「光る君へ」を手がけた脚本家・大石静に独占ロングインタビュー!

Culture 2024.12.19

書き上げた連続ドラマは数十本以上。脚本家・大石静が描く物語は多くの人々の琴線に触れた。大河ドラマ「光る君へ」を書き終えた大石静にロングインタビューを決行。脚本家とは、その信念とは、そして、人生観について話を聞いた。


「大石静さんに話を聞きたい」

企画を立てたのは2023年夏のことだ。とはいえ、大河ドラマ「光る君へ」を執筆中、多忙を極めた脚本家のスケジュール調整は難航。それでもいま、日本で多くのドラマを紡ぎ出している脚本家に会いたいという想いが消えることはなかった。時は過ぎ、24年11月某日。念願叶って、彼女にインタビューを受けてもらう機会ができたのだ。大作を書き終えて、どこかすっきりとした面持ち。インタビューをした数時間は、まるで一本のスペシャルドラマを鑑賞しているような気分だった。

登場人物たちを立体的に魅せていく。

「脚本家は裏方のひとりだと思っています。台本は台の本、脚本は脚の本。土台がしっかりしていなければしっかりした家は建たず、脚がしっかりしていなければ人の身体はふらふらです。そういう意味で、作品の目指すところを示し、哲学を示すことが私の仕事です」

1986年のテレビドラマ脚本家デビュー以降、現在まで大石静は書き続ける生活を送っている。ドラマ放送が盛んだった90年代には、年間で2クールもの作品を担当していたことを考えると、手がけた作品は枚挙に暇がない。ラブストーリー執筆のイメージが強いものの、実際は医療もの、仕事もの、家族ドラマ、事件ものなど、オールジャンルの人だ。

「ドラマを作る時に大切だと思うのは、登場人物を立体的に見せること。人間は誰しもが天使と悪魔の心を持ち合わせています。その両面に光を当てて、人物を立体的に描きたいと私は思っています。だから現代劇であろうと時代劇であろうと、人間を描くという意味では大差ありません。書きたい特定のジャンルもありません。求められるものにこたえていく、という感じですね」

とはいえ、エンタメ業界とは背筋が凍るほどの群雄割拠の世界。求められたいと望んでも、そう簡単に叶うものではない。ではなぜ、彼女は長きにわたって業界から求められるのか。

「秘訣はないですよ。おもしろいものが書けるかどうかだけでしょう。腰が低いとか、締め切りを守るので使いやすいとかもあるかもですが。それにドラマは私だけで着想するものではなく、プロデューサーや監督、スタッフと一緒に考えるものです。たとえば『星降る夜に』(23年)は、担当プロデューサーが学生の頃参加していた手話サークルの経験が作品の着想点です。手話を主語とする人たちが、とても生き生きとしていて、それを形にしようと思ったそうです。それならその思いにこたえようと、プロデューサーについていきました。私たちは俳優と同じで、現場に呼んでもらわなければ仕事ができません。誰かに『大石さん、大河ドラマが終わったら私とやって』『その次はどうなってる?』と言ってもらえるように、おもしろいものを出すよう頑張っています」

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人を常に観察し、観察力を研ぎ澄ませる。

たくさんの才能が呼応し合って出来上がる連続ドラマ。考える、撮る、飾る、演じる。その中で大石が担うのはゼロから物語を立ち上げて、台詞で物語を綴ることだ。その着想源は一体どこから見つけているのだろう?

日々の暮らし、すべてが書くためのネタです。『これはドラマになるかもしれない』と、いつもヒントを探しています。だから日頃はあえて何か行動をすることはありません。ただし、想像力を鍛えておくことは必要ですね。たとえば電車に乗っていて『前に座っているおじさんは、こんな職業で、こんな家族がいて......?』と想像を膨らませる。観察力を研ぎ澄ませておく。そんなに楽しい行為ではないけれど、これは修業だと思って続けています」

アイデアがあって、物語が始まる。脚本がその基盤となる。それは間違いないけれど、脚本家の精神がむき出しになることはないという。

「小説家のように究極の自己表現ではないですからね。大勢で作ることを楽しまないと、この仕事はできません。ドラマは私のものでもあり、監督のものでもあり、プロデューサーのものでもあり、役者のものでもあります。ですから、1時間のドラマの中に、私らしい台詞がひとつはないと、と思いますが、そのほかは監督やスタッフ、キャストに委ねます。毎回、こう来るのかと驚くことの連続ですよ」

