我が愛しの、ジェーン・バーキン 偉大なシンガー、ジェーン・バーキンが遺した全アルバムを紹介!

Culture 2024.06.15

名プロデューサーのセルジュ・ゲンズブールに見いだされ、亡き後は彼の曲を歌い続けながら、自身の表現を獲得した歌手ジェーン・バーキン。インタビューを重ねてきた音楽評論家の松山晋也が全アルバムを解説。


松山晋也
音楽評論家

イノセントな笑顔で駆け抜けた、
シンガーとしての半世紀。

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2007年、ジェーン宅で。笑顔が大好きな一枚。

ジェーン・バーキンには10回以上インタビューしたが、振り返れば、ジェーンの最大の才能は"笑顔"だったのだと思う。彼女は非常に頭が良く、感受性豊かで、ユーモアにあふれ、正義感が強い熱血漢で、裏表がなく、イノセントで、誰にでも優しい永久少女だった。そしてそれらすべての結晶として、彼女はいつも朗らかに笑っていた。ミャンマー軍事政権やトタル(英国の石油会社)を激しく糾弾する言葉も聞いたし、慰問先の東北で呆然と涙ぐむ姿にも接したが、思い出すのは、あのまっすぐで濁りのない笑顔の輝きだけだ。つくづく、育ちの良さ(金のあるなしではなく)は大事だと思う。

誰もがあの無邪気な笑顔に吸い寄せられた。海千山千の女たちと数々の浮名を流してきたセルジュ・ゲンズブールを虜にし、稀代のピグマリオンへと育てたのも、ジェーンの笑顔だったと思う。シンガーとしてのジェーンを育て上げ、一人前にしたのは間違いなくセルジュだが、彼女の無限の笑顔と接する中で、セルジュはピグマリオンにならざるをえなかったとも言える。

ジェーンはその笑顔という才能を一度も錆つかせることなく、半世紀に及ぶ歌手としてのキャリアを積み上げていった。自分でもよく言っていたが、最後まで決してうまい歌い手ではなかった。が、アルバムを一枚作るごとに着実に成長し、自分だけの声、表現を確立していった。最初はセルジュに言われるがままの操り人形だった彼女が、セルジュとの別れ、セルジュの死、娘ケイトや両親などの死、映画や舞台での仕事、あるいはさまざまな社会的、政治的問題との関わりを通して、歌唱力とは別次元の説得力を高め、自信を深めていったことは、ここに紹介する全アルバムを順番に聴いていくとわかるはずだ。とりわけ、自分で歌詞を書き始めた最晩年の作品にはその成熟ぶりが顕著だ。生き方がそのまま歌声である偉大なシンガーとして旅立ったのである。

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Shinya Matsuyama
著書に『ピエール・バルーとサラヴァの時代』(青土社刊)、『めかくしプレイ:Blind Jukebox』(ミュージック・マガジン刊)、編・共著に『カン大全~永遠の未来派』(Pヴァイン刊)、『プログレのパースペクティヴ』(ミュージック・マガジン刊)、そのほかムック類多数。葬式では「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を無限リピートで流してもらうつもり。

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Studio Album

奇跡のカップル誕生を祝う、打ち上げ花火。

『ジェーン・バーキン&セルジュ・ゲンズブール』1969年

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セルジュ・ゲンズブール(以下SGと表記)との共同名義でリリースされたジェーンの歌手としてのデビューアルバム。映画『スローガン』で出会ったふたりはたちまち恋におち、戦後フランスのポップカルチャーのアイコン的カップルになってゆくわけだが、その打ち上げ花火が本作だった。全11曲中5曲はSGが、4曲はジェーンがソロで歌い、残り2曲がデュエット曲「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」「69年はエロな年」。特にセックスの実況中継(ジェーンの喘ぎ声入り)とも言うべきシングルカット曲の前者は各国で発売と同時に放送禁止になりながらも売り上げ300万枚超の大ヒットとなり、このカップルの名を一躍世界に広めた。性と生をめぐる至高のアンセムである。

