ショパンの名曲が寄り添うダークコメディ『リアル・ペイン』。
Music Sketch 2025.01.27
『リアル・ペイン〜心の旅〜』は、デヴィッドとベンジーという従兄弟が久しぶりに再会し、半年前に亡くなった祖母の実家を訪ねてポーランドへ行くというストーリーだ。対照的な生活を送ってきたふたりの心の変化や、祖母が生き延びたホロコーストの強制収容所を訪ねる場面などを描く。しかしヘヴィーな映画ではなく、ベンジー役のキーラン・カルキンが第82回ゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞したことで証明されているように、ユーモアとペーソスが交じり合う見事な演技で魅せるのだ。監督・脚本・制作・主演を務めたジェシー・アイゼンバーグの実体験がきっかけとなった作品で、さらにはポーランドへの愛国心を常に掲げていたショパンの楽曲が全面に流れ、情感を彩る。傑作である。

愛する祖母を亡くしたデヴィッドとベンジーは、その悲しみをどこにもぶつけることができない。特にベンジーにとって最大の理解者であった祖母は、世界でいちばん大切な人であり、おそらく彼をこの世に繋ぎ止めている唯一の人だった。失意の底にいるベンジーのために、デヴィッドは祖母の遺言に従ってユダヤ人の史跡ツアーに彼を誘い、最終日には祖母がナチス・ドイツに迫害されるまで住んでいた家を訪ねることを決める。
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アイゼンバーグの実体験から脚本を書き、大叔母の実家でも撮影。
繊細ながら社交的なベンジーは、ツアー一行の人々を驚かせながらも愛されるキャラクターとなる。しばしば意表を突くことを口にするが、なぜかそれがツアーの一行に受け入れられてしまう。一方、緊張しやすく責任感の強いデヴィッドは、自分の感情を抑えてみんなとうまくやっていこうと努める。デヴィッドはベンジーに同情しながらも、自由奔放な彼の存在が次第に疎ましくなり、嫉妬心さえ抱く。この対照的な性格のふたりの関係性がコメディタッチで描かれていく。

アイゼンバーグにとって、この脚本はパーソナルなものだ。彼の7歳の息子バナーがデヴィッドの息子エイブ(エイブラハム)を演じているのも、そのためだろう。彼はポーランド生まれの大叔母ドリスを尊敬し、率直で、時には辛辣な発言をする彼女の言葉から自身の人生の軌道修正をしていたという。そして10代の頃に、「将来ヨーロッパで仕事をするようになったら、大叔母が育った家を訪れる」と約束し、ボスニアで撮影中の映画に出演していた際にその約束を果たした。しかし、その家の外に立って、何かを感じようとしたものの、何も感じられなかったという。その経験は癒しというよりも、困惑を深めるのもだった。
アイゼンバーグの直系の先祖は、大叔母も含め、第二次世界大戦より前の1918年にアメリカへ移住したが、他の親族は残り、女性ひとりを除いて全員ホロコーストで殺害されたそうだ。アイゼンバーグは最近ポーランドの市民権を獲得したというが、「家族の歴史について学び、自分もその歴史とつながっていると感じたことで、子どもの頃から"現代の痛みと歴史的なトラウマにどう折り合いをつけるか"という考えに取り憑かれていた」とインタビューに答えている。『リアル・ペイン』では、デヴィッドとベンジーが祖母ドリーの家の前に立つシーンで佳境を迎えるが、まさにその大叔母ドリスの実家で撮影したのだ。
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収容所の撮影は、リハなしで登場人物の感情表現を試みた。
劇中でベンジーは現在と史跡との繋がりに強くこだわる。それこそアイゼンバーグがこだわった点だろう。そしてアイゼンバーグは、「ホロコーストを題材にすると簡単に同情を誘うことができるため、慎重になった」といい、最も現実的なアプローチで取り組もうとした。というのも強制収容所は、通常は「1942年を舞台に再現しようとするホロコースト映画」の撮影を依頼される。しかし彼は、この場所を最大限の敬意と感謝を持って扱うべき神聖な場所として、「いまあるがままの状態で、あなた方がしていることを私も見せたい」と、マイダネク(ルブリン)収容所の現職の管理官を説得して、撮影許可を得た(アイゼンバーグの家族はここから5分のところに住んでいた)。

