マイケルの元ボディガードが見たセレブたちの素顔。

Culture 2021.11.08

From Newsweek Japan

文/サイモン・ニュートン

兵士として赴いたイラクで準軍事会社にスカウトされ、王族やセレブの警護で稼いできたが、いまは俳優に挑戦中。

211108-newsweek-01.jpgロンドンを訪れたマイケル・ジャクソンを警護。photo:Getty Images 

兵隊さんになるんだと、子どもの頃から決めていた。だから19歳で英国陸軍に入隊した。でも5年後、イラクに駐留していたときにアメリカ系の民間警備会社から誘いを受け、それで転職した。

それから3年ほど、イラク各地で民間の警備請負業者として働いた。もちろん危険がいっぱいだった。同じ宿舎に滞在していた仲間の多くは、仕事に行ったきり二度と戻ってこなかった。それからアフガニスタンに移り、英国政府の関連機関で働いた。

2006年に休暇で実家に戻っていたとき、ロンドンで仕事があると誘われた。アメリカから来て、10日間滞在する客人がいる、名前は言えないが、明日からボディーガードをやってくれないか。もちろん、私は引き受けた。翌日、空港で「客人」の顔を見た。マイケル・ジャクソンだった。

マイケルはその年のワールド・ミュージック・アワードに招かれていて、宿泊先はロンドン市内の某有名ホテル。当然、世界中からやって来たファンが同じホテルに泊まり、ロビーでひと目でも会えるチャンスを狙っていた。みんなタクシーを待機させていて、私たちが出掛ければ、すぐに追い掛けてきた。

幸いなことに、マイケルは無用な外出を好まなかった。そういう男だった。

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穏やかで冷静で礼儀正しい紳士。

でもワールド・ミュージック・アワードの当日は、さすがに部屋に閉じ籠もってもいられない。やむを得ず強行突破でホテルを出て、会場内には車で突っ込んだ。規則違反だが、ほかに手がなかった。ファンだけでなく、ミュージシャンたちもマイケルに会いたくて詰め掛けていたからだ。

でも、マイケルは一貫して紳士だった。穏やかで冷静、礼儀正しかった。何があっても、慌てず騒がず。私たちが不快な思いをすることは一度もなかった。

その後は戦場に戻り、アフガニスタンで1年半を過ごした。その後の2年間はロンドンで、ドバイの首長一族の警備チームに参加。その後の数年は、ペルシャ湾を行き来する石油タンカーを正体不明の海賊から守る仕事をした。

その間に、実は自分の警備会社を立ち上げていた。13年にはロンドンに戻り、ファッションモデルなどの身辺警護を始めた。あのケイト・モスの自宅を警備したこともあるし、一時はナオミ・キャンベルの御用達でもあった。

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お忍びで食事に行くベラ・ハディドの警護はカジュアルな服装で。photo: RICKY VIGIL MーGC IMAGES/Getty Images

若手のケンダル・ジェンナーや、ベラとジジのハディド姉妹などのボディガードも務めた。素顔の彼女たちはみんな、とても礼儀正しくて偉ぶらず、こちらの要求は快く聞き入れてくれ、いつも人当たりがよかった。

お世辞じゃない。ステージを下りてからも彼女たちは素敵で、他人を見下すようなことはなかった。だからこそ彼女たちはスーパーモデルになれた。まあ、さすがにマイケル・ジャクソンには及ばないと思うけれど。

ベラ・ハディドの場合、普通のジャケットを着て帽子をかぶっていれば、まあ移動は楽だった。ファッションショーの当日は彼女を見に多くの人が集まるが、控えめに動けば外食や買い物もできた。日曜日に、普段より1時間早く店を開けてもらうとかの交渉は必要だったけれど。

この仕事では「ボディガード」らしく見えないように振る舞うことも大切だ。相手が女性セレブの場合は、あえてポケットに両手を突っ込んで歩いたりもした。そうしないとクライアントが妙に目立ってしまうからだ。

しかし逆に、「この人は屈強なボディガードに守られているんだぞ」とアピールしなければならない場合もある。まあ、いろいろだ。

幸いにして、私は身をていしてセレブの命を守るような場面には遭遇しなかった。それは、単なる幸運ではない。こちらが事前に、綿密な作戦を立てていたからだ。

いざセレブを連れて外出するときには、車を止める場所はもちろん、隣の車との距離が十分にあるかも確認する。周辺にファンが多そうなら、現地の警備スタッフにも協力を要請するのが常だった。

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撮影現場でマット・デイモンと。

私は幸いにもかなりの数の有名人の警備を担当し、無事に使命を果たし、それなりの報酬を得て、自分の会社を立ち上げることもできた。もう現役は退いたが、この15年間で個人としても340万ドルほどは稼げた。

実を言うと、その頃から映画関係の仕事には興味を抱いていた。ドバイ首長家の警護を終えた後、私は同僚の勧めもあって映画界のエージェントに連絡し、軍人がらみの演技アドバイザーなら任せてくれと売り込んだ。

すると1週間後、依頼が来た。そして2カ月間、『グリーン・ゾーン』の撮影現場でマット・デイモンと一緒に過ごすことになった。昔は特殊部隊にいたから、アクションの指導も衣装や武器の時代考証もお手のものだった。

211108-newsweek-03.jpg現在は俳優業に邁進するサイモン・ニュートン。

でも、演技指導だけでは物足りない。やはり自分で演技をしたい。それでいまさらながら演技学校に通い、いまもせっせとボイストレーニングを受けている。

既に何本かの映画に出演した。これから順次公開されるはずだ。私に回ってくる役は兵隊かギャング、囚人か看守、あるいは警察官など。いかにもイメージどおりの役ばかりだが、文句は言えない。

それでも夢は大きく、いつかジェームズ・ボンドの役をやりたい。まあ無理だろうが、端役でいいから007映画に出てみたい。私はいま42歳の新人俳優。ボディガードが必要なほどのスターにはなれないだろうけど、いつか護衛される側に回りたいとは思う。

自分が殺されてしまうようなリスクは冒さない。それが私の、軍隊時代から変わらぬ信条だ。警護の仕事でも、それで生き延びてきた。しかし映画の世界なら、いくら撃たれても死にはしない。だからずっと続けられる。

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text: Simon Newton

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