女性のために歌う、パトリシア・カースの新作
madamefigaro.jpに次々とアップされるパリの記事を見ていると、久しく行っていないパリが恋しくなる。フランスの国民的シンガー、パトリシア・カースが13年ぶりに発表したオリジナル・アルバムを聴いているせいもあるかもしれない。
パトリシアはヌーヴェル・シャンソンの歌い手として、20歳の時に「マドモアゼル・シャントゥ・ブルース」(1987年)で一世を風靡した。圧倒的な歌唱力でフランスの音楽賞を独占したものの、当時ヴァネッサ・パラディが歌手デビューし、所属していたレコード会社が自分よりヴァネッサを大プッシュしていたことに嫌気が差し、すぐに他社へ移籍。このニュースも話題になった。
現在のパトリシア・カース
こう書くと気が強い女性に思われそうだが、当時会ってみると、人見知りが激しく、取材中の声も呟くように小さい。華奢な体つきから繊細であることはすぐにわかった。謙虚な性格は、“エディット・ピアフの再来”と言われ、周囲からピアフのカヴァー・アルバムを出すことを勧められたが、「自分の歌に自信はないし、歌うのに見合う人生経験も未熟だから」と断り続けてきたことからも察せられる。実際に『カース・シャントゥ・ピアフ』(2012年)をリリースしたのは、2013年のピアフの没後50周年に向けたタイミングだった。当然ながらこのツアーは大盛況で、日本でも2014年、15年と2年連続でコンサートが開催された。
彼女の人気は世界規模だ。フランス語圏など関係なく、ヨーロッパはもとより、アメリカやロシア、中国などでも高い人気を誇る。前回のオリジナル・アルバム『Sexe Forte』(2003年)は45カ国で発売され、165日間に及ぶワールド・ツアーを行なった。アルバムを出してない時も、世界各地で常に歌ってきた。その一方で自身のアルバムをしばらく作らなかったのは、ツアーに出ている間は両親や兄、愛犬を亡くした悲しみを忘れることができたが、自分と向き合う作業は辛くてできなかったからだそうだ。とても納得する。
最新アルバム『パトリシア・カース』
さて、一般的に自身の名前をアルバム・タイトルに付けた作品は、決意新たにした自信作である場合が多い。このアルバム『パトリシア・カース』ではソングライターを一新していて、デズリーからガブリエル・アプリンまでを手掛けているジョナサン・クワンビーと、ジョン・レジェンドやバンクス、故エイミー・ワインハウスなどと共作してきたフィンク(フィン・グリーンオール)という2人のイギリス人が担当。シャンソンを意識していない曲のせいか、逆にパトリシアの歌の個性が際立っているのがいい。パトリシアは子供の頃は母親の母国語であるドイツ語の方が得意だったそうで、またブルースが好きだったこともあり、耳に残る母音のアクセントの強さは母親譲りなのかな、と思う。そして言葉がわからなくても、それ以上に伝わってくる情感が彼女の歌には溢れている。
アルバムのオープニングは映画『アデル、ブルーは熱い色』に触発されたと思われる「アデル」。アルバムのアートワークには“アデルのように、女性が他の人たちよりも戦うべきものが倍ほどある世界に、私は生きています。(略)”といったメッセージが記され、歌の内容もDVやパワハラを扱ったものや、女性賛歌、ラヴソングなどが含まれ、アルバム全体が女性をテーマにしているようだ。イギリスの歌手アデルが歌いそうなバラードや、同じくイギリスのバンドのフォールズを想起させる音使いもあり、それぞれの曲で詩篇を味わうように堪能できる。
2年前の来日時も、歌のうまさも身体の線の細さも変わっていなかったが、デビュー当時からのマネージャーも未だに変わっていないことが嬉しく、そこに彼女の情の深さを感じた。パトリシア・カースの深みのある歌声が好きだ。
1993年頃に私がパリで撮影した写真。他の方が書いた記事に掲載されていたのを、先週、偶然発見した。
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