江戸の食文化と料理、再発見。#08 香り高さと喉越しが魅力! 江戸蕎麦の奥深さを知る。

Gourmet 2020.12.26

現代日本の食文化の基本が形作られたといわれるのが江戸時代。季節ごとの食材や行事と結びついた江戸の食文化や料理について知れば、食事の時間がもっと楽しく、幸せなひとときになる。連載「今宵もグルマンド」をはじめ、多くのグルメ記事を執筆するフードライターの森脇慶子が、奥深い江戸の食の世界をナビゲート。今回のテーマは「蕎麦」。江戸っ子に愛された蕎麦の当時の食べ方や、年越し蕎麦のルーツに迫ります。


江戸時代のほうがいまより蕎麦屋が多かった!?

鮨、天ぷらと並ぶ江戸のファストフード御三家のひとつ“蕎麦”。江戸っ子の“粋“の象徴のような食べ物でもある蕎麦だが、いわゆる麺状の“蕎麦切り”としての歴史は意外に新しい。とはいえ、蕎麦の実自体が大陸(発祥の地は雲南、四川、東チベットの境界線周辺といわれている)から伝来したのは縄文時代。およそ3500年余りも昔のことといわれている。当初は、粒のまま粥状にして食べていたものが、石臼の伝来により、粉状に挽いて湯でこね、蕎麦餅や蕎麦がきにして食べるようになり、やがて現在と同じ麺状の蕎麦が広まるのは、江戸時代も中期。17世紀中頃のことといわれている。もっとも、文献での蕎麦切りの初見は1574(天正2)年。長野の定勝寺に、蕎麦切りが寄進されたことが記録に残されている。

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麺状の蕎麦が広く食べられるようになったのは江戸時代。

ところで、蕎麦が江戸に普及するきっかけのひとつとなった事件がある。世に言う“振袖火事”がそれで、1657(明暦3)年に起こったこの大火は、実に江戸の3分の2を焼き尽くした。その復旧に幕府は、地方から職人を集めたのだが、その結果江戸には独身男性が激増。畢竟、外食の需要は急増して、それを目当ての煮売りなどの屋台が増えていったわけで、蕎麦の屋台もこれに便乗したようだ。

いっぽう、店舗を構えての蕎麦屋が多くなるのは、18世紀も半ばを過ぎてからのこと。その後、蕎麦屋は江戸中に増え続け、江戸末期にはなんと3763店もの店が軒を連ねていたという。ちなみに現在、東京の蕎麦屋は4091店。チェーン店も含まれていることを思えば、ある意味、江戸時代のほうが蕎麦屋は多かったかもしれない。なぜなら、前記の軒数の中にはおそらく屋台の蕎麦屋は含まれていなかったと思われるからだ。

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縁起のよい食べ物として広まった年越し蕎麦。

ところで、江戸時代当初、意外にも蕎麦は茹でずに蒸していた。というのも、つなぎを使わず蕎麦粉100%で打っていた蕎麦は、茹でると切れてしまうからだ。現代の蕎麦屋でよく見かける“せいろ”は、まさにその名残。やがて製粉技術が上がり、また、つなぎを入れて打つ方法が考え出されると、茹でても切れない蕎麦を打てるようになり、自然と蒸すよりも効率がよい茹でる方法に移行していったのだろう。茹でるようになっても、せいろに入れて蒸していたその容器だけが残ったというわけだ。蕎麦をつゆにつけたかつけないかでズズーと啜り込む、落語でおなじみの食べ方は、江戸時代も少し経ってからのことのようだ。

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製粉技術が上がってからは、蕎麦は茹でるのが一般的に。

蕎麦と同様、つゆも当初は現代とはちょっと違っていた。醤油がまだ一般向けに普及しきっていなかった江戸初期、蕎麦は煮ぬきと呼ばれる味噌ベースの麺つゆにつけて食べていた。江戸初期の料理本『料理物語』によれば、「味噌五合、水一升五合、かつほにほしを入れせんじ、ふくろに入れた候。汲返し汲返三辺こしてよし」とあり、つまりは水で溶いた味噌に鰹節を入れ、煮てこしたもの。江戸も中期になって醤油が出回るまで、江戸っ子はこの煮ぬきで蕎麦やうどんを食べていたわけだ。

