イラン皇太子の妻、ヤスミン・パーレビとは? 40年以上の亡命生活とがんを乗り越えたその半生。

Celebrity 2026.03.06

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40年以上亡命生活を送るイラン皇太子の妻であり、弁護士でもあり、様々な活動で世の中に貢献してきたヤスミン・パーレビ。今後の情勢次第では、彼女の存在が大きくクローズアップされるかもしれない。

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マリオット・マーキス・タイムズスクエアで開催された第4回「ユダヤ教の価値観チャンピオン国際アワード(Champions of Jewish Values International Awards)」年次ガラに出席したレザとヤスミン・パーレビ。(ニューヨーク)photography: Pacific Press / LightRocket via Getty Images

たくさんのスローガンが飛び交うテヘランの街で、この女性はイラン人にとってどのような存在だろうか。2月28日、イラン・イスラム共和国の最高指導者、ハメネイ師が米国とイスラエルの攻撃により、死亡した。経済不振が続き、抑圧的な体制に抗議する反政府デモが頻発していたイランでは、最高指導者が死んで解放感を感じているようなむきもある。今後の体制に関して、レザ・パーレビの名前が挙がることもある。1979年のイラン革命によって倒されたパーレビ王朝の継承者だ。

イラン皇帝モハンマド・レザ・パーレビが妻のファラー皇后と米国へ亡命したとき、息子の皇太子レザは18歳だった。それから40年以上、レザは祖国から遠い地で暮らしてきた。祖国を追われた身とはいえ、革命前に国の近代化を進めていた王朝の後継者として、民主化移行期に存在感を増す可能性がある。「イスラム体制による洗脳や、歴史的遺産を汚そうとする試みにもかかわらず、私の価値観も姿勢も40年間、変わらなかった」と、彼は1月13日付の仏「フィガロ」紙に語り、帰国する用意があることを述べた。そんな皇太子を支えるのが妻のヤスミン・パーレビだ。


共に歩んだ亡命生活

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2008年「プリンセス・グレース・アワード」のガラでのレザ・パーレビとヤスミン・パーレビ。(ニューヨーク、2008年10月15日)photography: Patrick McMullan / Patrick McMullan via Getty Image

ヤスミン・パーレビも亡命のなかで育ったイラン人世代だ。1968年にテヘランで生まれ、首都のコミュニティスクールで初等教育を受けた。11歳でイラン革命が勃発し、少女と家族の運命は大きく変わる。住み慣れた家と子ども時代を過ごした街に別れを告げ、ヤスミンは家族と共に渡米する。一家はサンフランシスコ湾岸地域に移住した。ヤスミンは同地のノートルダム校で学ぶようになる。数年後の1985年、政治学専攻の学生だったレザ・パーレビと出会う。ふたりにはたくさんの共通点があった。ともに若くして亡命を余儀なくされ、祖国を懐かしく思っていた。1986年6月12日、コネティカット州グリニッジでふたりは結婚した。彼女は17歳、彼は25歳であった。レザ・パーレビの母であり、ヤスミンにとっては義母にあたるファラー皇后の公式サイトには、「王室のメンバーとなっても、ヤスミン妃はその志を変えることはなかった」と記されている。ちなみに嫁姑の仲は良好だ。

こうしてヤスミンは結婚後も学業を継続し、1990年にジョージ・ワシントン大学で政治学の学士号を取得、さらに1998年には同校で法務博士号を取得した。ワシントンの世界銀行法務部門に勤務したのち、より直接的に社会へ貢献する道を志向する。虐待やネグレクトを受けたり、里親家庭に預けられたりした子どもたちの権利を法的に守る団体「チルドレンズ・ロー・センター」で弁護士として活動するようになったのである。

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社会貢献と人道活動

ヤスミンは貴族同士の社交活動に精出すよりも「亡命イラン人の同胞とともによくデモに参加し、イラン国民の自由と民主主義への願いに連帯を示す存在」と義母の公式サイトに書かれている。ヤスミン本人のSNSには150万人を超えるフォロワーがいる。米国の街頭でイラン国旗を掲げ、「イランを自由な世俗国家に」の理念を擁護する集会に参加する姿がたびたび投稿されている。

1991年には、「イランの子どもたちのための基金」を共同設立した。これはイラン国内外を問わず、貧しいイラン人の子どもたちの医療費を提供する慈善団体であり、本部はミネソタ州ブルーミントンに置かれている。こうした活動のかたわら、彼女はレザとの間に生まれた娘3人を米国で育ててきた。1992年生まれのヌール、1993年生まれのイマン、2004年生まれのファラだ。

がん公表

2018年、ヤスミン・パーレビは乳がんを患っていることをSNSで公表した。女性の健康問題をオープンにしづらいイラン社会において、この公表は特別な意味を持つ。「親愛なる友人の皆さん、この機会にお伝えしますが、私は乳がんと診断されました。困難な時期ではありますが、イランの女性たちの強さと勇気に励まされています。がん啓発と女性の健康全般の重要性について、さらに多くのことを共有できればと願っています。手術は明朝です。今後の経過についてもお知らせします」と、当時のインスタグラムにある。

現在は病も克服し、ヤスミンは57歳となった。いまも元気な彼女は、現在の政治状況のもとで、夫がイランに復帰する可能性をにらみ、発言や支持のメッセージを増やしている。長女ヌールもまた、イランの移行を支持する立場を公にしている。最近「ニューヨーク・ポスト」紙の取材でヌールは「目を背けないことが私たちの責任」と語った。それが歴史の必然ならば、亡命した祖国の地を踏む決意を家族全員、固めているようだ。

From madameFIGARO.fr

text: Léa Mabilon (madame.lefigaro.fr)

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