ポートランド発、自分らしい仕事と愛のかたちとは?

Society & Business 2021.09.17

From Newsweek Japan

文/山本彌生

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年明けの『アジアンヘイト』抗議行進のために、LGBTQの友人ともに作ったプラカード。『暴力は、もううんざり!』『愛は団結を生み、憎しみは分断を生む』。ありのままの自分でいられるLGBTQの大切な友人と、時を忘れて語り合う。Photo: JingWei Pan

自分自身とその人生を愛せるように。

一人ひとりが互いを認め合うという、「多様性と調和」を一つのコンセプトにした東京オリンピック。多くの問題を抱えながらも、先日閉幕をしました。

中でもとりわけ、海外メディアを中心に大きな注目を集めた話題があります。それは、LGBTQ(性的マイノリティー)と自ら公表している選手の増加。東京オリンピックに出場した選手のうち、182人の選手がLGBTQであることを公表しています(〚アウトスポーツ、At least 182 out LGBTQ athletes were at the Tokyo Summer Olympics 、2021年〛)。

現在では、50州すべてが同性婚を合法化しているアメリカ。ポートランドがあるオレゴン州でも、2014年に合法となりました。

西海岸の中でも、比較的物価の安いこの町。そして、どの様なセクシュアリティであっても受け入れるという柔軟性があることから、他の西海岸主要都市から引っ越しをしてくる人も年々増え続けています。

そして、もうひとつの流入数増加の理由。それは、リモートワーク型企業環境の拡大です。

ポートランド流入。そして、日米の多様性のニュアンスの違い。(Newsweekjapanのサイトへ遷移します)

このような移住者のひとりが、IT業界で働く中国生まれカナダ育ちのジンウェイさん。実は数年前、「先日、近所に引っ越してきましたジンウェイです。そして彼女が、妻のフゥア。よろしくお願いします」と、それはかわいい女性ふたりのカップルが挨拶に来てくれました。聞けば、大学で日本語を学んでいたとか。それ以来、同じアジア人として「お福分け」をする仲になっていきました。

そんな彼女のストーリーを少しずつ聞くうちに、私自身が考え想像をしていた微妙なコンセプトのずれに気づきを覚えていったのです。そして自然に、現代に生きるカップルの姿や新しいコミュニティの形へと、思考が誘われるようになっていきました。

現在の社会とアジア文化。彼女の生き方とキャリア。そして、愛する同性の女性との結婚から得られた心の平安。

多様という言葉が表しているように、型にはめず当てはめず。これは、あくまでもひとりの、そして一組の同性愛者の等身大のストーリ―です。

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意識をして、定期的に電子機器から離れて心を落ち着かせるという。家族同様のスプルーシュと一緒に、自宅のオフィスでのフル勤務。 photo: JingWei Pan

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アマゾンから、中小企業のリモートワーカーへの転身。

ジンウェイさんの社会人としてのスタートは、シアトルにあるアマゾン本社。有名大学の大学院でコンピューターサイエンス学んだ後、ITエンジニアとしての採用でした。

「有名大企業への就職が決まった時には、天にも昇る思いでした。でも、エントリーレベルの仕事という事もあって、巨大な機械の中で小さな歯車を動かしているような毎日。必死に働けば働くほど、仕事の範囲や学ぶことに限界を感じ始めたのです。そこで徐々に、スタートアップ的な文化を持つ企業に転職したいと考え始めました。」

その後、東海岸のボストンにある中小規模のIT企業へ転職をします。現在は、ソフトウェア・エンジニアリング部のディレクターとして勤務。海外パ―トナーとの技術的なソリューションを戦略的に実行して、開発チームを強化、牽引するのが主な仕事です。

ジンウェイさんの会社では、コロナ前には、社員の約5%がリモートワーク。そして、コロナ禍のいまは、完全100%「どこでも仕事ができる」文化を構築したと話はじめてくれました。

「私たちは歴史上、環境や技術の変化に合わせて働く環境を変化させてきました。そのひとつが、『高い生産性が追及される目的で作られた、狭いスペースでのキュービクル・パーティション』設定です。

このパンデミック期をきっかけに、リモートワークが働く環境のひとつの選択肢となっています。そして、その利点は、(1)オフィススペース維持の経費削減 、(2)遠隔地在の本社・支社の人々をまとめる機会の増加、(3)国内や世界各国からの雇用機会の増加などたくさんあります。

これからの時代は、ライフスタイルをより健全にすること。ここに焦点が当てられた時代に突入をしています。このことから、社員がワーク・ライフ・バランスを維持するための労働選択肢が増えることは、企業として必須となっているのです。」

