【オニール八菜連載vol.5】150周年を祝うガルニエ宮と、そこで迎えたエトワール人生2年目。
オニール八菜、エトワールのパリ便り。 2025.03.21
3月2日、エトワール任命2周年を迎えたオニール八菜。彼女が踊るオペラ座ガルニエ宮は、今年で150周年となる。連載第5回ではガルニエ宮の美しさや劇場を巡るエピソード、そしてその中で14年近くを過ごしている彼女が感じている変化について語ってもらった。(取材・文/大村真理子)
1875年1月5日に新オペラ座が落成した。シャルル・ガルニエの建築による宮殿のような劇場! そこからガルニエ宮と呼ばれるようになり、今年はその150周年を祝う年である。
「ここに初めてバレエを観に来たのは、ローザンヌのコンクールの後でした。劇場なのにパラス(パレ)!! 日本でもニュージーランドでもシアターといったら、どちらかというとモダンなので、パラスの中でバレエが踊られるなんて、ってびっくり。こんなに大きいんだって驚いて、とにかく綺麗だなあって......。こういう劇場もあって、パリ・オペラ座はパリ・オペラ座なんだなってすごく思いました」
この時に''ここで踊りたい!!''と八菜さんが強く願ったことは想像に難くないだろう。その思いが叶ったいま。ガルニエ宮の最も美しいと思う場所や、気になる場所はどこなのだろうか。
「私たちは毎日裏手のアーティスト用入口から入るじゃないですか。でも、ときどき反対側の表に回って公演を観ることがあって、あの大階段を上がりながら下から見上げる時に目に飛び込んでくるあの雰囲気。あああ、すごーいって。そして大階段を上がり、観客席の中に入ってシャガールの天井画を見て、またわーっとなりますね。150年も前に建築された劇場で踊るっていうのは、ニュージーランドでは考えられないことです。ステージに立っている時、ガルニエはこぢんまりとしていて観客席が近いからか、雰囲気が''熱い''という感じがあります。逆にバスティーユでは観客が遠くにいる、という感じ......それはそれで好きです。バスティーユの舞台で踊るって、あの大きさが気持ちいいんですね」

オペラ・ガルニエの中はまだ知らない場所もあるだろうけれど、と前置きしつつ地下訪問の経験を語ってくれた。
「池も見ました。お水を抜いた時ではなくお水がある時に。驚きますね、え、こんなところにお魚がいるの?って。本当に鯉が泳いでいるんですよ。深さもあって、別世界にいるみたいで、ファントムが本当にいてもおかしくないくらい。消防団員がここで泳ぐらしいけれど、なんだか暗くて怖くって私は泳ぎたくないし、ひとりでも行きたくないです(笑)」
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バンジャマン・ミルピエが芸術監督に就任した時に、現在のPOPの前身3ème Scèneのためにパ・ド・ドゥ『Ascention』(2015年)がジャコブ・サットンによって創作され、それを彼女とジェルマン・ルーヴェが踊った作品が残されている。ガルニエ宮殿のグラン・フォワイエの中で流れるように踊っていたふたりが、いつの間にか屋根の上で......という美しい映像だ。
「最近は許可がないと屋根に自由に出られなくなってしまって......でも、もし何か撮影の機会があったら、また屋根で!って思います。でも、怖いんですよ(笑)。あの撮影ではジェルマンに屋根の上でリフトされて、死ぬかと思ったくらい。''絶対に大丈夫?''って何度も彼に確かめて(笑)。たとえ落ちても真下までじゃないってわかっていても、狭い場所だし、怖くて目が開けられませんでした」
ジェルマン・ルーヴェと踊った『Ascention』(2015年)
ガルニエ宮の中で彼女が多くの時間を時間を過ごす場所のひとつは楽屋である。エトワールは個室で、各人各様に間取りや装飾が異なっている。好きなピンク色のカーペットを敷いた彼女の楽屋は、以前はアリス・ルナヴァン、その前はレティシア・プジョルが使っていたという。
「その前は誰が使っていたんだろう? お隣のマルク・(モロー)は自分が入った楽屋の代々のエトワールのリストをもらったというから、私も聞いてみなくては! 楽屋は選べるようですが入れ替わりのように入ります。でも誰かの楽屋が空いた時、そちらに移りたいという先輩エトワールがいたらそれが優先されるんです。たとえばユーゴは最初の楽屋にはもういなくって、いまはエルヴェ(・モロー)が使っていた楽屋に移ったし......。でも私は自分で選ぶよりも、運が決めてくれるというのが素敵かな、って思います。私は仲良しのアリスが引退して、偶然彼女の後にここに入ったんですよ。基本的に女性の楽屋は別のフロアで、そちらのほうがとても広いんです。アマンディーヌやリュドミラの楽屋は、まるでアパルトマンみたい!」
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パリに来て2日目、デフィレがガルニエ宮での初仕事に