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歌手としても歩み始めた、正式な初ソロ作品。

『雌豹のささやき(ディ・ドゥ・ダー)』1973年

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シャルロットの出産を経て、いよいよ本格的に歌手活動を開始したジェーンのソロ名義による初アルバム。理想のロリータを手に入れ、SGのピグマリオンとしての才能もここから加速的に開花してゆくのだった。「私は彼に歌という短編映画のインスピレーションを与える存在だった」とジェーンが語るように、SGによる全12曲の歌詞はどれもジェーンをモデルにした肖像画のようだ。SGの1971年の傑作アルバム『メロディ・ネルソンの物語』で大活躍した作・編曲家ジャン=クロード・ヴァニエがここでも全12曲をアレンジし、うち4曲では作曲も担当している。「アバンチュール・ヒッチハイク」やシングルカットされた「ディ・ドゥ・ダー」は最期までライブの定番曲だった。

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ロリータ・シンガーとしてのイメージを確立。

『ロリータ・ゴー・ホーム』1975年

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ジェーンのロリータイメージを決定づけたソロ2作目。この後ずっと総監督的立場でSGとジェーンの作品を仕切ることになるフィリップ・ルリショームは本作からプロデューサーとして参加した。SGが準備不足だったため、全11曲中4曲はコール・ポーター「ラヴ・フォー・セール」など英語詞スタンダード曲のカバーだが、ジェーンは自分のカラーで楽しげにこなしている。また歌詞のほうも6曲を映画監督フィリップ・ラブロが書いているが、公衆トイレの卑猥な落書きを写し取った「フレンチ・グラフィティ」のようにいずれもSGぽさが全開だ。この時代ならではのディスコファンク調やレイドバックした音作りを仕切ったのは編曲家ジャン=ピエール・サバール。

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SGとのカップルパワーが全開した初期代表作。

『想い出のロックン・ローラー』1978年

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全12曲の作詞・作曲をSGが担当。ジム・モリソンほか1960年代のロックスターたちの名前がノスタルジックに連呼される「想い出のロックン・ローラー」で始まり、「リップスティック黙示録」「瞑想のロッキング・チェア」、そして日本では約20年後にドラマ主題歌としてヒットした「無造作紳士」などライブでも終生歌い続けた人気曲が多数収録された70年代の代表作。ポップな音作りを仕切ったのはSGの70年代のアルバム群に参加してきた英国の実力派キーボード奏者兼編曲家アラン・ホークショウ。押韻や暗喩などを駆使したSGならではの奇抜な作詞術も冴えまくっている。ロリータシンガーをめぐるSGのビジョンと妄想の総決算とも言っていい作品。

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離別によってさらに絆の強さを確認させた名盤。

『バビロンの妖精』1983年

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ジェーンは1980年にSGと別れたが、ふたりの絆は離別前よりもさらに堅固なものになっていることをこのアルバムは示していた。ピグマリオンに操られるロリータではなく、ひとりの女、ひとりの歌手として歩き始めたジェーンと、それを真正面から受け止めて作家として全力でサポートするSGがここにはいる。「このアルバムの中で私は彼の心の傷を歌ったのです」とジェーンが語った全11曲。すべてSGの手になる歌詞からは、彼の深い悲しみとともに、恩讐を超えた永遠の愛が伝わってくる。メロディの美しさがまぶしすぎる「虹の彼方」や「国際電報」など彼女の全作品中でも屈指の名曲が収録され、翌年にアカデミー・シャルル・クロ大賞(年間最優秀アルバム)に輝いた。

