和久本みさ子さんのこと。
編集KIMです。
先月の11月7日、フィガロジャポンにもたくさんの素晴らしい
原稿を書いてくださった映画評論家の和久本みさ子さんが亡くなりました。
71歳。
71歳というと、老齢のように思う人が多いかもしれないけれど、
和久本さんは、「老い」なんて言葉はまったく似合わない女性だった。
笑うときは少女のようだったし、癌という重い病を患いながら
それを微塵も感じさせなかったのです。
意地を張って感じさせないようにしていたのではなく、
あまりにもナチュラルに感じさせない、
KIMにとっては、そんな印象です。
和久本さんは、ご本人が書く文章と同じように、美しくて、刺激的で、
ミステリアスな女性でしたからね。
「仕事関係の方々にはぜったい内緒にね」
その言葉を、しっかりと守ってきた息子さん。
葬儀には参列できなかったけれど、「和久本さんを送る会」を
開けば、敬愛する多くの人々が集まって思い出話ができる、
と、配給会社ムヴィオラさんとフィガロジャポンで、
12月15日、送る会を開催しました。
息子さんがお骨や位牌まで持ってきてくださいました。「母がいちばんみなさんに会いたいと強く感じていると思います」。その言葉がほんとうにうれしかった。赤い口紅が似合う女性だったから、赤い花を飾りました。花屋ル・ヴェスベさんにお願いしました。
フィガロジャポンに掲載された和久本さんの原稿による記事を、抜粋して文集を手作りしました。200ページにもなったのに、これでも3分の1くらいの分量です。
デジタル編集KYが、切り絵がアーティスト並みの腕前なのですが、彼女も故人を慕っていて、切り絵でインビテーションボードを作ってくれました。
会場は、Bunkamuraのドゥマゴにて。Bunkamuraは、ル・シネマという映画館で、和久本さんが愛していたクシシュトフ・キェシロフスキ特集が上映されたり、思い出深い場所です。そして、このカフェで数々の名原稿を生み出すための打ち合わせを行ったに違いない、と思い、ドゥマゴにお世話になりました。
映画宣伝や配給の方々が、和久本さんの原稿が掲載された映画のパンフレット、新潮社の『旅』誌の方々も原稿をパネルにして持ってきてくれました。和久本みさ子という人が、どんなに深く大きくアート系の映画に貢献してくれていたか、この写真を見るとわかります。
こんなに素晴らしい執筆者と、
たくさんの時間を過ごせたことを心から感謝しています。
縁や運や、ほかにもたくさんの偶然がなければ
めぐり合えなかったと思います。
和久本さん、ほんとうにありがとうございました。
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