3月2日、エトワール任命2周年を同時に任命されたマルク・モローと祝った八菜さん。年月の経過の速さに驚くばかり。最初は契約団員としてパリ・オペラ座で仕事を始めた彼女が、初めてガルニエ宮のステージを踏んだのはデフィレだったそうだ。
「パリに着いて2日目くらいの時で、正団員でもないので自分が出るなんて知らなかったんです。契約団員でも人数が足りないときは駆り出されるんですね。パリに着いたばかりでまだ誰も知らない時で、間違った列に入ってしまったらどうしよう、って待っている間とても怖かった。いまでも、誰の後に出るのだったかしら?って緊張しますよ。デフィレの時って、生徒から団員まで全員がフォワイエ・ドゥ・ラ・ダンスにぎゅうぎゅうに詰め込まれていて......フランス人だから待ってるダンサーたちはけっこうおしゃべりするので、観客席に聞こえちゃうんじゃないかって心配になります」
このフォワイエ・ドゥ・ラ・ダンスは日頃は舞台との仕切りで隠されていて、ステージに出る前のダンサーたちがウォーミングアップする場所だ。デフィレの時はこの仕切りが取り外されてステージまでひと繋がりの空間となるのだ。作品によってはその仕切りを取り外して創作の舞台装飾として取り入れるコレオグラファーもいる。
たとえばマッツ・エクの『Another Place』(2019年)がそのひとつである。また2024年9月に行われたシーズン開幕ガラで、シャネルがクリエイトしたコスチュームで八菜さんが踊ったMy'Kal Stromile振り付けの『Word for Word』もそうだった。

「フォワイエ・ドゥ・ラ・ダンスはガルニエのスタジオの中で、いちばんゴージャスできれいですね。大好きです。初めて見た時、こんなに綺麗な場所で舞台の前にウォームアップ!?って信じられなかった。ここ、なぜか頭がすーっとするんです。朝のクラスレッスンに出られず自分でウォームアップしなければならない時、フォワイエでウォームアップするのがとっても好きなんです」
さて、デフィレは普段は接触のない団員と学校の生徒たちが一緒になる貴重な機会である。彼らが行進する姿がとても愛らしいと語る彼女。デフィレの時に、生徒たちはプティ・ペール、プティット・メールになって欲しいとダンサーのところに頼みにやってくるそうだ。
「そうですね、みんななんとなくおずおずって感じで来て......。いま学校にはプティ・フィス(男子生徒)がひとりと、プティット・フィーユ(女生徒)が4人だったかな......。そして団員だとケイタ(・ベラリ/コリフェ)君です。プティ・フィスの彼にはやはり何か特別な繋がりを感じますね。ちゃんと頑張ってるかなあ、ってなんとなくママみたいに気にかけてしまいます(笑)」