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失われてしまった愛を慈しむ、深いメランコリー。

『ロスト・ソング』1987年

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失われた愛を慈しみ抱きしめているような、深く静かな哀しみに覆われた作品である。そのメランコリーを最もダイレクトに表現しているタイトル曲は、グリーグ「ペール・ギュント」組曲の「ソルヴェイグの歌」にSGが歌詞を付けたものだが、このアイデアのそもそものきっかけは、ジェーンが前年に日本で撮影したテレビCMでこの曲が使われていたことだったという。『ディ・ドゥ・ダー』で歌っていた「流れるままに」と「悲しみの序曲」を1980年代的な新アレンジで再録音したり、14世紀のフランス古謡を下敷きにした「わたしのラ・ムール」があったりと、随所に失われた愛への回顧的視線がにじむ。日本盤には85年にヒットしたシングル曲「コワ」も追加収録。

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SGがジェーンに送った最後のラブレター。

『いつわりの愛』1990年

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生前のSGがジェーンのために書いた最後の10曲を収めたアルバム。「録音が終わった時、これは何かの終わりではないのか......と思いました」とジェーンが予感したとおり、本作リリースの約半年後(1991年3月)にSGは亡くなった。当時のSGはアル中が一段と悪化し、精神的にも自閉の一途を辿っていた。タイトル曲をはじめ多くの歌詞には出口のない孤独と諦念がまとわりついている。「アスファルト」や「32F」などメロディアスな曲が多く、音作りもポップで聴きやすいのだが、作品全体から伝わってくるのは言いようのない寂寥感だ。歌っているジェーンもきっと辛かったはずだ。ジャケットのイラスト(SG筆)に飛び散ったインクの染みはふたりの涙か。

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多彩な編曲と演奏で、SG作品の奥深さを証明。

『追憶のランデヴー』1996年

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1991年のSGの死の翌年にジェーンはライブ盤を出すなど、元夫の作品を歌い継いでいく意志をすぐに表明したが、このスタジオ録音新作が出たのは5年後だった。フランソワーズ・アルディ「さよならが言えない」やブリジット・バルドー「フォード・ムスタング」など自身の持ち歌以外からも幅広く選ばれた全15曲のSG作品集だが、セネガルの打楽器集団ドゥドゥ・ニジャエ・ローズやロマ音楽の旗手であるボスニア=ヘルツェゴヴィナのゴラン・ブレゴヴィッチなど1曲ごとに編曲者や演奏者を替え、さまざまな角度からのアプローチを試みている。伝わってくるのは、普遍性と多様性と遊び心に満ちたSG作品の奥深さを世界にもっと知らしめたいという彼女の思いだ。

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SG以外の作家を起用して、蛹から成虫へ脱皮。

『ラヴ・スロウ・モーション』1998年

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アルバムとしては初めてSG以外の音楽家の楽曲だけで構成された作品。エティエンヌ・ダオ、フランソワーズ・アルディ、アラン・シャンフォー、ミオセック、アラン・スーションほか、実力者たちが参集して彼女の独り立ちを支えている。ジェラール・マンセのドラマティックな「もしすべて間違いだったら」や、フレンチヒップホップ界の人気者MCソラーが提供し、サンクレールがコーラス参加した「ラヴ・スロウ・モーション」などが特に聴かせる。多彩な楽曲を見事に編曲し統一した世界観を作り上げたのはリオやジル・カプランなどの作品で注目されたキーボード奏者フランク・ユルリー。SGに大事に育てられた蛹は遂に羽を生やしてトンボへと変身した。

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世界各国の人気シンガーとのデュエット集。

『ランデ・ヴー』2004年

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前作で確かな手ごたえと自信を得たジェーンが今度はデュエットに挑戦した意欲作。前作で彼女をバックアップしたA・スーション、A・シャンフォー、ミオセック等のフレンチ・シンガー・ソングライターにブライアン・フェリーやカエターノ・ヴェローゾといった海外の大スターたちも加わって、書き下ろした新曲や過去のヒット曲を提供&デュエット歌唱。E・ダオとはブリジット・フォンテーヌ&ジャック・イジュランの1960年代のデュエット曲をカバーし、井上陽水とは「カナリー・カナリー」を英語で妖艶に。女性ではファイストと盟友フランソワーズ・アルディが参加。いずれの曲でもシンガーとしての成長を実感させてくれるのがうれしい。