とはいうものの、同時に、管理の煩雑さをはじめとしたデメリットが多くあるのも事実です。しかしその部分は、それぞれの企業がビジネスのスケールを駆使して技術的な対策を構築したり。また、従業員に対する情報セキュリティ教育を行う。そんな、人と技術のバランスが取れた対策を施すことが、基本の基となるのでしょう。

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photo: JingWei Pan

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考え続けることで、自分の人生の質をあげていく。

有名大学から、最先端のITの道を歩み続けてきたジンウェイさん。はたから見れば、思うように過ごしてきた道のり。しかし、自分のキャリアの方向性を見つけることは、大変苦しく難しかったと言います。

「米国のハイテク業界は、選択肢が無限です。その中で、自分の方向を見定めて進んで行くことは、大変困難であり不安が付きまといます。贅沢な悩みかもしれません。でも実際に、その道を見つけるのに、いまでも悩み苦しんでいるというのが正直なところなのです。

それを打破するために行ったこと。それは、会社の上司に積極的に声をかけて、メンターになってくれる人を探したのです。役職を持たない立場から、現在のディレクターに移行する際には、このメンターの経験やアドバイスから大いに恩恵を受けました。」

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アメリカで一般的に行われている、メンター(助言をする側)とメンティー(助言を受ける側)システム。これは、先輩後輩という関係をはるかに超えた平等な関係です。

ビジネスにおけるメンターは、仕事やキャリアの手本となって助言・指導をしたり。また、個人の成長や精神的なサポートをします。

ここ10年におけるアメリカ企業。人材育成を目的に「メンター制度」を導入するケースが良く見られます。そして多くの場合、悩みや不安も打ち明けやすいようにと、他部署など少し離れた所に属している比較的年齢の近い先輩社員が選ばれることが多いようです。

そこからの延長線上として、現在ジンウェイさんが意識していること。それは、「自分が得意なこと。そして、情熱を持ってやっていること。そこを頭で考えて区別をする」ことです。

「このふたつを意識することで、仕事に対するモヤモヤやストレスが少し低減出来てきた気がします。もちろん、ここが一致するようなキャリアパスを見つけることができれば理想的ですが。でも現実は、なかなかそうは上手くいかないものですから。」はにかんだ表情で、ひと息おいてこう続けます。

「働く女性にとって、紛れもないジェンダー・ギャップがあるのがいまの労働現状です。そこに加えて、テクノロジー業界というダブルハンディを抱えて働いています。私は長年、女性エンジニアが自分ひとりしかいないチームで働いてきました。でも幸いなことに、チームの「資産」として認めてくれる上司や同僚に恵まれてきました。加えて、技術系やリーダー役の女性たちと繋がれたことも幸運でした」

と、前置きをしつつも、他の部署の男性社員同士が無意識に男性を優遇する言葉を使う日常。このことによって、不快感を覚えたことは多々あったようです。そのような言葉によって、排除し枠の外に押しやる。そんな圧迫をも感じていました。

そんなマイナスの経験から、自分自身はいかなる他の人に対しても、その人の持っている素晴しい部分を認識するような言動を取る。そう、決めていると言います。

「常にプロ意識を持ち続けながら、必要に応じてチームメイトを心から気遣うこと。温かさ、繊細さ、共感をもって同僚と働くこと。それを、ひとりでも多くの人が行うことで、ひとつひとつの問題を解決していけると信じているからです」

そんなジンウェイさんが、一生を共にすると誓う女性と出会ったのは大学のキャンパスでした。パートナーのフゥアさんが、脳神経科学の博士号取得のため留学をした時のことにさかのぼります。
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同性愛者の結婚。その道のりと苦悩とは、どのようなものだったのでしょうか……。

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photo: JingWei

二人の出会い、そして開放。

「大学院生だった当時の私は、ほとんどの時間をコーディングの勉強に費やしていました。ある日、あまりにも自分の生活がデジタルや数学的になりすぎていると感じたのです。そこで、切り替えのためにブッククラブに参加をしました。会のリーダーをしていたのフゥアに出会い、聡明で優しい彼女に恋をしたのです。その後、付き合いが始まり8ヵ月後にプロポーズ。正式に州の認証を受けて結婚をしました。」

ジンウェイさんが、自分のセクシュアリティに気づいたのは15歳の頃。しかしその思いは、自分の内に秘めるよう努めていました。ついに意を決して、カミングアウトしたのは大学に入った時。ありのままの姿を世間に解き放ったあと、人生がとても楽に、そして豊かになったのを全身で感じたといいます。

