フレディ・マーキュリーの生涯の恋人、メアリー・オースティン。

Culture 2018.12.20

現在、世界中で大ヒットを記録している映画『ボヘミアン・ラプソディ』。クイーンのフロントマン、フレディ・マーキュリーの半生を追うこの映画でもスポットライトを当てられているのが、メアリー・オースティンという女性だ。固い絆で結ばれたフレディとメアリーの物語を紹介する。

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メアリー・オースティンは、いまは亡きクイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーの生涯の恋人だった。(イギリス・ロンドン、1970年1月)photo:Getty Images

「どうして自分はメアリーの代わりになれないんだって、僕の恋人たちはみんな僕に聞いてきた。そう言われてもね……。ただ単に、無理なものは無理なんだ」とフレディ・マーキュリーは1985年、『ニューヨーク・ポスト』紙で語っている。『ボヘミアン・ラプソディ』ではイギリス人女優ルーシー・ボイントンが、そのフレディの生涯の恋人、メアリー役を演じている。イギリスの古着屋での最初の出会いから、ロックスターの最後の日々まで、彼女は「Don’t Stop Me Now」を歌ったシンガーに誠実な愛を貫き通した。

1969年。19歳のメアリーは「ビバ」という人気ブランドのショップで働いていた。店の通路の角で、彼女は初めてその男と視線を交わす。アメリカ版『ヴァニティ・フェア』誌のインタビューで、彼女はその時の男の印象を「野性的な雰囲気のアーティスト風情のミュージシャン」と語っている。24歳のフレディ・マーキュリーはいつものように、店の「おしゃれな女性店員たち」を口説きにやってきたのだ。彼はまだ「We Will Rock You」の伝説的な歌手ではない。イギリスに移住して5年が経ったところだった。

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突然のスポットライトに困惑。

「彼は私がそれまで出会った誰とも違いました」とメアリーは2013年に『デイリー・メイル』紙で語っている。「とにかく自信に満ちあふれていました。一方の私は、いつも自分に自信が持てなかったんだけど……」。しかし、彼女を最初にデートに誘ったのは、その後にクイーンのギタリストとなるブライアン・メイだった。フレディがようやく彼女に声をかけるのはその5カ月後。さらに5カ月後、ふたりはロンドンのケンジントン・マーケットに近いアパートに引っ越して同棲を始める。

フレディがこのアパートに住んでいた期間は長くない。ミュージシャンとしてキャリアを築くことに懸命だった彼は、ロックバンド「アイベックス」に合流するため、ひとりでリバプールに移住。その後、彼をスーパースターの地位に押し上げたバンド、クイーンを結成する。

恋人の成功によって、メアリーは突然、世間の注目の的となる。しかし、労働者階級出身の控えめなこの女性は、スポットライトの光に居心地の悪さを覚えるばかり。両親はともに耳が不自由で、父親はクロス職人、母親は家政婦という家庭で彼女は生まれ育った。

出会いから4年後の1973年、フレディは彼女にプロポーズをする。「フレディはクリスマスに、大きな箱のプレゼントをくれました」とメアリーは『デイリー・メイル』紙に語っている。「中には別の箱が入っていました。その中にも別の箱が入っていて、そうやって次々に箱を開けていきました。彼らしい、いつもの遊びだと思っていました。すると最後の箱に、美しい翡翠の指輪が入っていたんです。私はびっくりしてしまいました。こんなこと、まったく期待していませんでしたから。私はただ小声で『はい、喜んで』と返事をするだけで精一杯でした」

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結局、このプロポーズはフレディの気まぐれのせいで立ち消えになってしまう。翌年、メアリーはロンドンの小さな店で素敵なウェディングドレスを見つけた。「その後、フレディが結婚の話をすることはなかったので、彼の気持ちを探るために、そろそろドレスを買ってもいい頃じゃない?と聞いてみるしか手はありませんでした。ところが彼の返事はノー。彼にはもう、その気はありませんでしたし、以降もその気になることはありませんでした」

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メアリーとフレディの愛の物語は波乱万丈だったが、フレディによるカミングアウトの後もふたりの信頼関係続いた。(イギリス・ロンドン、1986年1月31日)photo:Getty Images