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ロック系の才人が参集した若々しい力作。

『フィクションズ』2006年

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『ラヴ・スロウ・モーション』からシンガーとしての新しい道を探ってさまざまな試みを続けてきたジェーンがさらに一歩踏み込んだ感がある。何しろ冒頭曲「ホーム」でいきなり切れのいいロックギターが鳴り響き、びっくり。弾いているのはザ・スミスのジョニー・マーで、彼は全12曲中5曲でギターを弾き、1曲ではハーモニカまで担当するという活躍。ルーファス・ウェインライトやアルチュール・H、ディヴァイン・コメディのニール・ハノン等々、本作でも内外の才人たちが曲を書き下ろし、またトム・ウェイツやケイト・ブッシュなどのカバーもやっている。しかもその多くが英語詞だ。従来の彼女のイメージから最も遠くまで来た、しかし清新で力強い作品。

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全曲の作詞を自ら手がけた人生の回想録。

『冬の子供たち』2008年

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新作を出すごとに驚かせてくれるジェーンだが、今回はなんと全14曲の歌詞を自分で書いているのだった。過去にも作詞の経験はちょっとだけあったが、アルバム一枚丸ごと全作詞というのは初。政治的プロテストソング「アウンサンスーチー」以外は、幼少期から青春時代、そして中年期における自身の人生を回想した言葉が連なる極めてプライベートな内容だ。生楽器中心のしっとりとしたインティメイトな音作りを編曲兼プロデュースをしたのはE・ダオなどの作品で手腕が注目されていた元レ・ヴァランタンの女性ギタリスト、エディット・ファンブエナ。演奏者も女性が多く、女同士の密かな打ち明け話といった趣がある。ジャケットの少女は10才のジェーンである。

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大オーケストラを従えた壮麗なSG作品集。

『シンフォニック・バーキン&ゲンズブール』2017年

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久しぶりのSG作品集、しかも全曲オーケストラをバックにして歌うという大型企画。彼女はこの数年前から「ようやくSG作品を気負いなく冷静な気持ちで歌えるようになった」と語っていたが、だからこそ実現した作品でもあろう。オケ編曲を担当したのは、東日本大震災の支援活動の一環である〈VIA JAPAN〉プロジェクトで知り合った作・編曲家兼ピアニストの中島ノブユキ。ユダヤ系ロシア人の子というSGの血を念頭に「ラフマニノフやショスタコーヴィチ、マーラーなどの楽譜をあらためて研究し直した」という中島の編曲は壮麗にしてメランコリック。ジェーンのボーカルを引き立てる術も巧みだ。「セルジュが生きていたらきっと泣いたと思う」とはジェーンの弁。

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人生の私小説的決算報告書としての白鳥の歌。

『Oh! Pardon tu dormais...』2020年

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オリジナルアルバムとしては『冬の子供たち』以来12年ぶりにして、ジェーン最期の作品。当初は、1992年に自身が脚本を書き監督した同名テレビドラマと舞台をミュージカル仕立てにした作品を考えていたが、途中からジェーンの歌詞は徐々に軌道からはみだして人生のさまざまな出来事にフォーカスしていった。2013年に亡くなった長女ケイトや最初の夫ジョン・バリー、自身の病、家族との素晴らしい思い出などが赤裸々に綴られてゆく。『冬の子供たち』も回顧的だったが、本作はもっと生々しい。才能ある男たちの妻として、3人の娘の母として、そしてひとりの女の人生の私小説的決算報告書、あるいは遺言状。作曲と音作りのほとんどを手がけたのはE・ダオとジャン=ルイ・ピエロ。

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Live Album

それは「とにかく、やってみます...」から始まった。

お世辞にも歌唱力が高いとは言えないジェーンだが、意外にも8枚のライブアルバムを残している。しかもそのうち6作(1〜4、6、8)は2枚組。生前「SG作品の素晴らしさをひとりでも多くの人に知ってもらいたい」とよく語っていたが、SGワールドの伝道師を自ら任じてステージでも奮闘し続けたのだと思う。『ロスト・ソング』発売直後の初ステージ(告知ポスターのコピーは「とにかく、やってみます...」)を収めたのがバタクラン劇場の1

