我が愛しの、ジェーン・バーキン ともに作る、奏でる、歌う。アーティストの音楽論。【中島ノブユキ】
Culture 2024.06.17
ジェーンの歌声や表現に魅了された、同じ音楽に関わるアーティストたちは、特に何を聴き、彼女の姿をどう見ていたのか? その影響は永遠に──。
中島ノブユキ
作曲家・編曲家・ピアニスト
パブリックイメージとは異なる、歌う姿勢。
中島のアレンジで、セルジュ・ゲンズブールの楽曲をオーケストラでカバーした「シンフォニック・バーキン&ゲンズブール」。初演は2016年6月、カナダのモントリオール。
2011年の東日本大震災チャリティコンサート本番前日、会場の渋谷クラブクアトロでメンバーとリハーサルをしていると、ジェーンがふらっと現れました。「パリからマカロン持ってきたわよー」とみんなに配り始めて、その屈託のなさに、緊張感のあった会場はあっという間に和やかな空気になってしまった。1回フワッと歌って「素晴らしいわ!」と言い残して"風のように"去っていきました。
この出会いが日本人ミュージシャン4人との世界ツアー〈VIA JAPAN〉に発展し、私は約80公演すべてに音楽監督・ピアニストとして参加。16年には「ジェーンがオーケストラをバックに歌う」という企画がもたらされ、再び音楽監督・編曲・ピアノを担当することに。これも世界ツアーに発展し、70公演以上行いました。
そして17年、私はパリに移住します。ジェーンから直接「パリに住んだら?」と言われたわけではないのですが(彼女は人に多大な影響を与えるけれど、人をそそのかすようなことは決してしません)、それはとても自然なことに思えました。
ジェーンのアイコニックな「ハイトーンボイス」「囁くような吐息と喋るような歌」......これはいくつかの楽曲、たとえば「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」のような曲で特徴的に聴かれるものですが、このイメージを取り去って聴くと、彼女の歌の本質は「純粋に美しいメロディを素直に歌おうとしている」ということに気付きます。
彼女が歌い継いできたセルジュのメロディは、実はとても器楽的で歌いやすいわけではない。その難しい曲をどう歌うのがよいか常に腐心し、絶えず探求していました。
どの会場でも大合唱になる「ラ・ジャヴァネーズ」、美しいメロディと歌詞を切々と歌う「虹の彼方」、弾けて歌う「コミック・ストリップ」、セルジュが最後にジェーンのために書いた「いつわりの愛」......本当にどの曲もジェーンだけにしかない歌の世界があります。
いまでもふと思い出すのは「別離の唄」です。原曲は1980年代シンセサウンドのいわゆるフレンチポップな楽曲ですが、オーケストラバージョンでは「切実な告白文」を呟くように歌える編曲にしました。長いバイオリンの間奏、長い長いオーケストラだけの後奏があるのですが、ステージではゆっくりと歩き、ふと足を止め、忘却の彼方に何かを見つけたかのように前を見据え、俯きます。どこか「虚」と「実」の間を彷徨うように......。
家が近所同士だったのでよく家を行き来し、会えば「あの時のコンサートは」「あの街にいたあの人覚えてる?」といった話に花が咲き、よく笑いました。ジェーンの眠っている墓地も歩いて行ける距離です。「あの時の......」とまた話しに行こう。
録音スタジオで。
ワールドツアーで香港にて。
大河ドラマ「八重の桜」や映画『人間失格』などの音楽を担当。2017年に渡仏し、ジェーンのコンサートの音楽監督ほか、テレビ番組「Ronan-Jim Sévellec par JANE BIRKIN」の音楽も担当。24年、シャルル・アズナヴール生誕100年記念作品で世界ツアー予定。@nakajima_nob
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*「フィガロジャポン」2024年3月号より抜粋