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エトワールとして踊るのは定年42歳まであと10年。2013年の正式入団から12年が経過していて、彼女はオペラ座人生のターニングポイントを過ぎたところにいる。その間にカンパニーにあった変化として、外部にもわかりやすいのはコンクールだろうか。前シーズン、スジェからプルミエへの昇級はコンクールではなく任命方式が初めて実験的にとられた。今シーズンは対象となるコール・ド・バレエのダンサーたちの声が反映されて、コンクールによる昇級はカドリーユからコリフェのみで、その上の2クラスについては任命方式だった。
八菜さんは2014年の初コンクールでコリフェに上がり、その後、プルミエール・ダンスーズまでコンクールごとに昇級しているが、その間どんな気持ちでコンクールに取り組んでいたのだろう。
「私が入団した時、コンクールは当たり前のことで、オペラ座のピラミッドを上がってゆくためにはやるしかないって思ってました。私はそれほど回数が多くないけれど、毎回踊りたいソロを探したり、自分の特性をより見せられるソロを探して......。ガルニエの舞台でエトワールの衣装を着てソロを踊れる!!って、そんなことすらうれしく思えたので最初のコンクールはとても楽しく踊れました。でも、次からはどんどん大変になっていきましたね。緊張感がどうしても普通の緊張感とは違う。でも、そうしたメンタル面のコントロールもコンクールのひとつのチャレンジじゃないですか。こういう経験を積むことがオペラ座でダンサーになるためには必要だったのだって、後ですごく思いました。コンクールのストレスが嫌だ、とか日頃のステージのストレスとは違うなどコール・ド・バレエのダンサーたちが言うのは経験からよくわかります。でも、キャリアにおいてソリストを目指すのであれば、それだけ緊張することがいつか必ずあるわけじゃないですか。緊張することなしにキャリアを築いてゆくなんてありえない。ストレス管理を学んでおかないと、いざという時に大変なことになってしまう。そのほかにもコンクールをしたことで学んだことはいろいろあって、得られたことはとても多かった。コンクールを経験しておいて、よかったと思っています。確かに審査方法とかは少し新しくしなければならないとは思いますけど、コンクールがないとオペラ座の特別なところがなんだかちょっと欠けてしまうような気がして......。それに1年に一度コンクールでコール・ド・バレエのダンサーを見るって、日頃ステージで見るのとは違うんですね。とくにスジェのクラスのダンサーたちをコンクールで一度に見ると、そのレベルの高さに驚くんですね。ああ、すごいカンパニーだなぁって。それが前シーズンも今シーズンも見られなかったのは、ちょっと残念!」

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かつてダンスは情熱の仕事であり、踊ることが好きで好きでたまらない!という人々がカンパニーを構成していた感じがある。最近はそうした団員は減っているのだろうか。
「そうですね、そう思えることも確かにあって悲しいな、って思うのだけど、本当はそうではなくて私が年をとったので、若い子たちのダンスが好きという気持ちが見えないだけなのかなあ、とも思ったりするんです。クラスレッスンとか見てると、みんな頑張ってるんですよ。でも自分はどういう踊りをしたいのか、オペラ座のダンサーとしてどう生きていきたいのかが見えてこない。私たちの時代とは違うのかなって......。私たちももちろん上の世代とは違うだろうと思いますけど、オペラ座のダンサーであること、それが好きでここに来たという人が少なくなったようにも感じます。パリ・オペラ座ってひとりの個人のダンサーじゃなくってカンパニーとして知られているのだということを、忘れないでほしい。ソーシャルメディアが発達し、そこにみんなのエネルギーがいきすぎているようにもちょっと感じますね。バレエを見るのも簡単になっていますけど、でも10回転ってすごい!とかそういうのばかりで......。踊りの大切さや、踊りのどういうところが好きなのか、というのが変わってきたのかなという気もします。だからインスタグラムでほかのエトワールたちの美しい踊りが見られる投稿があったら、私は若い子たちに''あれ見た?''って声をかけて、影響を与えられるように心がけてるんです。また大勢に見てもらいたい、シェアしたいと思うものを私も投稿するようにしています」
editing: Mariko Omura

東京に生まれ、3歳でバレエを習い始める。2001年ニュージーランドに引っ越し、オーストラリア・バレエ学校に学ぶ。09年、ローザンヌ国際バレエコンクールで優勝。契約団員を2年務めた後、13年パリ・オペラ座バレエ団に正式入団する。14年コリフェ、15年スジェ、16年プルミエール・ダンスーズに昇級。23年3月2日、公演「ジョージ・バランシン」で『バレエ・アンペリアル』を踊りエトワールに任命された。
photography: ©James Bort/Opéra national de Paris
Instagram: @hannah87oneill