不世出の天才、ルドルフ・ヌレエフを描いたバレエ『ヌレエフ』が、3月21日、ベルリンでワールドプレミアを迎えた。

ダヴィッド・ソアレス演じる「ヌレエフ」。photography: Carlos Quezada
本国ロシアでは、同性愛に関する宣伝を禁止するいわゆる「ゲイ・プロパガンダ禁止法」が強化されたことを受けて上演が禁じられていた演目であることもあり、大きな話題を呼んでいる。チケットは発売と同時に完売し、4月末までの全公演がソールドアウト。その反響を受け、2027年には追加公演も予定されており、作品への高い注目度を物語っている。
『ヌレエフ』は、舞台演出家、映画監督でもあるキリル・セレブレンニコフが、もともとはボリショイ劇場のために制作した作品だった。劇場側から提案された当初はヌレエフについて、亡命したダンサーで、反ソ連的な人物だったという以上のことはほとんど知らなかった。その後多くの文献、資料を読み、パリで一緒に仕事をした人々と話をしていくうちに、複雑なヌレエフの人生を垣間見たという。しかし、彼はボリショイ劇場でのプレミア上演を観ることは叶わなかった。横領容疑をかけられ、自宅で軟禁されることになってしまったからである。

ヌレエフの伝説のパートナー、マーゴ・フォンテインとの出会いも描かれる。イアナ・サレンコがフォンテインを熱演。
クィアで反ソ連的な移民を描く、象徴的作品。
「ボリショイ劇場の『ヌレエフ』は、ヨーロッパでも注目されていました」と、この作品の招聘に尽力した、べルリン国立バレエ団の芸術監督、クリスティアン・シュプックは思い返す。「ところが、2017年のゲネプロ(総稽古)の後、公演は中止されるらしいという、予想外のニュースが飛び込んできたのです」
その後、劇場の総監督は、少し手直しをして後日上演すると発表した。その背景には、政治的な圧力があったと思われる、とセレブレニコフは公式サイトのインタビューで述べている。

ヌレエフに宛てて書かれた手紙を演じる、ポリーナ・セミオノワのソロ。
「当時ロシアでは、攻撃的で保守的な勢力と、よりリベラルな人々との間で権力闘争が繰り広げられていて、『ヌレエフ』は、その争点となってしまいました。この作品は、クィアで反ソ連的、親ヨーロッパ的な移民を描く、象徴的な意味合いを持つものでしたから」
その後、少しだけリベラル勢力が優勢となったタイミングで、無事に初演を迎えた。観客からは熱狂的な喝采で迎えられたが、ロシアの急激な政策転換の影響もあり、「LGBTQプロパガンダ」「伝統的価値観への冒涜」として2023年に上演を禁じられてしまう。
ヌレエフと同じように、自らを育んだロシアを離れることとなったプリンシパル。
本作は、1995年クリスティーズのオークション会場から始まる。ヌレエフの遺品を競売にかけるという設定で、彼の人生を紐解いていく。1950年代の白いソ連製のレオタードから、リチャード・アヴェドンが1961年に撮影したヌードの写真、マリア・カラス愛用のソファ、豪華絢爛な刺繍を施したシルクやベルベットの衣装、そして1989年に購入した、ル・コルビュジエ・ヴィラのあるイタリアの小島......彼の人生を描く中で『白鳥の湖』、『眠れる森の美女』、『ドン・キホーテ』などさまざまな作品が織り込まれる。

恋人だったエリック・ブルーン(演じるのはマーティン・テン・コルテンナー)との狂おしいデュエット。

ヌレエフのソ連時代の様子を表す第一幕のシーン。
ヌレエフを演じたのは、ダヴィッド・ソアレス。ブラジル出身の彼は、モスクワ・バレエ・アカデミーで学び、ボリショイ・バレエ団に所属。子どもの時からヌレエフは憧れの存在だったという。作品がボリショイ劇場で作られている様子も間近で見ていた。
2022年のウクライナ侵攻でロシアを逃れ、ベルリンへと逃げた。この体験が、今回ヌレエフを演じる助けになったと、ソアレスはドイツの新聞ツァイト紙のインタビューで語っている。
「ヌレエフと同じように、私も、自分を作ってくれた場所を後にしたんです―どこへ行くべきかもわからないままに」
現在べルリン国立バレエ団でプリンシパルを務めるソアレスは、繊細に、そして大胆にヌレエフを演じ踊り切った。踊る力が尽き、舞台を降りて指揮者となったヌレエフの姿で、幕は閉じられる。ソアレスの腕がそっと動きを止めると、劇場は満場の拍手に包まれた。
photography: Carlos Quezada

河内秀子
ライター&コーディネーター。2000年からベルリン在住。ベルリン芸術大学在学中に、日本のメディアでライター活動を始める。好物はフォークが刺さったケーキ、旧東ドイツ、マンガ、猫。 note:そとのひと



