我が愛しのジェーン・バーキン 年表で振り返る、ジェーン・バーキンの人生。
Culture 2024.06.10
パリジェンヌスタイルのファッションアイコンだったジェーン・バーキン。家族との関係や、数々の恋愛、映画や舞台の出演や音楽作品、社会貢献活動など......彼女の波瀾万丈な歴史を年表で振り返ろう。
ジェーン・バーキン年表
1960年代
劇作家ノエル・カワードのミューズだったという女優の母とジェーン。©Photoshot/Avalon/amanaimages
1946年 12月14日、英国海軍の士官である父デヴィッド・バーキンと、30〜40年代にかけて歌手やミュージック・ホールのスターとして活躍した母ジュディ・キャンベルのもと長女として英国ロンドンに生まれる。兄妹に、アンドリュー・バーキン(1945〜)と、リンダ・メアリー・デボラ・バーキン(1950〜)。
1963年 初舞台となるグレアム・グリーンの戯曲『彫像』出演。
1964年 ミュージカル『パッション・フラワー・ホテル』出演。
1965年 『ナック』で映画デビュー。英国ヨーク出身の作曲家ジョン・バリー(1933〜2011)と結婚。
ロンドンのチェルシー登記所で18歳のジェーンと30歳のジョン・バリーが極秘結婚。
1966年 映画『カレードマン大胆不敵』出演。映画『欲望』でデヴィッド・ヘミングスと共演。ヘアヌードがスキャンダルに。
俳優デヴィッド・ヘミングスと映画『欲望』の撮影にて。©Getty Images
20歳〜
1967年 長女ケイトを出産。
1967年4月8日、ロンドンで生まれたケイト・バリー。©Shutterstock/Aflo
1968年 ジョン・バリーと離婚。渡仏。映画『スローガン』でパリ生まれのセルジュ・ゲンズブール(1928〜91)と出会い、交際スタート。セルジュは不倫関係だったブリジット・バルドーのために作詞作曲した「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を彼女の夫を恐れてリリース中止。映画『ワンダーウォール』主演。
映画『スローガン』の撮影現場にて、ジェーンとセルジュ。©Getty Images
1969年 映画『カトマンズの恋人』『ガラスの墓標』『太陽が知っている』に出演。アルバム『ジェーン・バーキン&セルジュ・ゲンズブール』で歌手としてデビュー。アルバム内の1曲「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」は歌詞の過激な性描写によって一部の人から反感を買うが、大ヒット。
©Alamy/amanaimages
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1970年代
セルジュとの娘、シャルロット・ゲンズブールが1971年7月21日に誕生し、4人家族に。©Alamy/amanaimages
1971年 セルジュのアルバム『メロディ・ネルソンの物語』に参加し、ジャケット写真に上半身裸のジーンズ姿で登場。次女シャルロットを妊娠中にセルジュと初来日。7月に出産、事実婚状態に。
撮影当時すでに妊娠していたという『メロディ・ネルソンの物語』のジャケット。photography: Satoru Morimizu (stuh)
1972年 ボビニー中絶裁判にてデモに参加。
1973年 映画『ジェーン・バーキン in ヴェルヴェットの森』『ドンファン』『マドモアゼル à GO GO』出演。アルバム『雌豹のささやき(ディ・ドゥ・ダー)』発売。
1974年 映画『まじめに愛して』『おかしなおかしな高校教師』出演。
1975年 アルバム『ロリータ・ゴー・ホーム』発売。映画『冒険喜劇 大出世』『麗しのカトリーヌ』出演。
1976年 映画『スキャンダル』『仮面/死の処方箋』『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』出演。 サントラアルバム『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』発売。
ジェーン主演、監督・脚本・音楽をセルジュが務めた映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』©Capital Pictures/amanaimages
30歳〜
1977年 映画『ムッシュとマドモアゼル』出演。
1978年 映画『ナイル殺人事件』出演。アルバム『想い出のロックン・ローラー』発売。
1979年 映画『メランコリー・ベビー』出演。
