Culture 連載
イイ本、アリマス。
粋でナンセンスな江戸時代の漫画、黄表紙を超訳で。
『江戸マンガ1 芋地獄』『江戸マンガ2 人魚なめ』
イイ本、アリマス。
夏だし、妖怪ものでもオススメしようかしらと思っていたら、見つけたのが小学館から出ていた『江戸マンガ』のシリーズ。『芋地獄』?『人魚なめ』?一体なんだろうと思いますよね。
『芋地獄』の元のタイトルは『一百三升芋地獄』。『人魚なめ』の元のタイトルは『箱入娘面屋人魚(はこいりむすめめんやにんぎょう)』。いずれも山東京伝作。江戸時代の大人の絵本、黄表紙を「江戸マンガ」と解釈して、軽妙洒脱な江戸のセンスもそのままに超訳。國芳のウイットに富んだ浮世絵なんかが好きな人には、たまらないシリーズかもしれない。
「ここは百二十六地獄にも入れてもらえぬ芋地獄」。長いも、里芋、さつまいも、文字通り、ありとあらゆる芋たちが地獄の責め苦にあっている。閻魔大王がタコなのは「いもたこなんきん」の習い。山芋の犯した科は「精進ものの身でありながら、うなぎの蒲焼風に料理され、和尚に勢力をつけさせたこと」。さつまいもは「江戸の粋人を胸焼けさせた罪」で、業のはかりにかけらて、堀江町地獄に送られる(江戸日本橋の堀江町は、冬はさつまいもの店が並ぶことで有名だった)。つくね芋はとろろ地獄。わさびおろしでおろされ、すり鉢ですられる。
芋が堕ちる地獄だなんてバカバカしい設定だけど、里芋が目隠しされて、火の車ならぬ、屁の車に乗せられる場面は、歌舞伎の忠臣蔵七段目「祇園一力茶屋の段」のパロディ。鬼が「ほおれ、屁の鳴るほうへ。屁の鳴るほうへ」と手を叩いておびきよせるのは、うつけのふりをした大石内蔵助が酔って目隠しをして、遊女たちと鬼ごっこをして戯れる場面を模したもの。
そもそも朝比奈が地獄をめぐるという筋立て自体が、狂言『朝比奈』からきている。
朝比奈と言えば、歌舞伎の『曽我対面』でもおなじみの豪勇大力な武将。狂言『朝比奈』では、閻魔大王はなんとかしてこの男を地獄に落とそうとするが、かなうわけもなく、結局は極楽浄土に案内することに。
『芋地獄』でも「芋が大好物な俺の前で芋をここまでいじめるとは」と朝比奈が大暴れ。
タコの閻魔大王は、本物の閻魔大王に「偽地獄をつくった科」でゆで蛸の刑にされるというオチ。こうした物語の背景を粋なお江戸読者はいちいち説明されずとも心得ていたわけで、江戸庶民の文化的な素養の高さもうかがえる。
いっぽう「人魚なめ」は乙姫様に飽き飽きした浦島太郎が鯉と浮気して生まれた人魚のお話。乙姫の父親、竜王に見つかっては大変と困った太郎はこの子を捨ててしまう。
この設定だけで、もう、勝負アリ?人魚と言っても、江戸時代のソレは魚に女の顔がくっついている、ちょっと妖怪っぽい見た目。猟師の平次の網にかかった人魚は言う。
「私は人魚と言っても、人でも魚でもない。この身はどうなってもいいものさ。どうぞ、あなたのおかみさんにしてくんな。抱いて寝てくんな。それともそんな気は起らない?」
「そりゃ抱きたいけど、たやすく手に入れたものはすぐになくなると言うから縁起が悪いわな」
シュールで艶っぽくって、これが1791年発行だって言うんだから、スゴイ。
かくして平次の女房になった人魚だけれど、平次は貧乏暮らし。人魚は遊女に化けて遊郭で働き始めるが「魚くさい」と客から敬遠されてしまう(そりゃそうだ)。一計を案じたふたりは「人魚をなめると若返る」という学説を知り、商売を始めたところ、これが大当たり。それでタイトルが『人魚なめ』なんですね。
ところが金持ちになって舞い上がった平次が、自分も若返ろうと妻をなめすぎて、子どもになっちゃう。そこに玉手箱を持った浦島太郎がやってきて......さあ、どうなる?
作者の山東京伝は、江戸深川の質屋に生まれ、若くして浮世絵師・北尾重政に弟子入り。まずは浮世絵師として世に出るが、20歳頃から黄表紙を描き始め、狂歌師、洒落本、滑稽本、読本の作家など多彩ななジャンルで活躍した当代のヒットメーカー。
当時、戯作は余技と思われていたので、京伝も本業は別にあって、今の銀座1丁目で煙草屋をやっていた。京伝がコピーライターのはしりといわれるのは、この店のチラシをつくったり、自分の本の中でちゃっかり、店の宣伝をやってのけたから。戯作で初めて版元から「原稿料」をとったのも、この人。戯作界のジャンルを開拓したパイオニアであり『南総里見八犬伝』でブレイクする前の曲亭馬琴も弟子入りに来たし『東海道中膝栗毛』の十篇舎一九も、京伝の影響を受けた。
2度結婚していて、妻はいずれも遊女上がり。
そのせいか、吉原や深川と言った遊里ものを得意としていた。『人魚なめ』に収録された3作はいずれも京伝の作品だが『九界十年色地獄』、遊里を地獄めぐりになぞらえた作品もある。
歌舞伎舞踊『三社祭』では、漁師ふたりが「善」「悪」と書かれたお面をかぶって踊るが、これも、もとをたどれば京伝の黄表紙『心学早染草(しんがくはやぞめぐさ)』から。善の心しか持たない「善玉」の男に、悪の心が入りこみ「悪玉」のおかげで吉原に入り浸りに。「善玉」「悪玉」という現代でも使われる名キャラクターを生み出したのも、京伝だった。
『芋地獄』(全4編)には十篇舎一九作の『化け物の嫁入り』も所収。こちらの巻は、やたら化け物が登場するが、それも黄表紙の特徴だったらしい。グロテスクなののに、どこか滑稽でおかしみをたたえている魑魅魍魎たち。帯に「これぞ日本古来の〝ゆるキャラ″なり」というみうらじゅんさんのコピーがある所以だ。
『化け物の嫁入り』もエログロナンセンスな世界。『東海道中膝栗毛』の作者のもうひとつの顔を知る思いがする。お坊ちゃまの化け物は大変な「不器量好み」。嫁も、見合いの席で「歯くそだらけ」のお坊ちゃまにひと目惚れ。お日柄の悪い日に嫁入りし、墓場で産んだ子はみごとひとつ目。十篇舎一九は化け物を扱う作品を得意としていた。
ゆるくて、洒脱な元祖クールジャパン、江戸マンガ、ぜひご一読のほど。