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脚本家は、いち職人。

脚本家もただデスクに向かって、血眼に書けばいいというわけでもない。よりよいものを作るために、監督やプロデューサーの意見で何度も直し、皆で何度も揉んで作っていく。台本の打ち合わせは8時間に及ぶこともしばしばだ。とてつもない情熱と打たれ強い精神がないと脚本家は務まらない。

「打ち合わせは激しい議論となる場合もありますので、私のことをトゲのある奴だと思っている仲間もいるかもしれませんが(笑)。でもすべては素敵なドラマをこの世に送り出すための工程ですから」

エネルギーが集結した約1時間の物語。そこでひとつだけでも"大石静らしい台詞"があればいい。確かに彼女が生み出す台詞には、いつの間にか、ぽとん、と心に落とし込まれるような台詞がある。確かにある。「オーダーされたものにこたえ、生きた台詞で物語を紡ぎ、その作品の哲学をスタッフとキャストと見る人に示すのが脚本です」

自分は職人であり、決してアーティストではないと言う。

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欲情しない若い男たちを危惧。

「電車の中では必ず若い人のそばに行き、話に聞き耳を立てます。どんなしゃべり方をするのか、どんなことで笑うのか、などを知りたいので。私には子どもも孫もいないので、若い世代の情報は吸収するようにしています。最近、しみじみ不思議なのは若者が恋愛をしないことです。何年か前にNHKの番組で見たんですけど、Y染色体が滅びつつあるそうです。XXのほうが安定感があるので、明らかに女性のほうが元気がいいですよね。この世の若い男たちが欲情しないなんて、つまらない世の中になったものです」

性的欲望を発散しない分、インターネット上で鬱憤を晴らしているとしたら、これもまた恐ろしい。

「己の欲望や想いを認識しつつ、自分の心と対話しながら自己分析することが人間の成長の第一歩じゃないでしょうか。でも最近は、自分の欲望に蓋をして、自分と対話しない文化になっています。自ら押さえつけた欲望が変形して妬みとなりSNS上で炸裂する。オーストラリアでは16歳未満の子どもに、SNSを禁じる法案が可決されたそうですが......そういうことも必要かもしれませんね。国民が管理されすぎるのも問題なので難しいですが」

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ハードな執筆生活、その実態。

あらためて彼女の実年齢を思い量ると、やはり健康面は気になる。本来であれば仕事を緩やかにするか、老後を楽しむ世代だ。特に大河ドラマの執筆は全48回放送という長期間の拘束。何か生活で気をつけていることはないかと聞くと、笑いながらこう言った。

「気をつけていることは何もないです(笑)。運動も一切しませんし、正しい食生活も意識していません。運動不足、タンパク質不足、野菜不足の典型ですし、不規則な生活も極まっています。でも仕事では本当に努力をしているので、それ以外のことは努力をしたくないし。欲望のままに生きたいのです。それで死んだら、本望です」

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道長から「書け!」と言われている感覚。

日常生活だけは気ままに。対するように仕事には真摯に。そんな彼女が2024年を代表する作品となった「光る君へ」のオファーを受けたのは、いまから3年半前のこと。平安時代という未知の世界への勉強を重ねてきた。執筆前には京都へ向かい、登場人物たちゆかりの地を訪ねた。

「NHKのスタッフと、まひろを演じた吉高由里子さんと行きました。まずは紫式部が住んでいた場所だという上京区の廬山寺。いまは普通のお寺ですが、寝殿造りは昔のままだそうです。それから柄本佑さん演じる藤原道長のお墓も行きました。住宅地にある森のような場所なのですが、そこで不思議なことが起きたんです。いい意味でゾワーッとしたというか......髪の毛が立っちゃうような......。道長に『(脚本を)書け』と言われているような気がしました。吉高さんはその時のことを『大石さんがお墓でキャーキャー言っていた!』と、ほかの人に話していました。また、陽明文庫で、国宝であり世界遺産である道長の『御堂関白記』も見ました。千年前の道長の直筆が残っています。字はあまりうまくなくて、走り書きや、文字を消した跡もあり、おおらかな人柄がうかがえる日記でした」

