愛のジュエリーで有名なミルティーユ・ベックの成功物語。

Paris 2019.02.04

大ぶりの派手なジュエリーが好きな女性は、きっと知らないジュエリー・デザイナーだろう。ミルティーユ・ベックが生み出すのは、慎ましく輝き、日常につけていられるアンティーク風の指輪やネックレスである。最初のブティックを開いてから10年が経過した2018年、それを記念して、ちょっと珍しい特殊なダイヤモンドをあしらった10点の一点ものの指輪を彼女はクリエイトした。

10年前に開いた小さなお店で最初の4年はスペシャルオーダーだけを受けていたミルティーユ。2013年に指輪のAllegria(アレグリア)の販売を始めたところ、これが大ヒットした。ミルグランと呼ばれる小さな粒で模様を描き、縁取りをしてというテクニックが用いられている。

10周年記念の10のダイヤモンドリングを紹介しよう。イエロー・ダイヤモンドを葉のモチーフが囲む。

クッション・カットのダイヤモンドを使用。

こちらはラジアント・カットで。

太陽と呼ばれる幻想的なサン・カット。

珍しいカイト・カットのダイヤモンド。

ラジアント・カットのダイヤモンドを縦にデザイン。

こちらはラジアント・カットのダイヤモンドを横に。

ロマンティックに輝くオールド・マイン・カットのダイヤモンド。

ダイヤモンドを囲む葉模様が繊細。

グレー・ダイヤモンドを楕円のクッション・カットで。

ミルグラン。自分のジュエリースタイルを見つける。

「ミルグランは最初はあまり使っていなかったの。自分のブランドを始める前に、古いジュエリーを修復するアトリエで働いたことがあって、ここで19世紀のジュエリーへの関心が生まれ、私のクリエイティビティが養われていったのね。ある女優が作るジュエリーの手伝いをして、1年間、自分の時間のすべてをそれに捧げたことがあって……あいにくと良い終わり方をせず、そのときに、つくづく思ったの。これからは時間は自分のために使おう、シンプルなジュエリーのコレクションを作ろう、って。その時に思い出したのが修復のアトリエで見た19世紀のネックレス。葉と花のネックレスでミルグランが使われているものだった。時代的にはアール・ヌーヴォーより前のものね。こうして生まれたのがアレグリア。これをフランスの雑誌がとりあげてくれて、世間に知られるようになったの。長いこと探し求めていた自分のジュエリースタイルが、突然 “降りてきた” という感じに見つかったのだけど、まるで出産したみたいで、とても奇妙な感じだったわ」

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いまも人気の重ねづけを楽しむ指輪のアレグリア(1,990ユーロ)。彼女のジュエリーは白金台にできたAkkitto直営店「megane no kawakami」で少しだが扱いがある。

インスタグラムが最高の広告。

「私にはプレスを雇えるほどの余裕がなかったので、アレグリアの販売とほぼ同時にインスタグラムを活用し始めたのね。これは驚くべき影響力があるわ。おかげで世界的にも知られるようになった。インターネット販売もすごくうまくいって……。アレグリアの後、少ししてからローズカットのダイヤモンドとゴールドの婚約・結婚指輪のコレクションを発表したの。というのも、私、自分が結婚するときに婚約指輪をあちこち探したのだけど、気に入るのが見つけられなかったのね。それで “私は婚約指輪のデルフィーヌ・マニヴェ(シンプルでエレガントなウエディングドレスのデザインでパリジェンヌに人気のクリエイター)になろう!” って。このコレクションが大好評で……。10年前に開いた最初のブティックでは手狭になってしまって、2年前に同じ通りの少し広いスペースにブティックを移動。でも、いまやその店も土曜日はもはや満杯で、買い物客が立錐状態でジュエリーを選ばなければいけないというほど。それで同じ通りに、もうひとつ、アポイントオンリーのブティックを構えることにしたのよ。3月には開店できると思う。こうしたことってインスタグラムのおかげだけど、ジュエリーをコピーされるという悪い面もインスタグラムにはある。コピーされたジュエリーを見たとき、自分の一部をとられたみたいで最初はとてもショックだったわ。でも前進するために見ないようにし、私の仕事が他の人をインスパイアするというのは、何かに成功したということだと考えるように……」

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ミルティーユ・ベック。4歳半の男児のママでもある彼女は、土曜はスタッフにお店を任せて家族の時間をもつことを夢見ている。日曜は1週間分の食事の用意に明け暮れるそうだ。photo:Chloé Lapeyssonnie

18歳で独立。学んで、働いて。

「自然が好きで森林警備監視官になるのが、小さい時の夢だったの。南フランスの生まれたのはアンティーブ。父の仕事の関係で、暮らしていたのはいつも自然が身近な土地だった。ジュエリーに興味を持ち始めたのは、14歳の頃。男性の下着デザイナーの義理の姉のところに遊びに行くと、パールとかミックスしてジュエリーを作らせてくれて。その後、15〜16歳の頃、なぜかわからないけど、クリスタルや針金、マイクロ穿孔機とか買って、指輪やモビールなどを自分で作りはじめたの。もともと手作業が好きだったこともあるけど、ジュエリーデザインが仕事として存在するなんて知らなかった時代、創作意欲が彼女によってもたらされたのでしょうね。バック(大学入学資格)を取った後、ニームの応用美術専門校に進んでモードを学ぶことにしたのだけど、これは1年しか続かなかった。これは自分のしたいことじゃないって確信したところで、やめたの。モードがだめなら、私にはジュエリーがある、というのはもともと頭の隅にあって……。偶然、久々に会った旧友にそれを話したら、彼がCAP(職業適正資格証書)について教えてくれたのね。ジュエリーのアトリエで学びながら仕事をし、専門学校にも通うのだって。18歳だった私は独立したかったけれど、両親から “家を出るなら、自分一人で生計をたてなさい!”と反対されていて……だから仕事を実地で学べるうえに、サラリーが出るのだからCAPはパーフェクトだった。情報を早速集め、ニースで修行を始めたの。私、ジュエリー作りの才に恵まれてたみたいで、どんどんと物事が進んでいったわ。2年たって、パリのジュエリー専門校に通って、その後、複数のジュエリーのアトリエで働いたの。当時はミュージシャンがボーイフレンドだったので、フランス中をあちこち移動してたのだけど、仕事はいつも簡単に見つかった」

