マイケル・ジャクソンを支えた妻、リサ・マリー・プレスリーの愛。

Culture 2023.02.05

「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれたエルヴィス・プレスリーの娘、リサ・マリー・プレスリーが2023年1月12日、54歳で亡くなった。彼女は「キング・オブ・ポップ」と呼ばれたマイケル・ジャクソンと1994年から1996年まで結婚していた。ふたりの関係は、マイケル・ジャクソンの児童性的虐待疑惑もあり、世間をにぎわせた。

01-230116-presley-and-jackson.jpgMTVミュージック・アワードのステージでのマイケル・ジャクソンとリサ・マリー・プレスリー。(アメリカ、1994年) photography: Getty Images

1月12日に54歳で亡くなったリサ・マリー・プレスリーは2010年、かつての結婚相手、マイケル・ジャクソンの命日に、「彼を救いたかった」と伝記作家のランディ・タラボレッリに話している。ふたりは確かに1994年に結婚した。児童への性的虐待で告発されたマイケルとの2年間にわたる結婚は、派手に公表した割にはその実態が見えず、いまもなお、ふたりの結婚は仕組まれたものではなかったのかと言う人もいる。

リサ・マリー・プレスリーがマイケル・ジャクソンと初めて出会ったのは1975年、まだ7歳の少女だった頃だ。ラスベガスで行われた歌手の初ソロコンサートの会場へ熱心なファンのひとりとして赴いた。10歳年上のマイケルは、ジャクソン5の成功後、あどけない顔とハスキーな声で世界を魅了し、「ワン・デイ・イン・ユア・ライフ」「ベンのテーマ」などのヒット曲を連発していた。エルヴィス・プレスリーの娘は当時、どんなビッグスターの楽屋にも自由に出入りできたのである。しかしながら彼女が憧れのアイドルと友だちになれたのは、それから17年後のことだった。

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仲の良い友人から妻へ。

リサ・マリーとマイケルが再会したのは1992年。最初の出会いの時はティーンエイジャーだったマイケル・ジャクソンは33歳になっており、世界的なスターとして各地のビッグスタジアムで「ビリー・ジーン」や「ビート・イット」のサウンドを響かせていた。リサ・マリーは24歳、ミュージシャンのダニー・キーオと結婚し、娘ライリーと息子ベンジャミンの幼児2人の母だった。再会したふたりは意気投合する。ポップスターに対する性的暴行の告発が起きると、ふたりの絆はより強固なものとなった。

1993年、「ネバーランド」の主は13歳の少年、ジョーダン・チャンドラーによって初めて告発された。リサ・マリーはスキャンダルから逃げず、マイケル・ジャクソンを支えていくことを決意した。こうして捜査がおこなわれていた期間、ふたりは電話で会話を重ねた。マイケルの伝記を書いたランディ・タラボレッリの表現を借りれば、お気に入りの歌手のポスターを部屋の壁に貼っていた少女は、キング・オブ・ポップが心を許す友になったのだ。

ある晩、いつものように仲良くおしゃべりをしていたふたりの会話がこれまでとは違った展開を見せた。「結婚してくれと言ったらしてくれる?」とマイケルがプロポーズ。答えは「イエス」だった。

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マイケル・ジャクソンとリサ・マリー・プレスリー、ヴェルサイユ宮殿にて。(フランス1994年) photography: Getty Images

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ふたりの結婚。

結婚式は1年後の1994年に行われた。ダニー・キーオと離婚したばかりのリサ・マリー・プレスリーとマイケル・ジャクソンはドミニカ共和国でひっそりと式を挙げ、15分足らずであわただしく誓いの言葉を交わした。カリブ海の太陽を浴びて数週間を過ごした後、ふたりはマスコミにプレスリリースで結婚を発表した。

「わたしは結婚してリサ・マリー・プレスリー・ジャクソンとなりました。マイケル・ジャクソンとの結婚は、アメリカ国外でプライベートに行われました。彼を愛しています。生涯彼の妻となります。彼を理解し、支えます。ふたりで早く家族を育てたく思っています」とリサ・マリーは発表した。

突然の結婚は、成人女性より少年を好むと告発された歌手にとって絶好のタイミングだったため、マスコミは「偽装結婚」ではないかと疑った。1カ月後のMTVミュージック・アワードの舞台にサプライズでふたり連れ立って登場し、記録に残る熱いキスを交わしたものの、大げさすぎる感じも漂い、疑惑はさらに強まった。

 

 

1995年から離婚する1996年までふたりは雑誌の表紙や公の場に積極的に登場したが、努力もむなしく、マスコミは依然として夫婦生活がないだの、結婚は偽装だのと書きたてた。1995年6月にふたりは、ジャーナリストのダイアン・ソイヤーのテレビインタビューに応じている。「僕たちがセックスしているかって? もちろん、受け合うよ」とマイケルは答えている。

本当にふたりは愛し合っていたのだろうか、偽装だったのだろうか、それとも友情で結ばれていたのだろうか? 答えを知る術はないが、ひとつ確かなことは、リサ・マリーがマイケルと結婚している間、ずっと彼を支えつづけたことだ。児童性的虐待の告発をおこなった少年、ジョーダン・チャンドラーとマイケルが1994年に示談したのはリサ・マリーの説得によるものだったし、薬物依存症克服のためにリハビリ施設に通うよう彼の背中を押したのも彼女だ。

のちにリサ・マリーはランディ・タラボレッシにこんなふうに語っている。「彼は何も悪いことをしていないのに冤罪をかけられたと思った。そうして好きになりはじめたの。彼を救いたかったし、自分にはできると感じていた」

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彼の世話をするのが好きだった。

しかしながらリサ・マリーは1996年1月、「和解しがたい不和」を理由に離婚を申請し、同年末、マイケル・ジャクソンは、アメリカ人看護師デビー・ロウと再婚する。この女性はやがてマイケルの子ども、パリスとプリンス・ジャクソンの母親となる。

リサ・マリーの方は2002年に俳優のニコラス・ケイジと、2006年にはミュージシャンのマイケル・ロックウッドと再婚し、後者との間には双子のハーパーとフィンリーが生まれた。2009年にキング・オブ・ポップが亡くなった時にリサ・マリーは激しく動揺している。2010年、オプラ・ウィンフリーのテレビ番組に出演したリサ・マリーは次のように語った。「彼の世話をするのが好きだった。私たちの結婚生活がうまくいっている間は、わたしの人生で最も濃密な時間だった。彼とわたしは強く結ばれていた」

text: Léa Mabilon (madame.lefigaro.fr)

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