デヴィッドとベンジーの祖母は、その収容所で何とか生き延び、後に米国に移住したという設定だ。そして、アイゼンバーグは、登場人物の感情を表現するために、ツアー一行のリハーサルをせずに、全く予想のつかないままマイダネク収容所を見学するシーンを撮影した。そこでは誰もが息を呑む。ちなみに、製作にはオスカー受賞作『関心領域』(日本公開2024年)で知られるポーランドのエヴァ・プシュチンスカが参加。エマ・ストーンらが創立した製作会社フルート・ツリーも、アイゼンバーグ監督の1作目『僕らの世界が交わるまで』(22年)に続いて関わっている。
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ショパンの音楽で洗練された、伝統的で成熟した雰囲気を。
音楽に関しては、監督の「洗練された、伝統的で成熟した雰囲気を持たせたかった」という強い思いから、ポーランドの作曲家、フレデリック・ショパンのよるピアノ曲をほぼ全面的に使用。アイゼンバーグは2008年のポーランド旅行でショパンの生家も訪れ、帰国後に書いた劇『The Revisionist』(原題、13年)の劇中でショパンの楽曲を使用している。

インタビューでは、「脚本を執筆している間、私はこれらの楽曲をすべて聴いていた。そして多くの場合、その楽曲がそのシーンのあるべき姿について私にインスピレーションを与えてくれた」と話す。「ベンジーとデヴィッドの間のバカバカしさを相殺するような、クラシカルで格調高い曲調を与えてくれた」、「現場でも聴いていて、特に撮影監督のミハウ・ディメクに聴かせ、彼が俳優を追跡するときや、ストーリーや台詞にギャップがあるとき、いつでもそのリズムを確立できるようにしたんだ」とも話している。
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実況解説のようなショパンの音楽。
ほとんど実況解説の如く流れるショパンの音楽は、なかでもベンジーの心情に寄り添っているように感じられる。冒頭の空港のシーンから流れる「ノクターン 第2番 変ホ長調 Op.9-2」はショパンが20歳の時に書いたとされる曲で、転調するハーモニーの進行が歓びと内省とを暗示させる曲調だ。後半でも重要なシーンに流れる。機内持ち込み検査の時には、ショパンが作家ジョルジュ・サンドと過ごしたマヨルカ島で完成したとされる「24の前奏曲 変ホ長調 Op.28-19 "ヴィヴァーチェ"」が、社交的なベンジーを後押しするかにように流れる。「12の練習曲 ハ長調Op.10-1」ではツアー一行がワルシャワの街へ繰り出す場面で流れ、「12の練習曲 ヘ長調 Op.25-3」での32音符がアクセントをつけながら駆け上っていく演奏は、いたずら好きなベンジーがデヴィッドを連れて屋上へ向かうシーンに使われる。

「ノクターン 第4番 へ長調 Op.15-1」は、ベンジーが熟睡して起きられない時や、デヴィッドが寝坊した時にも使われ、その一方で、ふたりが別れていくシーンに流れる「12の練習曲 変イ長調 Op.25-1 "エオリアン・ハープ"」は、"メロディは光、低音部は影"と呼ばれるように、複雑な心境が音に反映される。ネタバレを避けるため細かくは記さないが、ピアニストとしても優れた技巧派だったショパンは、繊細な旋律に非常に長けていることを再認識した。有名な「ワルツ 第1番 変ホ長調 Op.18 "華麗なる大円舞曲"」はワルシャワ蜂起記念碑のシーンで、「ワルツ 第6番 変ニ長調 Op.64-1 "子犬のワルツ"」も、コメディ映画らしい使われ方をしている。
エンドロールに関していえば、ポップな曲を挟まず、そのまま「バラード へ長調 Op.38-2」を最後まで流しても良かったように思う。
空港から始まり、同じ空港で終わる(心の)ロードムービー。彼らがその後どれほど変化したかどうか描かれていないのは、アイゼンバーグ自身も答えに到達していないことを示しているのだろうか。そして、美しい景観に影の歴史があるように、私たちは誰がどんな経験をしているのかわからないということ、そしてどこにでも苦痛があるということを前提に考えるべきことも示唆している。たとえ、誰かがとてもうまくやっているように見えても、である。また、real painとは、"本当の痛み"であったり、文脈によっては"うんざり(厄介)"という意味に取られたりするが、簡単には癒されないことを描きつつも、少しの間でも人に対して寛容になれることを示している映画でもある。個々の人生に重ねながら、いろいろな受け取り方のできる秀作なのだ。

●監督・脚本/ジェシー・アイゼンバーグ
●出演/ジェシー・アイゼンバーグ、キーラン・カルキン、ウィル・シャープ、ジェニファー・グレイほか
●2024年、アメリカ・ポーランド映画 ●90分
●配給/ウォルト・ディズニー・ジャパン ●1月31日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国にて順次公開
https://www.searchlightpictures.jp/movies/realpain
©2025 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.
*To be continued

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
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