大石は執筆中に勝手に手が動くような感覚に陥ったことがあるという。自分が唸り出しているのではなく、誰かに書かされている感覚。これを感じたのがNHK連続テレビ小説「ふたりっ子」と同局の「セカンドバージン」。2作とも大ヒットとなった。今回も「光る君へ」はひとつのムーブメントとなったが、先の2作とは違う感覚だ。道長には背中を押されていると、常に感じてやってきた。とはいえ、スタートした時は戸惑うことも多かった。

「平安時代のことなんて、誰が見るんだろうと思いました(笑)。なじみのない時代ですから、一年間も見てもらえるのかどうか不安でした。紫式部と道長の若い頃の史料はまったくないんです。大河ドラマのスタンスとして、歴史的にわかっていることは、ひとつも外していませんが、まひろと道長の若い頃の話は、すべてオリジナルで構築しました。身分の違うふたりをパラレルで描くと視聴者の方が見づらいと思ったので、幼い頃から淡い想いを抱いている間柄にしたのです。それでも初回はそれだけでは物足りない。だから第1話でまひろの母親が殺害されるシーンを作りました。視聴者が来週も見たくなってくれるようなインパクトをつけたかったのです。まひろにしてみれば、淡い想いを抱いた人の兄が母の仇、というスリリングな展開になっていくように知恵を絞りました」

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脚本家人生で、大河ドラマを2度執筆。

大石は06年に「功名が辻」の脚本を担当した経験もある。今回は人生2作目の大河作品だ。

「両作、何が違うかといえば基礎知識が違います。『功名が辻』は舞台が戦国時代。織田信長は桶狭間の戦いで勝利し、本能寺で死ぬ。関ヶ原の戦いでは徳川家康が勝利するということは、一般常識として皆知っています。でも平安時代といわれると『道長って偉い人?』程度の知識しかなかったので、勉強が大変でした。まさにゼロからのスタートです。見せ場も違いました。『功名が辻』は、戦とその調略、駆け引きが見せたいところ。戦にいたる経過を見せていくんですね。でも『光る君へ』では、戦はありません。物語の8割は内裏の中の静かなる人間関係であり権力闘争です。それとプリミティブな男女関係ですね。誰も描いたことのない世界ですから、視聴者にどのように受け止められるかは想像がつきませんでした。まひろと道長のカップルが、相性のよい芝居で本当に切なく美しく、そちらも話題になって引っ張ってくれましたけど、大半は内裏の男社会を描いているんです」

いちかばちかの企画で、ハラハラドキドキの3年半を過ごした大石だが、書き終えたいまは「寂しい」とひと言。

「スタッフやキャストと、こんなにも別れがたい気持ちになった作品は初めてでした。主役ふたりの人柄がとてもよかったから、ピリピリとした雰囲気のない穏やかな現場でした。クランクアップの日はセットのバラシがあるのに誰もスタジオから出て行かなくて。みんなで別れを惜しみました。柄本さん、役作りですごく痩せていたんですよ。撮影当日、朝からジムとサウナに行って4キロも落としたそうです。ボクサーみたいですよね。脱水症状で苦しそうだったけど、死ぬ時もしみじみ色っぽかったです(笑)。生涯、道長を求め続けたまひろの気持ちも、道長を看取るまひろのまなざしにあふれていて感動的でした」

大石の「光る君へ」愛もあふれんばかり。

「吉高さんは主役ですけど、実は台詞も出番も少なかったのです。それでも、知的であるがゆえに気難しいまひろの心の奥底を見事に表現し、主役としての存在感を示しました。本当に吉高由里子がまひろでよかったと、心から思います。『光る君へ』チームのスタッフのプロフェッショナルな仕事も素晴らしかったです。セット、衣装、照明、カメラ、その他諸々、どれをとっても気合あふれる仕事ぶりで、私の執筆の励みにもなりました。ドラマはチームワークあってこそですから」

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人間は所詮、孤独。

華やかな世界で活躍する大石だが、自身のことを孤独だと言う。

「寂しいですよ、すごく。夫を亡くして2年、いまは猫との暮らし。私、友だちはいないんですよ。知り合いはたくさんいますよ。でも友という感覚が......よくわからないです。『光る君へ』の仲間は一蓮托生で走ってきましたから、強い連帯感はあります。でも友でもない。社交的に見られがちなんですけど、知らない人だらけのパーティも苦手ですし、知り合いを増やすチャンスもあまりなく、孤独といえば孤独です。寂しさが解消できるとも思いません。人生はこういうものなんじゃないでしょうかね」