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1980年代
1981年12月、パリのナイトクラブ、レジーヌで過ごしたジェーンとジャック・ドワイヨン。©︎Gamma Rapho/Aflo
1980年 パリ出身の映画監督ジャック・ドワイヨン(1944〜)と出会う。映画『エゴン・シーレ/愛欲と陶酔の日々』出演。
1981年 セルジュと暮らしたヴェルヌイユ通りの家を出る。映画『放蕩娘』出演。
1982年 ジャック・ドワイヨンとの間に三女ルーが誕生。映画『地中海殺人事件』出演。
1982年の『ル・フィガロ マガジン』のカバーにジェーンが登場。
1983年 アルバム『バビロンの妖精』発売、ACCディスク大賞を受賞。映画『愛しのエレーヌ/ルルーとペリシエの事件簿』出演。
1984年 エルメス会長のジャン=ルイ・デュマと出会い「バーキン」誕生。映画『ラ・ピラート』で翌年セザール賞の主演女優賞にノミネート。映画『ベートーヴェンの甥』『地に堕ちた愛』出演。
1984年のカンヌ国際映画祭にて『ラ・ピラート』のプレゼンテーションを行うジェーンとジャック・ドワイヨン。©︎Best Image/Aflo
1985年 舞台『贋の侍女』、映画『熱砂の情事』『孤独な果実』出演。
1986年 映画『悲しみのヴァイオリン』出演。
1986年4月にドーヴィルで撮影された、3歳のルー・ドワイヨンとジェーン。©︎Best Image/Aflo
40歳〜
1987年 映画『右側に気をつけろ』『カンフー・マスター!』『アニエス v. によるジェーン b. 』『ふたりだけの舞台』出演。アルバム『ロスト・ソング』発売。パリのバタクラン劇場で初のコンサートを行い、アルバム『ジェーン・バーキン・ファースト・ライヴ』発売。
アニエス・ヴァルダ監督(右)と『アニエスv.によるジェーンb.』の撮影現場にて。©︎Best Image/Aflo
1987年2月27日に行われたバタクラン劇場でのコンサート風景。©︎Getty Images
1988年 映画『フォース・オブ・ラブ』出演。
1989年 日本で初ライブ開催。
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1990年代
エイズ撲滅キャンペーンのイベントで「愛のバラード」を歌った。左からシャルロット、ジェーン、ケイト。©︎Getty Images
1990年 映画『ダディ・ノスタルジー』出演。アルバム『いつわりの愛』発売。
『ダディ・ノスタルジー』撮影風景。左からダーク・ボガード、ベルトラン・タヴェルニエ監督、ジェーン。©︎Photofest/Aflo
1991年 セルジュ・ゲンズブール死去、カジノ・ドゥ・パリで追悼ライブ開催。父デヴィッド・バーキン死去。映画『美しき諍い女』出演。
1992年 ジャック・ドワイヨンと破局。アルバム『さよならを云うために...ジェーン・B・ライヴ・アンコール』発売。ジョン・バリーとの関係を描いた初の監督映画『Oh! Pardon tu dormais...』を手がける。エイズ撲滅キャンペーンのイベントに娘ふたりと参加。
1993年 ジャン=クロード・カリエール戯曲『L'Aide-mémoire』出演。
1994年 ロンドンのサヴォイ劇場でチャリティ・ガラ・コンサート「セルジュ・ゲンズブール・トリビュート」に出演。映画『百一夜』出演。
1995年 旧ユーゴスラヴィア内戦時にサラエボへ行く。そこで出会った作家のオリヴィエ・ロラン(1947〜)と恋仲に。
1996年 アルバム『追憶のランデヴー』を発売し、パリのオランピア劇場にてコンサート「JANE」を開催。後にアルバム『Concert intégral à l'Olympia』も発表。サラエボで人道支援活動を行う。
50歳〜
1997年 映画『恋するシャンソン』出演。
1998年 初めてセルジュ以外の曲を歌ったアルバム『ラヴ・スロウ・モーション』を発表。名だたるアーティストがジェーンのために曲を提供し、話題となる。映画『シャンヌのパリ、そしてアメリカ』出演。
1999年 『Oh! Pardon tu dormais...』を自ら脚本を手がけて舞台化。アルバム『ア・ラ・レジェール』発売。TBSドラマ「美しい人」で『想い出のロックン・ローラー』収録の「無造作紳士」が主題歌として使用され、この曲を収録したアルバム『ベスト』が日本で大ヒットを記録。マルタン・マルジェラによるエルメス2000年春夏コレクションでランウェイを歩く。
2000年 アルバム『コンサート・イン・ジャパン』発売。ジェーンが初めてフランス語で歌詞を書いた「インパーフェクト」を収録した『ベスト・アンコール』が日本のみで発売、来日公演を全国5都市で行う。
