【立田敦子のカンヌ映画祭2025 #11】コンペ部門選出『ルノワール』の早川千絵監督インタビュー。
Culture 2025.06.06
2025年カンヌ国際映画祭にて、長編第2作『ルノワール』がコンペティション部門に正式出品された早川千絵監督。早川監督は、カンヌ映画祭は、短編『ナイアガラ』(2014年)、長編デビュー作『PLAN 75』(2022年)に続く3度目の参加であり、今回初のコンペティション入りという快挙となった。

この映画は、病に侵され余命いくばくもない父親(リリー・フランキー)と父の看病と仕事で消耗しきった母親(石田ひかり)と暮らす、11歳の少女フキ(鈴木唯)のひと夏の物語だ。前作の繊細で静謐な視線と大胆な社会的テーマを両立させる作風で国際的な評価を集め、日本の女性監督として稀有な存在感を放った早川監督。『ルノワール』では自身の少女時代の記憶を出発点に、80年代の日本を舞台にした少女の成長と葛藤を描き出し、新たな一歩を刻んだ。

──『ルノワール』というタイトルにどのような思いを込めましたか?
最初は、映画の内容と全然関係ないタイトルをつけたいと思っていたんです。80年代の日本の少女の物語にフランスの画家の名前がついている。そのギャップがおもしろいなと思って。80年代の日本って西洋の名画のレプリカがすごく流行っていて、新聞広告とか通信販売でよく見かけたんです。私もひとつ持っていました。それが映画中にも登場するルノワールの「可愛いイレーヌ」です。描かれている女の子が可愛くて憧れて買ってもらったんですけど、大人になってみたら、あの安っぽいレプリカを日本の狭い部屋に飾っていたことがすごく滑稽に思えて。あの時代の空気や西洋への憧れを象徴している気がして、このタイトルにしました。
──監督自身の記憶が、この映画にはどれくらい反映されていますか?
自分の伝記ではないけれど、かなり投影されていると思います。フキは妄想好きで作文好きで、観察するのが好きな子。自分が子どもの頃に感じていた違和感やざわざわしたもの、そういうものをずっと覚えていて、いつか映画にしたいと思っていました。ただ鈴木唯さんと出会ってからは、彼女に合わせてフキというキャラクターを近づけていきました。
──相米慎二監督の『お引越し』に影響を受けたとお聞きしました。
高校生の時にリアルタイムで映画館で観て、ものすごく衝撃を受けました。主人公の女の子から目が離せなくて、観終わったあともずっと残っていて。子どもの意思の強さや自由な感性、それでいて傷ついているところとか全部が本当にリアルで。私も子どもを演じさせるというより"そこにいてもらう"という演出をしたいと思いました。
──少女が"大人の世界"に足を踏み入れてしまうような危うい場面も描かれていますね。
フキって親に放っておかれていて、一見自由に見えるけれど実は誰にも構われていない。そんな時に、「君に興味がある」と言ってくれる存在が現れると、心が動いてしまうのは自然なこと。しかも11歳くらいって、恋愛や異性への関心が芽生えてきている年頃でもある。でも、いざその世界に足を踏み入れると、思ってもいなかった痛みや不快感を経験する。彼女は最悪の事態は免れるけれど、自分の尊厳が傷つけられる瞬間を体験するんです。でもそれが何なのか、本人にははっきりとはわからない。その「わからなさ」を丸ごと描きたいと思いました。そういう経験って、きっと大人の女性も多かれ少なかれしてきたことだと思うので。
──石田ひかりさん演じる母親・詩子のキャラクターも印象的でした。
私、実はいちばん思い入れがあるのが母親の詩子なんです。怒ってばかりで余裕がないように見えるけれど、彼女も精一杯生きていて娘のこともちゃんと思っている。でも仕事や看病で心の余裕がなくて、うまく伝えられないだけ。20代の自分だったらきっと厳しく描いてしまったかもしれないけれど、いまはあの不器用さや弱さがものすごく人間らしくて、愛おしく感じられました。

──子どもたちの演技が非常に自然でした。どんなふうに演出されたのでしょう?
唯さんには脚本を渡しましたけれど、「家で練習してこないでね」とお願いしました。台詞だけ覚えてもらって、現場ではその時に感じたことを大事にして演じてもらいたかった。彼女を"子ども"として扱うのではなく、作品を一緒に作るクリエイティブなパートナーとして信頼していました。
──本作では映像や音にも強い美意識が感じられました。
撮影監督の浦田さんとは『PLAN 75』からの再タッグです。「こういう映画の絵になっていてほしい」というのをこちらが細かく言わなくても撮ってくださるので、画作りは浦田さんに任せて私は演出に専念できました。音に関しては、様々な音や声を入れ込み、それが聞こえるタイミングやボリュームまでかなり細かい演出を施しています。音によっても様々な感情を喚起させたかったので。
──この作品は"答え"を与えるのではなく、"問い"を投げかけているように感じました。
そうですね。はっきりと言葉にできない感情とか、曖昧な記憶とか、そういうものに惹かれます。正しさとか説明ではなく、言葉にならないまま心に残る何かを描けたらと思っています。
──海外、特にフランスでの反応はいかがでしたか?
「答えのない映画をありがとう」って言ってくださったフランスの記者の方がいて、すごくうれしかったです。フランスでは"余白"を楽しんでくれる人が多い印象がありますね。「点描のようにバラバラのエピソードが、一枚の絵として浮かび上がってくる。それが印象派のようだ」とも言われて、「だからタイトルがルノワールなのか」と聞かれて。自分ではまったく意図してなかったけれど、なるほどなと思いました。

──いま、監督にとって"映画を創ること"とは?
自分が理解できないもの、名前をつけられない感情と向き合うための手段です。言葉にできないけれど、確かに存在するものを映像にすることで誰かと共有できるかもしれない。映画にはそういう力があると信じています。
『ルノワール』
●監督・脚本/早川千絵 ●出演/鈴木唯、石田ひかり、リリー・フランキー、中島歩、河合優実、坂東龍汰ほか ● 2025年、日本・フランス・シンガポール・フィリピン・インドネシア・カタール映画 ● 122分 ●配給/ハピネットファントム・スタジオ ●6月20日より公開予定
映画ジャーナリスト 立田敦子
大学在学中に編集・ライターとして活動し、『フィガロジャポン』の他、『GQ JAPAN』『すばる』『キネマ旬報』など、さまざまなジャンルの媒体で活躍。セレブリティへのインタビュー取材も多く、その数は年間200人以上とか。カンヌ映画祭には毎年出席し、独自の視点でレポートを発信している。
text: Atsuko Tatsuta editing: Momoko Suzuki