フレサンジュからは「信じられないほど人間的な人」で「45年来の友人」。デザイナーのソニア・リキエルの娘であるナタリー・リキエルもニュースに反応して、「ノン……大好きなケンゾー、あなたまでも行ってしまうなんて……なんて悲しいこと」とインスタグラムで嘆いた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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texte : Ségolène Forgar (madame.lefigaro.fr)

この記事の元URL: https://madamefigaro.jp/fashion/201005-kenzo.html