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1.『ジェーン・バーキン・ファースト・ライヴ』(写真はレコード盤)1987年

SG死去の翌年、伝道師としての決意も新たなステージがカジノ・ドゥ・パリの2

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2.『さよならを云うために...~ジェーン・B・ライヴ・アンコール』1992年

ジャン=クロード・ヴァニエの指揮下で随所に新アレンジを施したオランピア劇場の3

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3.『Concert intégral à l'Olympia』1996年 

大好きな日本(渋谷Bunkamuraオーチャードホール)での4

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4.『コンサート・イン・ジャパン』2000年

パラス劇場の5では前年の『冬の子供たち』に参加したエディット・ファンブエナ以下、チェロやコントラバスなど生楽器奏者が大活躍。

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5.『ライヴ・アット・パラス』2009年

パリ郊外モンルージュでの6は、タイトルどおり最期のスタジオ盤『Oh! Pa rdon tu dormais...』のお披露目ライブ(2022年3月)だが、『メロディ・ネルソンの物語』の曲を多数披露しているのがファンにはうれしい驚き。2CD+DVDで死後の23年11月にリリース。

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6.『Oh! Pardon tu dormais...Le Live』 2023年

そして、とりわけ重要なのが78だろう。

7はSG作品をアラビックな編曲で歌うプロジェクトのライブ(オデオン座)で、アルジェリア系バイオリン奏者ジャメル・ベニイェルス以下アラブ系音楽家たちが古典弦楽器のウードや太鼓の一種ダルブッカなどでバッキング。冒頭の「エリザ」から微分音で妖しくうねりまくるサウンドが実にエキゾティック。

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7.『アラベスク』2002年

このプロジェクトは大評判になり、日本を含む世界各地で公演が行われた。生前のジェーンは「歌手としてのキャリアの中で最も重要でお気に入りの一枚」としばしば語っていた。

8は東日本大震災の支援活動の一環で誕生した〈VIA JAPAN〉プロジェクトの貴重な記録。

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8.『Jane Birkin Sings Serge Gainsbourg Via Japan』2012年

ジェーンは震災後すぐに来日しチャリティコンサートを行ったが、その時にバックを務めた中島ノブユキ(キーボード)、金子飛鳥(バイオリン)、坂口修一郎(トランペット/トロンボーン)、栗原務(ドラム)とそのままライブユニットを結成し、世界中をツアーした。本作は韓国での音源。彼女の自主制作/発売なので入手困難だが、Spotifyでは聴ける。日本への愛と涙の記憶。

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Sound Track

ジェーンとセルジュのねじれた愛の結晶。

『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』1976年

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ジェーンとSGは互いにインスピレーションを与え合い、それぞれがたくさんの素晴らしい作品を残したが、ふたりの才能と魅力が相乗した最高傑作は何かと問われれば、迷うことなく映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』と答える。同名ヒット曲を基にSGが脚本・監督・音楽を担当したこの作品は、公開時は「下劣で不快」などとメディアでさんざん酷評された。しかしこれこそは、人間感情の複雑さ、世界の不条理、そして愛のねじれを見つめ続けたSGの美学の結晶であり、幸福と不幸の狭間を漂い続けたジェーン&SGの人生そのものであった。荒涼たるゴミ捨て場のダンプカーの荷台でホモの恋人にアナルセックスさせるシーンは、ジェーンの人生最大の勲章である。歌はまったく入ってないインスト集サントラ盤だが、ジェーンは確かにここにいる。

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▶︎ジェーン・バーキン、永遠のファッションアイコンの魅力を紐解く。

*「フィガロジャポン」2024年3月号より抜粋

photography: John Chan text: Shinya Matsuyama

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