【独占インタビュー】名コーチが語る、羽生結弦五輪3連覇の可能性。

Culture 2022.02.08

From Newsweek Japan

文/スーザン・ラッセル(インターナショナル・フィギュアスケーティング誌発行人)

羽生結弦が4回転アクセルにかける思い、彼の強靭なメンタルの秘訣について10年来の師が語った。

inta220205-orser-thumb-720xauto-360380.jpeg多くの一流選手を育てたオーサー(写真右)にとっても羽生は別格の存在。(2017年10月)photo: Alevander Fedorov-REUTERS

ついに開幕した北京冬季オリンピックで五輪3連覇を目指す男子フィギュアスケートの羽生結弦選手。世界の頂点に立ち続けてきた彼を2012年から指導してきたのが、カナダ人コーチのブライアン・オーサーだ。

多くの一流選手を育てたオーサーにとっても、羽生は別格の存在。ふたりの出会いから北京での金メダルの可能性まで、インターナショナル・フィギュアスケーティング誌発行人のスーザン・ラッセルが話を聞いた(インタビューは1月26日、カナダ・トロントで電話で行われた)。
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──指導を始めた当初から羽生に特別なものを感じていた?

実はそれ以前から、彼には特別な何かがあると気付いていた。世界選手権初出場となったフランス・ニース大会(12年)で、彼は3位に入った。見事なフリープログラム(「ロミオとジュリエット」)で、まさに「羽生らしさ」が全開だった。若くて、才能豊かで、生き生きとしていて──どれも教えられるものではない。

──どういう経緯でコーチを務めることになったのか?

(12年4月に)世界フィギュアスケート国別対抗戦のために日本を訪れた際、会合が設定されていた。私には事情がさっぱり分からなかったが、空港で出迎えられて都内のレストランに連れていかれた。部屋に入るとユヅルがいたんだ。すごく驚いた。彼は素晴らしいシーズンを終えたばかりだったから。通訳を介して「なぜこんなことを?」と尋ねたら、彼は私のチームとハビエル・フェルナンデスと一緒に練習がしたいと言った。私は「OK、なるほどね」と。

トロント(カナダ)に来た当初の彼は粗削りだが、生まれつきの才能があった。それをうまく操れるようにする必要があった。私たちは彼のエネルギーを奪うのではなく、手なずけてコントロールしたかった。彼は自由な精神の持ち主だが、ひとたびその才能を生かせるようにしてあげたら、すぐにすべてがうまく回り始めた。

──羽生がカナダに来た当初のジャンプのレパートリーは? その後はどう進化した?

初めはトリプルアクセルと4回転トウループができたが、その後なんでも飛べるようになった。彼にとって本当に大切なジャンプになった4回転サルコー、4回転ループ、4回転ルッツ。フリー後半での4回転トウ。フリー後半の4回転トウが2回になり、さらに(15年には)ショートプログラムでも4回転を2回飛べるようになった。あれは画期的だった。いまでは、トップスケーターたちがショートプログラムで4回転を2回飛ぶのは当たり前になった。

──羽生は多彩な4回転を取り入れたプログラムで男子フィギュアスケートを新たな次元に引き上げた。

その通りだ。彼は大きなリスクを取ることを恐れない。いつも期待通りにいくわけではないが、常にリンクに出て挑戦せずにはいられなかった。ユヅルはいつだって即興の天才だった。それに数学の魔術師だ。プログラム冒頭でうまくいかないことがあると、その後のどこにコンビネーションジャンプを加えればいいか計算できる。彼は足で考えるんだ。

私はリンクを眺めながら「このプログラムは何だ? どうなっているんだ?」と思ったこともある。でも、得点が表示されると理解できる。

──約2年前に羽生が日本に戻ってからも連絡を取ってきた?

ああ、(昨年12月の)全日本選手権の前には、かなり頻繁に映像を受け取っていた。それを評価して、私の考えを送り返した。練習中の映像で、ほかの選手に邪魔をされて少し不安そうな様子が見えたことがあり、その時は呼吸について彼と話をした。技術面でのフィードバックだけでなく、心構えや知恵のようなアドバイスもした。

──羽生は平昌五輪前の17年11月、けがでグランプリシリーズNHK杯を欠場した。昨年11月に同NHK杯とロシア大会を欠場したとき、4年前の再現だと感じた?

まさに。100%そう思った。気の毒だったが、彼なら乗り越えられることも分かっていた。全日本選手権まで時間がなかったし、日本には素晴らしいスケーターが何人かいるなかで、ユヅルは自分の席を勝ち取らなければならなかった。

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──彼のキャリアのターニングポイントとなった瞬間は?

(14年のソチ五輪で)初めてオリンピックチャンピオンになり、彼は大きく飛躍した。自信を深め、それを機に自分の行動に責任を持ち始めた――日々の練習も、どんな音楽に乗って滑るかも、そして誰がプログラムの振り付けをするかについても。そのための手段と自信を彼に与えることができて、私たちは光栄だ。

いまの彼もまさにそうだ。自分なりのルーティンがあり、すべて自分ひとりで行い、技術面、感情面、心理面まであらゆることを自分でコントロールしている。彼は人に教わる必要はない。多くの物事を自分自身で成し遂げ、それが彼にさらなる力を与えている。

──羽生の強靭なメンタルの秘訣は?

分からない。謎だ。彼は自分と自分の本能を信じていて、やる気に満ちている――4回転アクセルの成功であれ、3度目のオリンピック金メダルであれ。常に進化し、ハードルを上げ続けている。

27歳にしてブレない軸があること、全日本でのあの滑り......。彼のメンタルの強さが分かるだろう。

──羽生はあなたにとって特別な教え子?

そうだ。彼のような選手は教えたことがないし、二度と教えることもないだろう。ユヅは私にとって最も長年の教え子。10年間一緒にやってきて、本当に多くのことを経験してきた。怪我も、傷つく出来事も、勝利も、新型コロナも。

――羽生に最も影響を与えたアドバイスは何だと思うか?

私は常に、心を込めてスケートをすることを話してきた。頭で考えて賢く滑り、でも同時に情熱をもって滑る。そのバランスを見つけることだ。

──彼の業績の中で最も忘れがたいのは?

(平昌での)五輪二連覇だと思う。彼はひどい怪我をしていて、小さな一歩を積み重ねてあの次元にたどり着いた。ショートもフリーも素晴らしかった。あの時が一いちばん心に残っている。

──誰かが4回転アクセルに挑む日が来ると思っていた?

自分が生きているうちに見られると思っていた。4回転の競争が始まって、あとは時間の問題だった。誰かがやるとすれば、それはユヅルだ。彼は目標を定めたら、成功するまで挑み続ける。健康でさえあれば成し遂げられるはずだ。

──北京五輪で羽生は金メダルを取れるだろうか?

全日本のような滑りができれば十分に勝てると思う。今回が彼にとって最高の五輪になる可能性はある。

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text: Susan Russell

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