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婚約解消後も信頼し合ったデュオ。

フレディが自らのセクシュアリティについてメアリーにカミングアウトした後は、二度とふたりの間で結婚が話題になることはなかった。

その2年前からすでに、パートナーの交友関係に疑問を抱き始めていたメアリーだったが、彼がコカイン・パーティや乱行パーティに頻繁に足を運んでいることを知ってしまう。「僕はバイセクシャルだと思う」と本人が認めたのは、1976年のこと。「違うわ、フレディ。あなたはゲイよ」――イギリスの日刊紙に彼女が語ったところによると、メアリーはフレディにそう答えたと言う。その後、ふたりはきっぱりと婚約を解消した。しかし、ふたりの間に絆が絶たれることはなかった。

6年続いた交際以降も、メアリーは相談役兼個人秘書としてフレディをそばで支え続けることになる。「Love of My Life」、つまり“生涯の愛”という曲が誕生するきっかけになったのも、彼を支え続けたのも彼女だった。フレディ自身、ことあるごとに元婚約者への賛辞を口にし、彼女に30万ポンド(現在のレートで約4300万円)のアパートをプレゼントしてもいる。

「メアリーは僕の唯一の女友達だ。他に女友達はいらない」と彼は『ニューヨーク・ポスト』紙に告白している。「僕にとって彼女は内縁の妻なんだ。結婚しているのと変わらない。僕たちはお互いを信じているし、それで十分だ。メアリーに惚れたように、男に惚れることはできないと思う」

『ミラー』紙によれば、ある時メアリーが彼の子どもが欲しいと言うと、フレディはこう答えたらしい。「僕は君のことをずっと愛している。でも君とセックスはできない。もう一匹猫を飼うほうがいいな」。フレディとアイルランド出身の美容師ジム・ハットンとの交際はまだ非公式のものだったが、その頃すでに始まっていた。だがそんなことは問題ではなく、「メアリーと自分は一緒に年老いていく」ものとフレディは信じていた。過酷な運命が自分を待っているとは思いもせずに。

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そして、永遠の別れ。

1987年、フレディがエイズに感染していることを最初に知らされたのは、メアリーだった。「胸が潰れるような思いでした」と、彼女は『デイリー・メイル』紙で回想している。

1990年、彼女は、塗装工のピアス・キャメロンと出会う。ふたりの間にはリチャードとジェイミーというふたりの子どもが誕生する。フレディは長男の名付け親となった。1年後の1991年11月24日、メアリーに見守られてフレディは息を引き取った。享年45歳。メアリーは当時、動揺した様子でこう発言していた。「私は自分の家族を失いました。だって、フレディが死んだのですから」

フレディの死後、彼女とクイーンとの関係は悪化する。バンドのメンバーがメアリーに対して反感を抱いたのは、フレディの遺産の半分が彼女の手に渡ったことと無関係ではないようだ。推定2000万ポンド(現在のレートで約28億5000万円)と言われる彼のロンドンの住居「ガーデン・ロッジ」も彼女が相続した。「フレディはこの家について、私が思っている以上に大変な問題になると言っていました」と、メアリーは2013年、『デイリー・メイル』紙に語っている。「クイーンの残されたメンバーがあの家を相続していたら、どう分割するかで揉めて仲違いしたに違いありません。私には理解できないことだけど。だって、ただのレンガとモルタルの塊に過ぎませんから」

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フレディは火葬に付された。彼への最後の忠誠の証として、メアリーは秘密裏に遺灰を散灰している。場所は明かされておらず、フレディの両親さえどこなのか知らないという。「遺骨をまいた場所は決して誰にも言いません。それが彼の望みでしたから」とメアリーははっきりと断言している。

永遠の別れから7年後、彼女はニコラス・ハルフォードという名の男性と結婚し、2002年に離婚している。現在67歳。フレディから相続した屋敷で、好奇の目にさらされることもなく、平穏な生活を送っている。

現在公開中の『ボヘミアン・ラプソディ』のトレーラー。


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texte:Chloé Friedmann (madame.lefigaro.fr)

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