シャンゼリゼ大通りの陽光に誘われて、『ジョージ・ジェンセンのパリ時代』展へ。

Paris

デンマーク生まれのGeorg Jensen(ジョージ・ジェンセン/1866-1935年)。その昔、芸術修行として若い時にパリに滞在したヨーロッパの画家たちが少なくないけれど、ジョージ・ジェンセンの場合は事情が異なる。若い頃に何度か訪れたパリに彼が暮らしたのは58歳からの2年間。1924~26年のことで、パリでは1925年に有名なアール・デコ展が開催されたように新しいスタイルが開花している時だった。

左:グリーンの瑪瑙とシルバーのジュエリー。1926年。 右:1926年、パリの工房で生まれた高さ19.5cmの食卓用センターピース。個人所蔵品。ⒸHenrik Wichmann
左:1926年、パリの工房で製作したセンター・ピース(写真右上)を手にするジョージ・ジェンセン。 右:メゾン・デュ・デンマークはレストランの左側の建物の3階。photography: Mariko Omura(右)

その時代にフォーカスした展覧会 『Georg Jensen à Paris/ Le refuge d’un maître artisan』がシャンゼリゼ大通りのMaison du Danemarkにて5月31日まで開催中だ。ここはデンマーク料理のレストランFlora Danicaの入った建物の3階に広がるデンマークのカルチャースペース。展覧会のサブタイトルは巨匠職人が本国を離れ、パリを一種の避難所としたことに由来している。彼が1904年にコペンハーゲンに設けた銀細工のアトリエは成功ゆえに巨大化し、1924年には数百人を雇用する大企業となっていた。そんなことから、彼はパリの16区に小規模な工房を設け、改めて原点に戻って工芸の本質と再び向き合うことを選んだのだ。この時代に製作された作品は、彼のキャリアの中でも完成度の高いもののひとつに見なされているという。パリの現代装飾美術・産業美術国際博覧会(通称アール・デコ展)では、スープ用銀器「Copenhague no.425」でグランプリを受賞している。ジュエリーも含め銀器の展示の多くは彼が愛し、得意とした植物からのインスピレーションを生かしたアール・ヌーヴォー調のデザインだが、中には持ち手に象牙と黒檀を用いた珍しいアール・デコ調のボンボン入れも。1926年にコペンハーゲンに戻った彼はパリでの経験と評価をもとに、インターナショナルな名声を得るのだ。

パリで1925年に開催されたアール・デコ展でグランプリを得た銀製スープチューリン。会場では写真による展示で見られる。photography: Courtesy of Sotheby’s, Inc.Ⓒ2008
左:展示より。写真は1925年に撮影された16区ラヌラグ通りの工房。左端がジョルジュ・ジェンセン。 右:1925年のチョコレート沸かし。photography: 左 Mariko Omura、右 ⒸHenrik Wichmann
展示より。
展示より。左:1899年のカクテル・シェーカー。ⒸHenrik Wichmann 右:1903〜4年ごろのベルトのバックル。典型的なアール・ヌーヴォー・スタイルだ。photography: Mariko Omura

彫刻を学んだ彼は銀細工師としての才能を開花させる前に、陶芸家としてキャリアを築いている。この展覧会では初公開の品も多く含まれ、20世紀初期に彼が製作した陶器も公開。シャンゼリゼ大通りの散歩がてら、ちょっと寄ってみてはどうだろうか。

陶器の展示光景。
1900年ごろの作品。ⒸHenrik Wichmann
1899〜1900年ごろに制作された陶器を展示。

『Georg Jensen à Paris / Le refuge d’un maître artisan』展
開催中~5月31日
Maison du Danemark
142, avenue des Champs-Elysées
75008 Paris
開)12:00~18:00
休)月
https://www.lebicolore.dk/

Google Map

大村 真理子

madameFIGARO.jpコントリビューティング・エディター

東京の出版社で女性誌の編集に携わった後、1990年に渡仏。2006年から「フィガロジャポン」パリ支局長を務めた後、フリーエディター活動を再開。主な著書は『とっておきパリ左岸ガイド』(玉村豊男氏と共著/中央公論社刊)、『パリ・オペラ座バレエ物語』(CCCメディアハウス刊)。