独立を見据え、技術の習得を怠らなかった。

「学校に通っていた当時、11区のYves Gratas(イヴ・グラタス)のジュエリー・ブティックの上に住んでいたの。通りに面してブティックがあって、奥にアトリエがあって彼がジュエリーを作っていて……。彼のジュエリーはトラッドな宝飾店のと違って、これ見よがしじゃなくって、とてもきれい。シンプルで日常的につけられる、こんなジュエリーを作れたら最高だわって思いながら、学校の往復のたびに見ていたのね。そして “私も彼のようなアトリエ兼ブティックを持つわ!” と、自分に言っていた。彼のように私も自分のジュエリースタイルを見つけたい、とも思っていたし……彼が私に願望を与えてくれたのね。もし自分でメゾンを構えることになったら、ひとりで何もかもできるようにテクニックをしっかりと学んでおく必要があるとわかっていたから、自分の名前でスタートするまで10年の歳月をかけたの。ジュエリーのアトリエでカルティエなどハイジュエラーの仕事をするには、1/100といった正確さが要求される。おかげで素晴らしい技術の修行ができた。でも私はクリエイションがしたかったので、どこかのジュエラーに入って仕事をする、ということはもともと頭にはなかった」

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路面に面したスペースがブティック。photo:Chloé Lapeyssonnie

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販売スペースの裏手にアトリエが設けられている。ブランドを持ち、8年間ずっとミルティーユはひとりで働いていたが、2年前から5名がアトリエで働くようになった。photo:Chloé Lapeyssonnie

2008年、自分の店を持つ。

「あいにくと最後に働いたアトリエでうまくいかなくって……。パトロンに精神的に押しつぶされてしまい、すっかりこの仕事が嫌になってしまって、何かほかのことをしようって思うようになったのね。その頃いまの夫と一緒に暮らしていて、彼が “ここでやめるなんて、もったいないよ。自分がやりたいとずっと思ってたことなのに” と。自分の名前でスタートすることを彼がプッシュしてくれて、2008年に店を開いたの。私がそれまでに経験したのはブティックがあり、奥にアトリエがあるという場所ばかりだったから、私の店もそうしたの。クリエイターのショールームといった感じね。それから4年間、スペシャルオーダーだけの仕事をしていたの。夫は石のセッティング師なのだけど、彼が励ましてくれなかったら、ミルティーユ・ベックというブランドは存在してなかったと思う」

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最初に開いたアンリ・モニエ通り30番地のブティックでも使っていた大好きなウィリアム・モリスの壁紙。20番地に拡張移動した現在のブティックでも、使用している。photos:Chloé Lapeyssonnie

インスピレーションはどこから?

「自分が見たことがインスピーション源となることもあるわ。たとえばアレグリアは、“1910〜1913年のロシアのドレス展” で見た、ロシア革命でヨーロッパに亡命した貴族の女性たちが刺繍したドレスのモチーフからなの。バレエの『春の祭典』のドレスとか、何かしらモチーフを見ると、そこからアイデアが沸くわ。それに古いジュエリーからもインスパイアされる。昔のジュエリーの問題は高さがありすぎることね。日常的に身につけるのが難しい。それで私は、指にはめているのを感じさせない快適な指輪というように、見た目の印象はアンティーク風だけど現代的なジュエリーを作っているのよ。私のジュエリーの特徴としては、それに加えて、繊細な仕上がりのとても控えめなジュエリー、ということね。ミルティーユ・ベックのジュエリーを求める女性たちは、きらきら大きなダイヤモンドを輝かせて喜ぶという女性じゃない。若い女性から70歳ぐらいの女性まで、客層はかなり幅広いわ」

たくさん偶然の出会いに導かれ、ここまでやってきたというミルティーユ。自身の直感も信じている。最初の店の場所を探していた当時、アンリ・モニエ通りは10年前にはまだ何もなかったけれど、その通りを歩いていてある物件の前に立ったときある物件の前を通った時に彼女の心臓が激しく鼓動したそうだ。“ここよ、ここだわ”と。それが最初の店となった。開店してしばらく後に、人気店Buvette(ビュヴェット)、さらに花屋Beaulieu(ボーリュウ)ができて通りが活気づいた。そしてすぐ近くにホテルLe Pigalle(ル・ピガール)がオープン。ここにはアメリカ人客が多いことから、彼女の店にもそれまであまり多くなかったアメリカの客が一挙に増えることになった。

「土曜の午後、ジュエリーを求めて来る女性たちで溢れるブティックを見るたびに、信じられない!って思うわ。自分がしていることが認められたら、ってずっと願っていたから、これは最高よ。素晴らしい成功といっていいでしょうね」

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Myrtille Beck
20, rue Henry Monnier
75009 Paris
営)12:30〜18:00
休)日・月
https://myrtillebeck.com
https://www.instagram.com/myrtillebeck

 

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