妻が語る、カルロス・ゴーンの知られざる一面とは?

Culture 2021.04.23

彼女にも逮捕状が出ている。カルロス・ゴーンの妻キャロルが、夫とともに本を上梓した。タイトルは『いつまでも、一緒に』。元CEOを支える女性に、マダム・フィガロがインタビューした。

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2020年1月8日、ベイルートでの記者会見を終えて妻のキャロルにキスをするカルロス・ゴーン。Abaca

本を書く話が来た時、カルロス・ゴーンは反対したという。彼の人生がどのように崩れ去ったか、収監と地獄の1年を語ることに反対だった。この試練を語り、そして何より彼らの無条件の愛について語ろうと説得したのは妻だった。

世界中を驚かせ、カルロスの驚くべき逃亡劇によってさらに味つけされた事件。それを超越して、『いつまでも、一緒に』は、苦しみながらも抵抗したカップルのプライベートな思いについて語っている。ふたりに国際手配書が出ている中、キャロル・ゴーンは、レバノン、ベイルートの自宅から、マダム・フィガロのインタビューに答えた。

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ーーこの本を読むと、固い絆で結ばれたカップルの姿が浮かび上がります。ご主人はあなたのおかげで生き延びたように感じられます。

カルロスに出会った時、私は43歳。やっと一生の愛を見つけた、と思いました。互いに見つめ合えば理解し合える、ふたりで一体のような関係です。

彼の投獄中、弁護士に言われました。「頑張っている。彼は強い。いつもあなたのことを話していて、それが彼に微笑みを与えている」と。それが彼のために戦う力をくれました。

ーー離れ離れになった直後から、カルロスに毎日のように手紙を書いていますね。それが本に収録されています。

夜遅くなってから書いていました。時差がありますから、彼が東京で目を覚ますタイミングだったのです。私たちはつながっている、と自分に言い聞かせていました。

手紙を書きながら、いつも泣きました。もちろん、彼には言わなかった。彼にはポジティブなことしか書かなかったけれど、本当はちっともポジティブに感じてはいませんでした。

彼がどのくらいの間監獄にいるかわからなかったし、日本の司法のシステムがよくわかっていませんでした。とても苦しかった。

ーー刑務所でご主人に会った時、ショックを感じたと書いています。同時に、最も強烈な瞬間だったと。

その日は、カルロスにとって人生最悪の瞬間だったと思います。でも彼には威厳がありました。「こんなことになってしまって」というような愚痴はこぼさなかった。微笑んで、私のことを知りたがりました。

私が目にしているのは、囚人ではなく、愛する男性でした。それはふたりの人生にとって最も強い時間。結婚した時よりも、出会った時よりも強烈な時間でした。

ーー2016年にヴェルサイユ宮殿で祝った50歳の誕生パーティのことも語っていますね。ショックを与えるだろうとは思いませんでしたか?

もちろん思いました。さまざまなことを経験した今ではなおさら。それは、カルロスが私を喜ばせるためにオーガナイズしてくれた、素晴らしいパーティでした。

でも今考えると、そこまでする必要はなかったし、私たちに不利なものになってしまった。もう一度やり直せるなら、このパーティはしないでしょう。

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ーーカルロスは冷たく、威圧的だと言われることが多いのですが、あなたは身近で、面白い人だと書いています。

仕事では、彼は非常に厳しい顔をしています。協力者たちは、彼を公正で公平なボスだと言いますが、冗談を言い合う相手ではありません。

友人や愛する人たちといる時は違います。もっとずっと軽い。日常では、相手に耳を傾け、手伝ってくれる人です。自分のことばかり話す人ではありません。

毎日の暮らしでは、彼は大物CEOでもないし、私は「有名人の妻」でもありません。彼は私を自立するように、好きなことをするようにと励ましてくれます。

ーーカルロスの方は、あなたのことをアートに導いて人生を豊かにしてくれた女性だと書いています。彼にどんな影響を与えたのですか?

知性のある人は好奇心旺盛なものです。カルロスはアートの世界に興味を持っていたけれど、時間がなかった。出会った時、私は彼をギャラリーに連れてゆき、一緒にアートの購入をはじめました。

服装も同じ。彼には服装にかまう時間がありませんでした。でも私が「カルロス、パンツの丈が長すぎるわ」といえばそれを聞き、「どうしたらいい? どういうふうにする? これでいいのか?」と尋ねます。私がもたらすものを学び、受け入れてくれました。

ーーご自身の子どもとカルロスの子どもと、7人の子どものいる家族ですが、お子さんたちはどのようにふたりを援助していますか?

事件の間ずっと、みんな、カルロスの素晴らしい支援者でした。キャロリーヌ(編集部注:カルロス・ゴーンの長女)は私が初めて刑務所にカルロスに会いに行ったとき、一緒に来てくれたし、彼が出所した時も一緒でした。彼女とともに過ごした時間は忘れることがないでしょう。

私の長男のダニエルも身近にいてくれます。私が日本の検察の前で証言する(編集部注:2019年4月)と知った時には、ニューヨークから飛行機で駆けつけ、空港で迎えてくれました。

一人きりでないと感じるのは嬉しいことです。親は子どもに多くのものを与えます。それが自分に返ってくると、本当に誇らしく感じます。

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ーーあなたにも国際手配書が出ています。今、何を望んでいますか?

自分勝手ですが、インターポールが私に出している不公正な手配書を引っ込めてほしいと思います。私は共犯者ではありません。私は逃亡者ではない。私を罰することでカルロスを罰しようとしているのです。それは日本の検察の残忍さを示しています。

私にはアメリカに3人の子どもがいますが、1年と2ヶ月の間、彼らに会いに行くこともできないでいます。また、夫の件についても真実が明かされることを望みます。彼の評判は崩壊しました。全てを失ったわけではありませんが、多くのものを失いました。

ーー2020年1月8日のベイルートでの記者会見で、カルロスは、あなたが「ハヤット、愛しているわ、あなたは私の英雄よ」と言って腕に飛び込んできたとこの本に書いています。あなたにとってどういう英雄なのですか?

公正な裁判が行われないだろうと知っていたから、たった一人で日本を離れると決めた人です。それはとても勇気のいること。捕まっていたら、人生の終わりだったでしょう。そして私たちふたりの人生も終わっていたでしょう。

ーーベイルートでの暮らしはどんなものですか?

以前とは全く別の暮らしですが、私たちは一緒です。カルロスは弁護士とともに働き、大学(編集部注:ベイルート北部のサンテスプリ・ドゥ・カスリック大学)の教育プログラムに協力しています。

私は人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチとともに、日本の司法システムを告発するために彼を手伝っています。残りの時間は病気の母の世話をし、慈善事業に取り組んでいます。ベイルートの爆発以来、活動にはとても依頼が多く、それに応えるようにしています。

ーーあなたのおっしゃる「地獄の一年」から得たものは何でしょう。

人生は予測できない。何が起こるか決してわからないということです。必要とする時に助けてくれる勇気のある人は少ない。カルロスがCEOだった時はそばにいたのに、みんないなくなってしまいました。

特にショックだったのはフランス。彼が働いていた国なのに。誰も行動を起こしてくれませんでした。それは今でも変わっていませんが。

texte : Marion Galy-Ramounot (madame.lefigaro.fr)

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