というものの、ものごとは単純には進みませんでした。自分自身のセクシュアリティを完全に受け入れるのに。幼なじみに話すのに。そして、なによりも、両親に告白するのには、長い時間が掛かりました。そこから、両親がその事実を受け入れるのには、もっと長い時間が掛かったのです。

「当時、両親にも私のセクシュアリティを受け入れてもらいたいと強烈に願っていました。でも、ある種の価値観が両親の中に深く根付いていて、それを克服するのは困難極まると感じ取ったのです。私と妻との関係を受け入れてもらいたい。そう必死に説得をする時、その会話は廃墟となって何度も崩れ落ちていきました。その経験から、理解して欲しいという押しつけや焦りからは、物事は進んで行かないということを学んでいきます。それ以後は、生活の安定化、ふたりの揺るぎない関係性。そして、両親に対する愛情を見せる努力をしていったのです。そんな静かなアプローチとともに、両親の気持ちがほんの少しずつ変わっていくのが見えています」

そう静かに語り続けます。

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オレゴンコーストの夕焼けに向かって、それぞれのパートナーと将来に思いをはせる。photo: JingWei Pan

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北米に住むアジア・コミュニティとLGBTQ

では、アメリカに住む中国人コミュニティでは、LGBTQはどのように理解をされているのでしょうか。

「親やその上の世代の中国系アメリカ人の多くの人は、中国本土を離れる前の伝統的な価値観を持ち続けています。すなわち、LGBTQは人として正常であると考えるのは困難だということです。

中国人でありながら、レズビアンである。この事実をその世代の人に説明をすると、ほとんどの人がショックを受けます。理解が出来ないのです。

とはいえ、若い世代になると、実生活を通してLGBTQの人々と接する機会は増しています。それだけ、カミングアウトをする人が増えたということでしょう。また最近では、中国系レインボー・ネットワークのような若者が主導する団体もあり、寛容さや理解は深まっています。

長年、世界の中国人コミュニティでは、ゲイやレズビアンのことは、表立って公に語られることはタブーとされてきました。ですので、この問題は差別というより、むしろ無知に起因するものだと考えています。

ここ数年の中国本土では、LGBTQの権利を率直に主張する若者も増えてきています。このような話題に注目が集まるにつれて、尊重と受容の方向に向かっていることがSNS上の世論からもわかってきました。

世界保健機構(WHO)が正式に、同性愛は精神疾患ではないと発表したこと。これも受容のきっかけとなった要因のひとつだと思います。」

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さらに、多様性&包摂性という大きな枠組みでものごと考える時、関心が研ぎ澄まされるとのこと。

「人種、性別、セクシュアリティのという面で、人生の大半をマイノリティとして私は過ごしてきました。私自身、排除される側にいた者です。ですので、社会的排除というものが、どれほど酷なダメージを与え、やる気を失わせるかの恐ろしさを知っています。そしてその一方で、優しさや受容を受ける側にいた者でもあります。ですので、それらがどれほど力を与え、癒しになるかも経験しています」

「この経験が、私をより優しく、より忍耐強く、より思いやりのある人間にしてくれたと思っています。そして、それを持ち得たからこそ、良い同僚、チームメイト、リーダーとして成長し続けていこうと思えるのです」

「いまの社会において、多様性&包摂性は表面上の単なるスローガンではありません。より良い文化と社会を築くため。その基本的価値観へと広がっています。職場の文化、そして社会の文化が多様性を認めること。それは、単に偏見をなくすだけではありません。社員が互いに責任を持ち、優しさを育み、思いやりを育てることが大切なのです」

ひとりひとりが、相手を思いやる気持ちの「エンパシー」を持つこと。

こう締めくくってくれたジンウェイさん。その胸に刻み込んでいる言葉を、今日はあなたと分かち合いたいです。

人格者は他人と調和をするが、他人に媚びたり流されたりしない。

つまらない人間は他人に媚びたり流されたりするが、他人と調和することはしない。

孔子 (現代語訳)
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Photo: JingWei Pan

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山本彌生

企画プロジェクト&視察コーディネーション会社PDX COORDINATOR代表。東京都出身。米国留学後、外資系証券会社等を経てNYと東京にNPOを設立。2002年に当社起業。メディア・ビジネス・行政・学術・通訳の5分野を循環させる「独自のビジネスモデル」を構築。ビジネスを超えた "持続可能な" 関係作りに重きを置いている。日系メディア上のポートランド撮影は当社制作が多く、また業務提携先は多岐にわたる。

Facebook:Yayoi O. Yamamoto

Instagram:PDX_Coordinator

協働著作『プレイス・ブランディング』(有斐閣)

Text:Yayoi Yamamoto

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