—今回の展示会は、スリップウェアと耐熱皿のバリエーションが豊富ですね。なかでも耐熱皿は、深めのオーバル型や装飾性のある角鉢などかたちが特徴的で、食卓の真ん中に置くのにちょうどいい華やかさがあります。
松原:耐熱皿は、KOHOROさんの展示で数年前に初めて作りました。オーブンや直火で調理でき、ふだんはうつわとしても使えるかたちはどんなものだろうと考えた時に、頭に浮かんだのは、以前見たことのある古いうつわでした。
—古いものを参考にすることは多いのですか?
松原:日頃から博物館で焼物を見たり、古道具を見るのは好きですね。新しいかたちを作ろうという時、これまでに見たいろいろなものが混じりあって現れるのだと思います。
—松原さんの出身地の大分県は、小鹿田焼、臼杵焼など焼物が盛んですが、そのことは陶芸家になったことと関係がありますか?
松原:学生時代に将来のことを考えた時に、一生情熱をかけてやっていける仕事がしたいと思ったんです。その時にいろいろと考えて、焼物が浮かんだんですよね。自分ではあまり意識していませんでしたが、子供の頃に訪ねた小鹿田焼の集落の風景や、職人さんたちが仕事をする姿が影響したということはあるかもしれません。焼物そのものへの興味というより、そこに漂うあたたかい雰囲気にひかれていたような気がします。
—それから、どのようにして陶芸家に?
松原:佐賀県伊万里の職業訓練校で焼物を学びました。伊万里や有田の焼物は分業制で作られますから、訓練校の学科も、陶器か磁器、ろくろか絵付けと細かく分かれていたんです。僕は磁器のろくろ科でした。卒業したら窯元や工場に就職することが多いのですが、僕は、陶芸のことをまだ何も知らなかったので、もう少し知りたいと思って、1ヶ月ほどかけていくつかの窯業地を見て回りました。その後、縁あって愛知県の常滑に移住し独立しました。
—常滑というと日本六古窯のひとつでもあり、磁器ではなく陶器の産地ですよね。
松原:それまで磁器土しか触ったことがなかったのですが、大分の焼物の影響もあるのか、僕は陶器にひかれていたんです。製陶所でアルバイトをしながら、ろくろのひき方や釉薬の調合、窯の扱い方や焼成の仕方は、お世話になっているいろいろな方から学びました。
—最初は粉引から始めたそうですね。
松原:あたたかみのある粉引が好きでした。スリップウェアにも興味が出て、同じ泥漿(化粧土)を使うということで作るようになりました。スリップの技法は世界中に昔からあって、自由な感じがするのがいいなと思います。中でも、イギリスやアメリカの焼物の素朴でやわらかな感じは好きですね。
—松原さんのスリップウェアは、黒、ブルーがかった黒、飴色、薄茶色などベースの色が豊富な上に、手描きのスリップ模様は当然ひとつひとつ異なるので、おなじものがひとつとしてない。選ぶのに迷ってしまいますね。
松原:土や釉薬をテストしながら、自分なりのスリップウェアを作る仕事をしたいと思っています。目の前にある土や釉薬の状態に対する自分自身の反応を楽しみに作っているところがあって。自然とバリエーションが増えていくんですよね。
—自分の身体の反応を見ながら進んで行くのですね。
松原:子供のころは、外で遊ぶのが好きな普通の活発な子供でしたが、同時に手を動かして何かをかたちづくるような手遊びも好きでした。大人になって趣味で弾いていたギターも、何もないところから感覚を頼りにメロディが立ち上がっていく感じが面白かったですし、建築現場のアルバイトでは、ブロックや石を積んでいく作業が好きだったり。一歩一歩、技術や経験を積み重ねていくやり方は、いまの仕事に通じているかもしれません。土にまみれて身体を動かすことも、昔から好きでしたしね(笑)。
—どんなものを作りたいと思っていますか?
松原:発見のあるものづくりがしたいと思っています。だから、同じものはなかなかできないんです。同じ土を使って、次は釉薬をこう変えてみようとか、かたちを変えてみようとか、いま目の前にでき上がったものの次はなんだろうと考えることが、僕にとっては作ることの原動力なんです。次の一歩の先に何が生まれるのか、自分でもわくわくしながら作っています。
*12月14日(月)まで、KOHORO二子玉川にて「松原竜馬 角田淳展」を開催中です。