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月島の「由庵 矢もり」(後述)のざる蕎麦。

ところで、歳末の風物詩“年越し蕎麦”が定着したのも江戸時代。その由来については諸説あり、なかでもよくいわれているのは、蕎麦のように細く長く伸びるようにという延命長寿、身代存続への祈願説。また、蕎麦はほかの麺に比べて切れやすいため、旧年の労苦や災厄を断ちきる縁起を担いでのことともいわれている。しかし、江戸時代に広まった理由として、商家との関係も見逃せない。売掛金の回収日である年の暮れは、商人にとっては猫の手も借りたいほどの忙しさ。簡便に食べられる蕎麦は、当時のファストフードとしては最適だったろう。また、前述のごとく食べ物としての縁起もよい。金粉を集めるために蕎麦の団子を用いることもあったそうで“金を集める”金運向上の食べ物としての一面もあったようだ。年越し蕎麦は、縁起のよい食べ物として、江戸商人の発展とともに広まっていったのだろう。

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江戸蕎麦のおいしさを味わい尽くすなら。

由庵 矢もり(月島)

粋で鯔背(いなせ)な江戸っ子が愛した江戸蕎麦。その喉越しよくスマートな味わい方、おいしさに魅了されたのが、月島「由庵 矢もり」のご主人矢守昭久さん。ここでは、(予約の際に希望すれば)江戸時代さながらの“蒸し蕎麦”もいただける。蕎麦はもちろん手打ちの十割。

しかも、すべて手挽きのうえ、石の材質が異なる4つの石臼で挽き分ける凝りようだ。が、そこは江戸蕎麦のツルッとなめらかな喉越しをよしとする矢守さんのこと。小麦粉の代わりに、石臼で挽いた微粉の蕎麦粉を加え、喉越し軽やかな蕎麦に打ち上げている。

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料理は蕎麦懐石コース(¥8,800)のみ。蒸し蕎麦の香りのよさは格別! 江戸っ子のように煮抜きをつけて。

ちなみに蒸し蕎麦は、現在は福井の大野在来種を使用。せいろに入れ、2〜3分蒸した後、せいろごと客に提供。合わせるつゆも昔ながらの煮抜きを添える念の入れようだ。蒸した蕎麦は、従来の喉越しや歯応えの軽快さは望めないものの、それにあまりある香りの豊かさを満喫させてくれる。

まずは何もつけずに蕎麦をたぐるや、鼻先をくすぐるふくよかにして甘い風味に法悦となる。水を通さぬ蒸したての蕎麦ならではの味わいだろう。もっちりとした食感の蕎麦を噛みしめれば、厚みのある甘味がより一層舌に広がるはずだ。この旨味に、味噌のコクが利いた煮ぬきがベストマッチ。古くて新しい蕎麦のおいしさを教えてくれる。

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かけ蕎麦に、ふわふわに泡立てた卵をかけた淡雪蕎麦。卵白のみを使うことが多いが、矢もりでは全卵を使用している。

料理はお任せの蕎麦懐石のみ。コースの中には、この蒸し蕎麦のほか、写真の淡雪蕎麦や鴨南蛮、しっぽく、花巻など江戸の頃から続く種蕎麦も季節に応じて登場。締めのせいろ蕎麦のおいしさは言わずもがな、客の目の前で挽く挽きたての蕎麦粉で作る蕎麦がきの旨さも特筆ものだ。

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月島駅から徒歩5分ほどの路地を入ったところにひっそりと佇む。1階のカウンター席では店主の矢守さんが蕎麦を手挽きする様子を見られる。2階には座敷席も。

由庵 矢もり
Yuan Yamori

東京都中央区月島3-9-7
tel:03-6225-0633
営)18時~19時30分最終入店
休)日、祝
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、営業時間変更の可能性がございます。詳細はお問い合わせください。

江戸の食文化と料理、再発見。記事一覧

photos : KAYOKO UEDA, texte : KEIKO MORIWAKI

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