「知らなくていいコト」(20年)の第1話。ロマンス詐欺に合う、年配の茶道教室の師範が漏らした「人間は所詮、孤独ですから」という台詞とシンクロする。

「自分以外の人間に何かが起きた時、本当にわかり合う、助け合うことはできないかもしれません。でも私に吐き出したものがあるとしたら、それを聞いてあげることくらいはできるかな」

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ストレスとの向き合い方。

人生はシュガーコートされたものばかりではない。しばしば試練は訪れる。それによってストレスを抱えた時、誰しもが「解消しよう」と考える。大石にはその気持ちはない。

「ストレスは解消しなくてはいけないと思いすぎると、逆にそのストレスに苛まれません? ストレスは溜まって当然と思ったほうが楽だし、しみじみと寂しさを味わうのもいい。いまの私はそう思いながら晩年を生きています。もちろん仕事のオファーがあるうちは、書き続けたいと思っています」

実年齢をうかがわせない、常に精力的な彼女の口からついて出た、意外な本音に胸が詰まる。脚本界のトップに君臨しようと、多くの人から求められる立場にあっても孤独は孤独。と同時に、自分が孤独であることに誇りを持てた瞬間でもあった。あの大石静でも寂しいのだから、私たちだって孤独。そして何ら恥じることではない。

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大石が考えるプロフェッショナル。

「疲れ果てて、痩せました」と、ちょっと気にしていた大石。大作を書き上げたいま、ゆっくりと大好きなドラマを鑑賞してはどうだろうと提案をした。

「ワンクール、全作品の第1話は必ず観るようにしているんです。どんな人がどんな仕事をしているのか知っておきたいので。でもハマる作品は、何年かに一作あるかなしかです。最近だと『俺の家の話』(21年)と『鎌倉殿の13人』(22年)かな? 24年9月に『光る君へ』を脱稿して、海外旅行をしようかなとか、休養の仕方をいろいろ考えてはいたんです。でもスケジュールが全然空かない。大河の評判もあって、こういった取材や番組出演や、トークショーの依頼があったり......」

脚本家の仕事といっても、実際に書くだけの仕事ではない。打ち合わせ、企画、取材、執筆、原稿修正にプロモーションとめまぐるしく工程が続いていく。むしろ執筆以外の連続。その工程に好き嫌いはないそうだ。

「全部やってこそ、プロフェッショナルでしょう。プロモーションが大変でも、ドラマが盛り上がったほうがいいですからね、当然やりますよ」

そういう彼女には25年の新作の脚本執筆が待っている。

「大河で晩年の能力をあまりにも使い果たしてしまい、とにかく頭を休めようと、脱稿してから3日間、自宅でぼーっとしていたんですよ。でもすぐに飽きてしまい『つまらない!』と思ってしまいました。久しぶりに映画を見たんですけど『私ならこのシーンはこうする』とか『このシーンの魅せ方はいいな』なんて、ずーっと考えちゃって。頭を休ませるのもいいけど、やっぱりおもしろくはない。だからもう次の作品の取材を始めています」

最後にこのインタビューを進めるうえで、彼女について、さまざまな資料を読み込んだことを伝えた。そして格好のいい、エネルギッシュな大石静の生き様は、ぜひいつかドラマ化して映像で見たいとも。そんな願望に、彼女は即座に答えた。

「そんなダサいことやりたくないです(笑)。私は裏方ですし、自分の生い立ちなんか、ドラマで見たくもないです。小出しに自分のドキュメンタリーはやりましたし......。たとえば朝ドラ『オードリー』(00年)のヒロインには、英語でしゃべる日本人の父親と、ふたり母親がいますが、それは私の育った境遇に似ています。先ほども言いましたが、ひとつの作品にひとつ、私らしい台詞があればいい。そんなふうに何気なく、自分らしさが出ていればそれで十分です」

私たちが大石静の新作を堪能できる日々は、まだまだ続くのである。

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Shizuka Oishi/脚本家。1951年、東京都生まれ。86年にドラマ「水曜日の恋人たち見合いの傾向と対策」でデビュー後、現在まで連続ドラマの脚本を主に執筆。代表作に「ふたりっ子」(96年)、「セカンド バージン」(2010年)、「家売るオンナ」(16年)、「光る君へ」(24年)など多数ある。

*「フィガロジャポン」2025年2月号より抜粋

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あのドラマの裏話も! 4人の名脚本家にインタビュー。

text: Hisano Kobayashi

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