2001年 映画『これが私の肉体』出演。
2002年 アルバム『アラベスク』発売。ル・ペンと国民戦線に反対するデモに参加。
2003年 ドキュメンタリー『ジェーン・バーキン マザー・オブ・ オール・ベイブス』製作。アムネスティ・インターナショナルを支援。
2004年 アルバム『ランデ・ヴー』で、井上陽水と「カナリー・カナリー」をデュエット。母ジュディ・キャンベル死去。
2004年、最後の恋人オリヴィエ・ロランと。©︎Aflo
2006年 ロシア人ジャーナリスト殺害事件の追悼集会に参加。アルバム『フィクションズ』発売。
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2000年代
2007年、ミャンマーの民主化運動の援助を求め、パリのエリゼ宮でビルマ亡命政府のセイン・ウィン(ジェーン隣)とジェーンと会談するニコラ・サルコジ仏・大統領(左手前)。©︎代表撮影/AP/Aflo
60歳〜
2007年 自らが脚本・監督を務めた映画『Boxes』公開。来日してカルティエのチャリティパーティに参加。ミャンマーの民主化運動の援助、石油企業トタルの撤退呼びかけのため仏大統領サルコジと面会。ミャンマー軍事政権に対するデモ参加。アウン・サン・スー・チー解放活動に取り組む(〜09年)。アムネスティの抗議行動に参加。台湾地震の犠牲者支援のため、初代「バーキン」をオークションにかける。
2008年 初めて全曲の詞を書いたアルバム『冬の子供たち』発売。「ファイト・エイズ・モンテカルロ・ガラ」でパフォーマンス。北京五輪開催反対抗議デモに参加。映画『アニエスの浜辺』出演。
2009年 映画『ジェーン・バーキンのサーカス・ストーリー』出演。アルバム『ライヴ・アット・パラス』発売。超党派国会議員との会合に出席。ミャンマー民主化について記者会見開催。
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2010年代
2010年 東京で行われたフランス映画祭の団長として来日。移民問題に関してサルコジ政権に反対する署名運動に参加。ハイチチャリティコンサート開催。タイとビルマの国境沿いで難民キャンプ、亡命ビルマ人僧侶の訪問。イラン人女性の石打死刑判決反対集会に出席。映画『テルマ, ルイーズ・エ・シャンタル』出演。
2011年 東日本大震災の1カ月後に来日し、チャリティコンサートを行う。その復興支援を目的にした「Jane Birkin Sings Serge Gainsbourg "VIA JAPAN"」ワールドツアー(~13年)。11月、来日公演に合わせてガブリエル・クロフォードによるジェーン・バーキン写真展を開催。映画『ノーコメント by ゲンスブール』出演。劇作家ワジディ・ムアワッドと出会い、朗読コンサートを行う。
2012年 アルバム『Jane Birkin Sings Serge Gainsbourg Via Japan』発売。東日本大震災の追悼式典参加。心膜炎で入院。映画『ある愛へと続く旅』出演。
東日本大震災で被災した南三陸の復興のため、2012年に村上香住子が設立したアマプロジェクトに賛同し、16年には手描きのイラストTシャツを提供(写真は18年)。
2013年 映画『ヘウォンの恋愛日記』出演。在仏日本大使から復興支援に対する外務大臣表彰を受ける。長女ケイトが自宅の窓から転落して死去。体調悪化。
2014年 イスラム過激派に対する抗議デモに参加。
2015年 政治難民の受け入れのデモ参加。
2016年 映画『彼女とTGV』出演。 カナダ・モントリオールでオーケストラをバックに公演。 ワールドツアーに発展する。
70歳〜
2017年 アルバム『シンフォニック・バーキン&ゲンズブール』発売。娘シャルロットとともに来日。1日限定コンサートを渋谷Bunkamuraのオーチャードホールで開く。
2018年 旭日小綬章を受賞。
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2020年代
ジェーンの葬儀にて、棺を見守る娘シャルロット(右)とルー(左)。©REX/Aflo
2020年 アルバム『Oh! Pardon tu dormais...』発売。
2021年 ドキュメンタリー映画『ジェーンとシャルロット』出演。
2023年 アルバム『Oh! Pardon tu dormais...Le Live』発売。7月16日、自宅で死去。享年76歳。
※以上編集部調べ
supervision & coordination: Kasumiko Murakami